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島津家久君上京日記_豊前訪問なぅ-5

参照---行橋市史・資料編・中世
出典---旧記雑録後編一より

家久君上京日記とは~ウィキペディアより抜粋
天正3年(1575年)、島津氏の三州平定の神仏の加護を伊勢神宮などに謝するため上洛した。
この時の上洛の顛末は家久自身が『家久君上京日記』という旅日記にまとめている。


家久君は、いえひさぎみ・・・と読みます。
決して、いえひさクンとは読まないように (`・ω・´)キリッ



※原文、参照元では非掲載
青文字⇒読み下し(参照元)
ふつうの文字⇒超意訳(ブログ管理人シオ^^)

一、八日、みの嶋といえるところ一見
(3月)8日、簑島(中津郡)といえるところ一見

一、九日、牛刻ニ伊摩井を打立、
(3月)9日、牛の刻(AM11:00~PM13:00)に伊摩井(今居)を出発

未程にかんたの町を打過、
未(ひつじ・PM13:00~15:00)くらいに、かんた・・・苅田(京都郡)の町を過ぎて、

曽祢といへる村、権童次郎といへるいやしからぬニ一宿
曽祢という村へ入り、権童次郎という方の(・∀・)イイ!感じのとこに一泊

========================================
う~ん、「いやしからぬ」の部分が泊めてくれた権童次郎を指してるのか、宿泊先の雰囲気にかけてるのか微妙~

人物・良い家久
監修様提供、島津家久公イメージ画像

書くの忘れてたが、この旅行の間は家久公一行は山伏コスプレで変装してたんです。
ただ英彦山でVIP待遇受けたり、城井氏の隠居所を見学しているので、一部では島津の御曹司たる身分を明かしてたって事になります。

それで実は、なんですが、筑前の英彦山と豊前の城井氏は潜在的な反大友勢力でした。

英彦山は、大友氏に対し度々反旗を翻した筑前の国人領主・秋月種実と同盟関係。
豊前・城井氏もカテゴリ「豊前・城井氏」で紹介したように秋月と同盟関係でしたし、秋月の動きとは別に、大友の分家が謀反した時に謀反側に加担したりとかとかなどなど、大友に対し反抗的な国衆です。

島津エリアを出た家久公は、大友エリア内における反大友勢力(大友が勢力ある時期は、大人しくしてるだけ)を通過してたわけです^-^

北九州の外交関係を判ってると、そういうものも史料から読み取れるわけでして、
ガチ研究となると研究対象が肥前という限定された地域で、
かつ北と南が絡むのが天正年間であっても、基礎知識として北と南、双方の歴史的経緯を抑えるのが必要になるのです(`・ω・´)キリッ

なんてね(^ -)---☆Wink
単純に応永年間や文明年間や明応年間とかとか室町中期~戦国初期が好きなんです 川* ̄д ̄*川ポッ
萌えすぎて、本業の肥前研究までもが、未だ明応年間前後をウロウロしてますil||li _| ̄|○ il||l 
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

島津家久君上京日記_豊前訪問なぅ-4

参照---行橋市史・資料編・中世
出典---旧記雑録後編一より

家久君上京日記とは~ウィキペディアより抜粋
天正3年(1575年)、島津氏の三州平定の神仏の加護を伊勢神宮などに謝するため上洛した。
この時の上洛の顛末は家久自身が『家久君上京日記』という旅日記にまとめている。


家久君は、いえひさぎみ・・・と読みます。
決して、いえひさクンとは読まないように (`・ω・´)キリッ



※原文、参照元では非掲載
青文字⇒読み下し(参照元)
ふつうの文字⇒超意訳(ブログ管理人シオ^^)

一、七日、紀伊殿といへる人の隠居所を一見、
(三月)七日、紀伊(城井)殿という人の隠居所(館?)を見ました。

それより行ハ、左の方ニ馬のたけとて長野殿の城有、
そこから左の方へ行くと馬岳(京都郡)で、長野殿の城が有ります。

さて伊摩井の町矢野次郎五郎といへる者のところへ一宿、
さて伊摩井(今居=中津郡)の町、矢野次郎五郎という者のところへ一泊、

夜入て辻雅楽助といへる人、す**食籠調候て、
夜になると辻雅楽助(うたのすけ)と言う人が、食籠(じきろう)を調えてくれました。

慶雲といへる禅門同心にて語りに来たり候
慶雲という在俗の僧侶が物語に来てくれました。ゎーィ♪ヽ(*´∀`)ノ

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突っ込む訳じゃないが・・・
当時の人って当て字が多くて、聞いた言葉を思いつくままテキトーに漢字ふってる。

それは判るが・・・・
今居を伊摩井って、一文字ごとに漢字チョイスって凄すぎじゃね?
これが戦国薩摩人の一般的な感性なんだろうか・・・そもそも南九州は難読地名が多いしな~(-ω-;)ウーン


>す**食籠調候て、

ここは欠落文字があったんで、ちとテキトー意訳^^;
食籠(じきろう)って言葉自体は《食物をいれる蓋付きの身の深い容器》のことだそうです。
だから、晩御飯(酒の肴?)をゴチになったのではないかと・・・^^

薩摩隼人だからな~家久公も酒が強かっただろうな~
人物・良い家久
監修様提供~島津家久公イメージ画像^^

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島津家久君上京日記_豊前訪問なぅ-3

参照---行橋市史・資料編・中世
出典---旧記雑録後編一より

家久君上京日記とは~ウィキペディアより抜粋
天正3年(1575年)、島津氏の三州平定の神仏の加護を伊勢神宮などに謝するため上洛した。
この時の上洛の顛末は家久自身が『家久君上京日記』という旅日記にまとめている。


