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大河2014_裏小説【黒田家の陰謀_8・最終回】

熊本県玉名郡玉東町に宇都宮神社がある。
祭神は三つ。
・春日皇大神(武甕槌命,経津主命,天児屋根命,比売神)
・南北朝時代に活躍した肥後宇都宮氏の最後の当主
・黒田家の刺客により非業の死を遂げた、城井朝房(きのい ともふさ)

尊敬する黒田官兵衛の頼みで、城井朝房が殺されるのを「見て見ぬふりした」加藤清正だったが、
余りに悲惨な現場(焼き殺された)に、祟りを恐れ朝房の鎮魂のために、朽ちていた「宇都宮神社」を再建し、朝房を祭神としたのです。

一方、黒田長政ですが城井鎮房(きのい しげふさ・朝房の父)を殺した時の刀・兼光を、
「城井兼光(刀は福岡の美術館で現存)」と呼び、己の武勇を誇った・・
と、ありますが、ほんとのところは「魔除けの守り刀」だったりして(*´pq`)

というのも、城井家を騙し討ちして以来、長政の夢枕に毎夜、城井鎮房の亡霊が現れたからです。
城井にトドメを刺したのは後藤又兵衛で、作戦立案は父の黒田官兵衛なのですが、
なぜか亡霊は吉兵衛長政クンのとこに出たそうな,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!

とにかく亡霊を鎮めるために黒田家では中津城内に「城井神社」を建立したのです。
その「城井神社」ですが、関ヶ原の論功で中津から福岡に引っ越すときに、神社も福岡城内に移してます。
黒田家では、秀吉の手前、仕方無いとはいえ余程後味の悪い出来事だったのでしょう。
ちなみに官兵衛が息子・長政に家督を譲ったのは、城井抹殺の翌年でした^-^

家紋・黒田(黒田家紋ロゴ)

さて、話を大河の裏主役の竜子(城井朝房の妻&秋月種実の長女)に戻しましょう。
舅である城井鎮房の配慮で、城井谷を脱出した彼女は兄嫁の実家でもある筑前の霊場・英彦山(ひこざん)で匿われ、無事男子を出産しました。
その後、母子ともども竜子の実家である秋月家(日向・高鍋3万石)の保護を受けたのです。
黒田家の追手が届かなかったのは、小大名とはいえ歴とした武家の保護下にあったからでしょう。

そして城井一族抹殺から11年後の慶長4年(1599年)のことです。。。。

「母は、じきに旅立ちます」
「母上、、、わたくしは御供できぬのですか?」

末房(幼名が解らなかったので諱の方で)が、心細げに訴えた。
「なりませぬ!そなたには城井家の御家再興という重大な使命があります。それに母は相良家に嫁ぐのです。連れ子を同行させることは出来ません」

竜子は心を鬼にして厳しい口調でハッキリと伝えた。

「そなたが、こうして無事にいるのは、秋月家の保護があったればこそです。その恩に報いねばなりません。」
「大恩ある秋月の兄上(秋月種長)から、秋月のために相良に嫁いでくれと頼まれて、これに応えなければ人ではありません。」
「そなたが無事、元服を迎えるまでは秋月の世話になるのですから、兄上によくよく頼んでまいりましょう」
「城井の御家再興については、下野の本家・宇都宮家が動いて下さってます。元服の暁には関東へ出向き、宇都宮家を頼るのですよ」
「宇都宮の本家の皆さんには頭を低くして、分家の分際を超えてはなりませぬよ、何事につけ御本家を立てるのを忘れてはなりません」

そして竜子は文箱を取り出し、末房に渡すと言った。

「この文箱には城井谷の旧家臣と交わした文が入ってます。今後は、そなたが預かり折々に文を交わし互いの消息を知らせるのですよ。」
「一人前になったら、城井谷に行って、そなたの成人した男姿を家臣たちに見せるのです。」
「病は気から・・と言います。不用心して風邪ど引くような不心得があってはなりませぬよ」

「・・・・っ」言葉を続けようとして竜子は思わず涙が零れた。
(いけない、わたくしが気弱になっては、残される末房が不安になってしまう)

