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【4-1c和与状(わよじょう)】古文書学入門(改)

和与とは自由意志による権利の移転すなわち贈与を意味する。
また普通の和解の意味にも用いた。

訴訟進行の途上で和解が成立すると、訴人・論人両方の和解の条件を記し、これに基づいて和解する旨を記した和与状を作成する。
これは同文のものを訴人・論人別々に作成して相互に交換する場合と、同文のものを2通作成して、これに訴人・論人が連著して、各一通ずつ保存する場合とがある。

和与状は上申文書ではないが訴訟関係の文書として記事にしました。



参照文献 佐藤進一著「新版 古文書学入門」

全18ページやっと訴陳状が終わった。
長くて一つの記事に出来なくてabcに分けました。
はぁ疲れた。
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【4-1b訴陳状(そちんじょう)】古文書学入門(改)

申状(解状)のうちで、今日とくに多量に伝わっているのは訴訟関係の文書である。
訴人(原告)が朝廷・幕府・本所などの裁判所に提出する申状を特に訴状という。
これに対して被告が提出する申状を特に陳状という。

訴状・陳状を併せて訴陳状と言った。
なお訴状も陳状も本文の後に年月日があるのが普通である。
これらの訴陳状の用紙は通例 堅紙(たてがみ)であるが、時に折紙にして使用する場合があった。
折紙の場合には、日付を書かないのが様式上の特徴である。

この種の訴訟関係の文書の多くは鎌倉時代のものである。
南北朝時代を経て室町時代に入ると、この種の文書は激減する。

室町時代に入ると借金その他に関する幕府関係の訴訟文書が相当残っている。
文書の様式上注意すべきことは、室町時代になると訴状・陳状の日付の後に「御奉行所」などと充名を書いたものが出てくる点である。
これは私文書が混ざるようになって来て、区別するために変化したようである。




参照文献 佐藤進一著「新版 古文書学入門」


堅紙と折紙は基礎で説明したので割愛。
2回、3回と判決が納得できず上告する場合には別の呼称があるのだが、鎌倉時代のものなので端折りました。

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【4-1a解状(げじょう)】古文書学入門(改)

公式令(くしきれい)に規定された文書様式の一つに解(げ)があった。
公式令の規定では、解は被官から所管へ、つまり管轄関係にある下級の役所から上級の役所へ提出する文書であったが、これを拡張して個人からその所属官司や一般の上位者に提出する場合も用いた。
これよりして解が後世広く個人の請願・訴訟・請求などに用いる文書様式のもととなったのである。

平安時代のおよそ10世紀末頃になると「何某解申請何々事」という本来の解の書出しの次に、本文の要旨を略記した「請・・・状」という短文を加えた様式が現れる。
これが解文(げぶみ)・解状(げじょう)と呼ばれるものであって、広く国衙・社寺・荘園関係に用いられるようになった。

解状・解文にも色々の書き方はあるが、しかし書出しに「何某(差出者)解 申何々事」と記し、書止めに「以解」と記す点において一致している。

鎌倉時代になると解状・解文の呼称はあまり用いられなくなり、一般には申状という名称だけが残った。




参照文献 佐藤進一著「新版 古文書学入門」
難しかった^^;
8ページ分を凝縮したので、かなり端折ってます^^;

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【4上申文書(じょうしんもんじょ)プロローグ】古文書学入門(改)

個人が、
政府
彼の所属官司
支配者などに提出する文書のことを言う。

例えば
官位の授与を請願する文書
訴訟文書
命令に対する報告書
物品の請取書
戦闘や事件に際して主人の元に馳せ参じたことを証明する着到状
戦闘に参加したことを証明する軍忠状など、この種の文書を上申文書と称する。




参照文献 佐藤進一著「新版 古文書学入門」
みんな、こういうのが知りたかったんじゃないかな(・_・)

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【3-5印判状(いんばんじょう))】古文書学入門(改)

武家文書の主要様式として、最後に挙げられるのは印判状である。
花押の代わりに印章を捺印した文書であって、室町時代に起こり、戦国時代に入って急速に広まり、江戸時代に及んだ。
当時、印章を印判と呼んだのでこの呼称がある。

印章は宋元の文化がもたらされるに及んで、当時中国で行われた印章使用の習慣が伝えられて、まず禅僧が鎌倉時代中期からこれを用い、ついで禅宗に帰依した武士がこれを用いるようになった。

印章が花押の代わりに文書に用いられるのは、花押のように本人でなければ書けないという性質を持たないことと、簡便さが注目されたからであろう。
当主が幼少で花押が書けない場合、手に負傷して書けない場合などに印章を捺印した。

戦国大名相互に取り交わされる文書、つまり対等の礼をとる必要のある文書には通例印章を用いない。
印章が領内民政関係文書に主として用いられたのは、厚礼を要しない事、及び同文の文書を大量に発給する必要があることなどが、初期の使用理由であったと考えられる。

印章の使用は東国に圧倒的に多く、西国に少ない。
大内氏・毛利氏は使用しなかったらしく、大内氏の印と伝える「大宰大弐」印が毛利家に伝わっているが、この印を捺印した文書は発見されていない。
九州では島津義久・大友宗麟が印章を使用しているが、その用途は花押の代用と見てよく、民政文書には用いていない。

印肉の色について言えば、まれに紫色、青色の例があるが、大部分は朱か黒である。
この場合、朱印は厚礼、黒印は薄礼であるから、私事や軽微な用途に黒印を用い、一般に民政には朱印を用いた。




参照文献 佐藤進一著「新版 古文書学入門」
やった~~武家様文書完了!
次はラスト~上申文書だ!!

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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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