家久君は、いえひさぎみ・・・と読みます。
決して、いえひさクンとは読まないように (`・ω・´)キリッ


※原文、参照元では非掲載
青文字⇒読み下し(参照元)
ふつうの文字⇒超意訳(ブログ管理人シオ^^)

一、六日、政所より太刀一腰、同種々の祝物拝領、
(3月)6日、政所より太刀一振と他色々なお土産を頂きました(*´pq`)クスッ

それより打立候へは、又馬二疋にてほほはしらといえる所迄おくられ候、送の者へ何やらんとせ、
それ(英彦山)より出発し、また馬二頭にて ほほはしら・・帆柱(豊前中津郡)と言う所まで送ってくれました。ゎーィ♪ヽ(*´∀`)ノ
で、送りの者へ御礼しました。

さて其夜は紀伊のうち墻といえる村に一宿、あるしハ常心といへる禅門
さてその夜・・6日の夜は紀伊(城井)のうち墻(かき?)という村に一泊。
宿の主は常心という禅門・・・在俗の僧侶でした^-^

===============================================

大河ドラマでは豊前・城井氏を宇都宮~宇都宮~と、関東の御本家の名前で呼んでましたが、
戦国時代は土地の呼称でもある城井(きい)姓だったんです。

家久公、「きい」って聞いたけど漢字が判らず(城井って書いて「きい」って土地っ子でないと読めんわ)、
当て字で紀伊と書いたようです^^

人物・良い家久
監修様提供、島津家久公イメージ画像~川* ̄д ̄*川ポッ 

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島津家久君上京日記_豊前訪問なぅ-2

参照---行橋市史・資料編・中世
出典---旧記雑録後編一より

家久君上京日記とは~ウィキペディアより抜粋
天正3年(1575年)、島津氏の三州平定の神仏の加護を伊勢神宮などに謝するため上洛した。
この時の上洛の顛末は家久自身が『家久君上京日記』という旅日記にまとめている。


家久君は、いえひさぎみ・・・と読みます。
決して、いえひさクンとは読まないように (`・ω・´)キリッ



※原文、参照元では非掲載
青文字⇒読み下し(参照元)
ふつうの文字⇒超意訳(ブログ管理人シオ^^)

一、(三月)五日、山上仕、各々も参候へハ、行者堂ニ嶺入の衆つとめされ候、
3月5日、山(英彦山)へ上がり、各々も参ると、行者堂という嶺入の衆(=山伏たち)が、お勤めしてました^^/

おのおのかひをふきつれ侍るをきき、心も天かけるやうにて帰り、
各々(山伏たち)が、かひ(=法螺(ほら)貝)を吹いているのと聞くと、
躍動感イパーイ♪ヽ(*´∀`)ノ 心も天を駆けるように帰りました。

さて坊中一見し、般若坊といへるに類なきひさくらあり、
さて、坊中(英彦山にある坊) 一見・・・いっけん・・・あちこち見学してると、般若坊と言うところに類(たぐい)なき、ひさくら・・・緋桜がありました (人´∀`).☆.。.:*・

**************************************************

ちなみに参照元には掲載してないけど、2月には薩州家6代目・島津義虎のとこを訪れてます。
義虎は酒宴を開いて家久君を歓待したそうな^^

なんか、ほとんど修学旅行生の旅日記的なノリで、なんだか可愛い 川* ̄д ̄*川ポッ 
変体漢文の読み下しと違って、口語体だから余計に可愛らしく感じちゃうな~川* ̄д ̄*川ポッ 

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島津家久君上京日記(豊前訪問なぅ)

参照---行橋市史・資料編・中世
出典---旧記雑録後編一より

中書さぁ、なんつー当て字のオンパレードですか,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!
参照元で読み下し済だから楽勝と思いきや~~
こりゃ、意訳に意外と手間取るかも( ̄ω ̄A;アセアセ
ちょびっとずつ行きます__φ(.. ) メモメモ

(三月)
一、四日、彦山より参詣仕ましき覚悟なりしかとも、態使僧馬二疋ささせられ候而、頻りにとありし間、不慮に参詣候、


<<超意訳>>
三月四日
英彦山へ参詣GO(`・ω・´)キリッって決意してたけど(英彦山から)態々(わざわざ)使僧と馬二頭で来られて、
頻(しき)りに・・・ぜひぜひって進めるから、不慮・・・ふりょ、思いがけず参詣したで候(`・ω・´)キリッ

当政所より道迄御酒持参、山臥五六人迎に来たられ候、それより政所へ着、種々の会尺、風呂なとも有、是よりも神物なと候、

当(英彦山の)政所より道(途中)まで山臥(山伏)5、6人が、御酒持参で迎えに来てくれた(*´pq`)
で、政所に着いて、いろいろ会尺(=会釈、えしゃく)・・・挨拶しまして風呂も有り。
是(英彦山)よりも神物(=進物・しんもつ)・・お土産貰いVIP待遇受けました__φ(.. ) カキカキ

この当時は風呂を用意してもてなす・・・って、VIP待遇だったんです^-^
いまみたいにシャワーやサウナが、スーパー銭湯にあるような時代じゃないので、
湯を沸かす以前に水汲み薪割りからスタートですからね(^ -)---☆Wink

家久君上京日記とは~ウィキペディアより抜粋
天正3年(1575年)、島津氏の三州平定の神仏の加護を伊勢神宮などに謝するため上洛した。
この時の上洛の顛末は家久自身が『家久君上京日記』という旅日記にまとめている。


今回アップ分は、その一部です^^
これは研究ではなく、個人的に島津家久ファンなので(*´pq`)クスッ

ちなみに家久君は、いえひさぎみ・・・と読みます。
決して、いえひさクンとは読まないように (`・ω・´)キリッ

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プロフィール

時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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