涙を呑みこむと、竜子は再び口を開いた。
「最後に重要なことを言い渡します。そなたの父と祖父・一族を卑怯にも騙し討ちした黒田家への報復は、ゆめゆめ考えてはなりませぬ。そのこと、この場で母と約束するのです」

末房は目を大きく開き驚きの表情を浮かべた。
「母上、なぜですか?一族の仇を討ってこその御家再興ではありませぬか?」

(こういう気かんきなところは、わたくしの子供の頃に似てる・・)
「そなたが、黒田家の仇討を公儀(この場合は豊臣政権)に訴えたらどうなると思いですか?」

竜子が尋ねると末房は訳が解らないといった表情を浮かべた。
「そうなれば、黒田家は全力でそなたを潰しにかかるでしょう。」
「そなた一人だけで事は治まらず、宇都宮の本家、秋月家、そなたが産まれるまで匿ってくれた英彦山の座主さま・・たくさんの人に御迷惑が及びます」
「恩を仇で返すことになっては申し訳が立ちません。仇討のことは考えず、一筋に御家再興のみを目指すのです。さすれば道は必ず開けます」

「わかりました!約束します。御家再興のみ考えます・・・さすれば・・・きっと大丈夫ですね!」
末房は竜子の口クセ「きっと大丈夫です」をいつの間に覚えて真似するようになっていた。

(まぁ・・・この子ったら・・・)
そばで控えていた侍女たちが、末房の健気な返事に袖を抑えて泣いていた。

慶長4年(1599)6月8日、秋月竜子は相良頼房(後の人吉藩初代藩主)へと再嫁した。
でもって翌年の12月13日に嫡男・頼寛(よりひろ)を産んでいる。
没年は1634年1月31日、享年63歳・・・波乱の生涯でした(-人-)☆彡

********史実への道************
実は相良頼房に嫁いだ竜子は、同じ秋月種実の娘でも別人説がある。
出典は『高鍋藩史話』
『種実には八人の娘があり、
長女タツは初め宇都宮弥三郎(城井朝房)に嫁し不縁となり、入江主水に嫁して一子”斉宮”を生んだ。
次女は僧に嫁し、墓は京都法園寺にある。
三女は加藤清正の臣 加藤右馬允に嫁し、
四女は馬ヶ岳城主・長野三郎左衛門に嫁し、種長の養子となった種貞を産んだ。
五女は平戸の松浦家に、六女は人吉の相良家に、七女マツは板浪清左衛門長常に、八女クフは秋月蔵人直正に嫁した。この内、末の二人は薄命の終りであった』。

では、これで決まりかというと六女の名前が不明&秋月家の系図は一部不明な点がありで特定できない^^;
それと長女・タツが生んだとされる入江斎宮は正保元年に出奔(理由不明)し、系譜上で辿れなくなってて調べきれない^^;
そのため通説通り竜子が再婚した事にしました^-^
****************************************

城井家の御家再興は結果から言えば不発に終わった。
一時は順調でして、分家と仲良し御本家・宇都宮家の城井氏御家再興運動が実を結び、徳川家康の息子・結城秀康が働きかけてくれたのだ。

末房は徳川家康に拝謁することに成功し、「朝末」という名前を貰い、
「大坂の陣」の働きで御家再興(つまり直参旗本に取り立てる)しよう~という手形を貰った。
朝末は、旧城井家臣とともに出陣~~ところが直前に病となって倒れ、無念のうちに亡くなってしまう。il||li _| ̄|○ il||l

だが天は城井家を見捨てなかった。
死んだ朝末には春房(一時期は秋月の通字を入れて種房だった)という男子がいて、
やっぱり本家の宇都宮家が面倒を見た結果、春房の子・信高の代で越前松平家藩士として家名存続に成功明治まで続く。

越前松平家でも亡き結城秀康が請け負ってただけに、城井家の不運に同情し「何とかしてやりたい」との配慮が働いたようだ。
とはいえ秀康死後、派閥争いでグダグダになってた越前松平家で、微禄でも城井家が藩士として召し抱えられたのは奇跡に近いだろう。
ちなみに、このころには城井は宇都宮姓に復姓してたらしいので、大河も丸っきり間違いではないとも言える^^;

黒田家の城井抹殺に関しては長いこと温めてたネタで「いつかやりたい話」の一つでした。
ほんとは福岡藩初代藩主編でやりたかったけど「九州の関ヶ原」を描く過程で盛り込むことが出来ず、下書きストックだけしてて温存してました^^

で、ちょうど大河で城井一族が登場したので、便乗した次第です。
ホントは、ちゃんとした歴史記事で郷土史紹介すべきだったかもですが、
本業で史料購入してる都合で、お財布的に他地域の史料入手が出来なかったんで、ゆるく小説ってスタイルにしました。
長編かつ素人の趣味にお付き合いありがとうございました。m(__)m

大河の放送に合わせて猛スピードで更新してたので、また歴史記事のほうはマイペースに戻しますので、宜しくお願い致します^-^
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

大河2014_裏小説【黒田家の陰謀_7・惨劇】

1588年4月20日・・・黒田家の誘いに応じて中津に着いた城井鎮房(きのい しげふさ)は、家臣を合元寺に置いて、わずかな供回りで中津城へと向かった。

中津城は当時まだ未完成だったので、城下は城普請の活気に溢れていたことだろう。
待機を命じられた家臣たちは供を申し出たが、既に覚悟していた城井鎮房は断ったのだった。

黒田官兵衛の嫡男・吉兵衛長政の元へ側室として(実態は人質)上がった娘・鶴姫に会わせようと言う触れこみだったが、
広間に通されると案の定、鶴姫はおらず、潜んでいた黒田兵に取り囲まれて襲撃を受けた。
城井は実は怪力・豪傑として有名を馳せており、さしもの黒田兵も中々仕留めることが出来ず手こずった。

文字通り黒田兵を千切っては投げ~という感じで奮戦したのだが、
供の家臣が一人・また一人と討たれ、多数で取り囲んでの攻撃に、流石の城井も体力の限界が近づいてきた。
息切れがしてきたところを見計らい、黒田吉兵衛長政が名刀・兼光で斬りかかり、城井の体勢が崩れたところを、後藤又兵衛基次が槍で仕留めた。

城井家の当主、城井鎮房・・・黒田家に騙し討ちにあい殺される・・・享年53歳
主君の帰りを待っていた城井家臣にも、黒田兵が差し向けされて、たちまち合元寺の境内は闘争の場となった。
必死の抵抗を試みた城井家臣だったが、完全武装の黒田兵に次々と討たれ、全員殺されたのだ。

合元寺の壁には、城井兵の返り血がベッタリとこびり付いた。
不思議なことに、その血はふき取り壁を何度塗り直しても浮かび上がって消えなかったのだと言う。
寺では仕方なく壁一面を真っ赤に塗ったそうだ。
現存する合元寺の壁は今でも真っ赤・・・赤すぎて怖いので画像貼るの止めました^^;;

実は合元寺で城井家臣が待機してたのは縁故があったからです。
住職が城井鎮房の息子だったの・・・( ̄ko ̄)チイサナコエデ
だから「赤い壁」にしたのは、住職であった城井家・次男の黒田に対する「ささやかな抗議」だったのかもです。
城井鎮房の娘・鶴姫も捉えられ、広津河原で侍女とともに磔にされて殺された。

*********史実への道********************
★裏フィクションでは側室って扱いにした鶴姫ですが、城井サイドの伝承だと正室として嫁ぐ事になってるんで、
既に正室(糸姫)も一女もいる長政相手だと、完全に結婚詐欺です,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!
伝承が、あんまり設定に無理があるんで無難に側室ってことにしました^^;
*********史実への道・2********************
鶴姫の最期は豊前における伝承でして黒田側の記録と違います。
自分は内容未確認ですが、黒田家譜によると鶴姫は城井谷に戻ると尼となって一族の菩提を弔い生涯を終えたことになってます。
城井一族の悲劇に関しては、御家再興運動の一環で江戸期に盛んに宣伝活動をしてたらしく、講談本で書かれていくうちに話が盛られていったようなんです。
城井姓を宇都宮姓と書いているのも江戸期講談(=現代における時代小説)です。
近年では鶴姫の最期は黒田家側の記述が妥当でないかという見方も出ているそうです。
**************************************************
人物・黒田如水(今回はダーク役な黒田官兵衛)

4月24日・・・肥後の一揆・残党狩りのために従軍していた城井の嫡男・朝房(ともふさ)にも悲劇が待っていた。

家臣壱「若殿!煙が・・・火事です!」
朝房「なに?火元はどこじゃ?すぐに消火にあたるのだ!」

家臣弐「それが火元は宿坊の中ではございません!煙は外から入って来ます!」
朝房「?どういうことだ?外が火事なのか?誰ぞ、様子を見て参れ」

家臣弐「若殿!出入り口が全て外から閂(かんぬき)が掛かっております!外へ出られません!!」
朝房「???いったいどうしたことじゃ」

その間にも煙は宿坊の中に入ってくる。
「ゲホ・ゴホ」息苦しくなってきた朝房と家臣たちは、煙を避けて台所の土間へと集まった。
家臣の一人が煙で涙が止まらないを堪えて、格子を開けて外を覗き見た。

家臣参「若殿!宿坊の周囲には兵がビッシリと取り囲んでおります。これは何者かの襲撃です!」
朝房「夜陰に忍んで火を掛けるとは、肥後の一揆衆の残党の仕業か?」

家臣弐「火は隣の加藤主計頭(かずえのかみ=清正のこと)も気づいているはず、おっつけ助けが参りましょう!」
家臣参「若殿!これは一揆衆ではありません!旗指物はありませんが騎馬武者の甲冑に見覚えが・・・吾らを取り囲んでいるのは黒田家の兵です!!」
朝房「~~~~~~~~さては黒田ぁぁぁ!謀りおったなぁ~~!!」

朝房は土間を駆け降り格子を開けた。煙が格子の合間から、どっと入ってくる。
煙を吸い込まぬように夜着の袖で鼻と口を防ぎながら、外へと向かい叫んだ。
朝房「(# ゚Д゚)・;'.和議を結ぶとウソをつき、武士にあるまじき卑怯な騙し討ち!これが黒田の陣法か!」
黒田家の兵士たちは無言のままだった。運良く抜け出す城井兵がいたら撃とうと鉄砲を構えている。

そのころ加藤家の宿坊でも、隣の宿坊から火の手があがり騒ぎになっていた。
加藤家臣「殿!城井の宿坊が火事です!こちらに類焼する危険もありますゆえ、鎮火の加勢に参りましょう!」

主計頭清正「捨て置け!こちらに火の粉が飛ばぬようにだけ注意するのだ」
加藤家臣「は?」
主計頭清正「我らは何も見なかった、聞かなかった、城井の宿坊は我らの加勢の甲斐無く焼け落ちるのだ・・・よいな!」

加藤家臣「・・・畏まりましたm(_ _)m」
清正の家臣も何事か起きているのを察し、主の言葉に従った。

(これが官兵衛殿よりの依頼なのだ・・・致し方ない・・・( ̄^ ̄;))
清正は苦い薬を嚥下するような、込み上げてくる複雑な心中にフタをするのに、一晩苦悩する羽目になった。

「ゴォォォ・・・バキバキ・・・」火が炎となって建物を駆け巡る音とともに、宿坊の何処かが崩れた轟音がした。
朝房「・・・・もはや、これまで・・煙に巻かれて見苦しい死に様を晒すくらいなら腹を切る!」
  「皆の者!これが今生の別れじゃ、この上は共々に魂魄となって城井谷へ帰ろうぞ!」
城井家臣「応!!」「若殿!御供仕る!」

朝房は家臣たちの返事に「うむ」と答えると、短刀でもって一気に腹を一文字に切った。
(父上・・母上・・・無念でござる・・・竜子、そなたの元へ無事に帰ることは叶わなんだ・・・無事に腹の子を産んでくれ・・・!!)
やがて劫火が宿坊を押し包み、轟音とともに建物が崩れ落ちた。

夜が明けて、怖いもの見たさで現場を見に行った加藤主計頭清正は、余りの凄惨さに息を呑んだ。
人肉の焼けた時に発する独特の臭気が充満し、息をするもの気持ちが悪い。

直接に手を下してないとはいえ、黒田の片棒を担ぎ、事態を傍観して朝房を見殺しにしたことに変わりは無い。
後難の祟りを恐れた加藤主計頭は朝房を祀り、その御霊を鎮めるための神社を建立したのだった。
(※現存:宇都宮神社、正確に言うと再建です)
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若いころの加藤清正は、あまりにも負けず嫌いが嵩じるあまり、後年の慎重さ思慮深さには欠けていた。
天才軍師と謳われた黒田官兵衛が、若い加藤清正の行動を操ることなど簡単なことだっただろう。
清正が我々が知ってる名将になるのは「朝鮮の役」での苦難を経て、更には「関ヶ原の戦い」で人の心の裏表を、イヤというほど経験してからだと思う。
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城井一族と城井の分家・野仲家が、黒田家によって滅亡したことを知り、豊前・中津の国人たちは全ての抵抗を諦め、黒田の軍門に従った。
城井谷の領民は「良き殿様」だった城井家を懐かしみ、黒田家に心から懐くことは無かった。

それもそのはず・・・新領主が黒田家になってから税率が、倍増したから。
これは黒田家が意地悪や見せしめに城井から搾取するために重税になったのではなく、豊前黒田領全体の話です。

1・太閤検地により土地の計測方法が変化して税率が増えた
2・秀吉の築城趣味(聚楽第・伏見・大坂etc~)と、遊び(北野大茶会や醍醐の花見など)のため相応の諸役に応じるため税率増えた
3・朝鮮の役の出兵のために・・以下略
4・豊臣政権は首都・大坂、政都・伏見のため大名屋敷が二ついるため維持管理のため(涙目の以下略

但し正確な増税比率などは、自分が知識不足なんで判らなかった^^;
ですが太閤検地そのものが、無税だった隠し田などを正確に把握する意図もあるので、程度の差はあれど必然的に税率は上がります。

絢爛豪華な桃山文化の主役・豊臣政権のために各大名の財政は破綻寸前で、民力を休ませるなど到底出来ません。
黒田家も自分たちの本城・中津城の築城さえ半ばでストップしたままだったほどです

だから黒田官兵衛はケチで倹約して、貯め込んだ金で「大名貸し(つまり大名相手に金融業です)」して財テクに励んだのです。
・・・え?・・・貯めた金で中津城を完成できなかったの?・・ですか?
いかにビンボのドン底であっても「いざ出陣!」のための軍資金に手を付けないのは武家の心得です!(`・ω・´)キリッ

でも城井谷の領民には黒田家の台所事情なんて解りませんし、黒田家にとっても財政状態は社外秘です。

城井谷の母親たちが、幼子に聞かせる御伽話のなかで「良い殿様」とは城井家のことを指すし、
近代まで酒席や祝い事で、黒田武士の心意気を唄った「黒田節」を唄うことは無かったそうです。

鎌倉から数百年続いた城井家の嫡流は滅亡しました・・・・
あ、いえ一筋の光明が残っています。
英彦山に逃れて密かに出産した朝房の妻・竜子が、見事・男子を出産したのです!それは・またの話 by^-^sio

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大河2014_裏小説【黒田家の陰謀_6・死への招待】

********史実への道*************************
城井の降伏の取次をしたのは、実際は援軍に入った吉川広家だったそうです。
城井は僧形となり号は宗永。
吉川家文書に遣り取りの書状が残っているそうですが内容が確認できなかったのと、
大河裏フィクションなんで伝承通りで行きます^^/
***************************************

外交僧で秀吉の取次の一人だった安国寺恵瓊。
彼には交渉の成功報酬として、大名たちから多額の礼金が支払われた。

表の帳簿に出ない収入でもって、恵瓊は沢山の茶道具を買ったり、幾つもの寺院を改築・修繕・移築などを行っている。
おそらく黒田家からも恵瓊には、相応の礼金が支払われたことだろう。

「城井家との和睦」が公用(秀吉の命令)か、はたまた私用(黒田家個人の依頼)だったのか、
当事者(恵瓊)が死に、黒田家の記録も沈黙している以上、真実は闇の中である。

援軍だった吉川軍には攻撃を手加減させて、和睦の交渉は高名な安国寺恵瓊。
城井家を油断させるために、稀代の軍師・黒田官兵衛の仕掛けた巧妙な罠を、
いったい誰が見抜けるだろう・・・

城井家では、自分たちの要求(本領安堵)が通ったと信じて疑わなかった。
和睦の条件に従い、籠城に詰めていた兵士・地侍たちを、それぞれの村に帰し、
当主・城井鎮房(きのい しげふさ)の愛娘・鶴姫(13or16歳)を、官兵衛の嫡男・吉兵衛(黒田長政のこと)へ側室として輿入れさせた。

さらに喜ばしいことに、城井家の嫡男・朝房(ともふさ)の妻・竜子(秋月種実の長女)が懐妊した。
あとは、もう一つの和睦の条件「嫡男・朝房が肥後一揆・残党鎮圧に出陣すること」を果たすだけだ。
鎌倉幕府・守護職の家柄・・名族・城井家の行く末は安泰のはずだった・・・・。

1588年2月9日~足利義昭(出家して昌山道久)が将軍職を朝廷に返上・これにより室町幕府は正式に幕を閉じた
同年3月10日~黒田官兵衛による「城井家抹殺計画」が始動する

人物・黒田如水
(幸麿さん作画・今回はダークな役の黒田官兵衛)

3月上旬・城井家の嫡男・朝房が兵を引き連れて肥後へ出陣した。
到着した先の肥後では、黒田官兵衛に因果を含まれた加藤清正が待っている。
加藤清正は、この時から「(外聞が悪くて)人には言えない黒歴史」を黒田官兵衛と共有してしまう。

同年・4月8日~黒田官兵衛は城井家の分家・野仲鎮兼(のなか しげかね)を攻撃し滅亡させる
野仲家は竜子の弟・高橋元種と過去に同盟関係にあり、九州征伐の前哨戦でも豊前で抵抗を続けた。

だが黒田・吉川・小早川の攻撃により各個撃破され、已む無く降伏したものの不満が残り、本家・城井の謀反に加担していたのだ。
本家と分家で強力タッグを組んでいたのが、和睦で兵を撤退し完全に油断していたので、ひとたまりも無かった。

そして城井家では「分家の野仲家滅亡」の知らせを聞いて、初めて黒田家に騙されたことに気づいた。
再び謀反を起こそうにも、肝心の兵力は嫡男・朝房が引き連れて肥後へ出陣してしまい、留守兵しかいない。
しかも「和睦の条件」だったので、愛娘・鶴姫は黒田家の中津城内にいる!

朝房を肥後一揆の残党狩りに連れ出したのは、父・鎮房と引き離し城井谷の兵力を分散させるため!
鶴姫を黒田吉兵衛の側室にしたのは、和平のためでなく城井が抵抗できないように人質として盾にするため!
領地安堵もウソ!恵瓊の交渉も城井を油断させる為、その場限りの言葉で何もかもがウソだった!


そして黒田家から「ご息女の鶴姫は健やかに過ごしておいでです。久しぶりに親子で語らっては如何です?ぜひ中津城へ遊びに来て下さい^-^ニッコリ・・・と、招待の文が来た
家臣たちは「これは罠です!行けば黒田の者に殺されます」と必死で止めたが、
城井鎮房は「もはや逃れようも無いことならば、逃げ隠れせず招待に応じよう」と行くことを決意したのだった。

***********************************************

「義父上さま!いま何と仰せになられました?!」竜子は己が耳を疑い舅・城井鎮房に問い返した。
「明後日・・・ワシは黒田の正体で中津城へ参る・・・そなたは離縁するゆえ、実家の秋月に帰るのだ。」
舅の言葉は、竜子には余りにも無体・無常に響いた。

「義父上さま!城井の一大事に、わたくしだけが城井谷から出されるなど余りにも情けなきお言葉。」
「わたくしに何か至らぬことがあれば何なりと申し付け下さい!」
「どうか、ここで殿(竜子の夫・朝房のこと)の帰りを待つことをお許し下さい!!」
竜子の懇願は尤もなことだったが、こればかりは許すわけには行かない。

「竜子殿・・・・・・・・・・・・・息子のことは諦めてくれ・・・」
「何もかもが罠だった以上、あれが生きて戻ることは無い・・・」
「おそらくワシも中津で死ぬ・・・であれば、そなたの体内にいる赤子が城井嫡流の血を引く最後の子になるやもしれぬ」
「嫁としての務めを全うしたいと願うなら、城を出て何としても生き延びて子を産んでくれ」

「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!」竜子は声も無く涙を堪えるので精一杯だった。
舅で当主である城井鎮房の言葉は絶対だ。
嫁の立場で逆らうことなど許されない。
たとえ、それが悲しい知らせであっても「城井谷で待ちたい」という竜子の願いは叶うことは無いのだ。

「わかりました・・・秋月の実家に身を寄せます・・・ですが離縁ではなく城井の嫁として必ずや嫡男を産んでみせます!」
さすがの城井鎮房も、竜子の揺るぎ無い決意に「嫁の分際で・・・」と叱責することは憚られた。
とにかく、この気丈な嫁を逃がして腹の赤子を黒田家の追手から守らなくてはならないのだ。

竜子は慌ただしく身支度を整え、嫁入りの時に実家の秋月から付けられた家臣・深見に伴われて城井谷を出た。
しばらくして街道の分かれ道まで行くと竜子は「その道ではなく右へ行くのです」と輿の中から深見に命じた。

「?姫様、財部(秋月の領地・現在の宮崎県高鍋市)なれば、こっちですが?」
「日向(宮崎県のこと)へは行きません。筑前(福岡県)へ行くのです」

「筑前!豊前の隣ではございませぬか!秋月の旧領とはいえ豊前から近すぎて黒田家に見つかってしまいます!」
「良いのです。筑前に入ったら英彦山へ行きます。義姉上(竜子の兄嫁)の実家で、かつて父と盟約を交わした間柄。必ず匿ってくれます」

「それはそうでしょうが、英彦山は霊場とはいえ往時のような武力は失っております。黒田の手の者から守り切れるか・・・」深見が不安を口にすると、
「忘れたのですか?今の筑前は小早川家支配・英彦山も管理下にあります。」
「だから黒田家が英彦山に、直接わたくしの身柄を引き渡せと、要求することは出来ません。」
「まず小早川家に引き渡しの了解を得なければならないのですよ。」
「こたびの城井の対する仕様を関白殿下が領解していたとしても、城井に手こずって罠を仕掛けて滅ぼそうとしている・・・などと他家に知られたくないはずです」
「日向への道中は遠すぎて、逆に黒田家の追手に阻まれたら逃げようがありません。英彦山の方が安全です。」

深見は、竜子の言葉に「なるほど」と思うと同時に(さすがは大殿の血を引く姫君だ)と、舌を巻いた。
「さぁ、判ったのなら筑前へ行くのです。多少輿が揺れても構いません。急いで!」

生きなければ・・・何としても生きなければ・・・そして無事に赤子を産んで見せる。
産まれる赤子が滅びゆく城井家の明日への希みになるのだ・・・!
(わたくしは秋月の娘だ・・・決して最後まで生きることを諦めたりはしない・・・!)

竜子が無事、逃げたのを確認すると城井鎮房は、中津城へと出発したのだが、それは・またの話 by^-^sio

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大河2014_裏小説【黒田家の陰謀_5・和睦の条件】

豊臣秀吉も嫌いだが、自分は安国寺恵瓊も嫌いだ。
俗世を捨てた僧侶でありながら、俗世の権力に関わり続けた男・・・

政治オンチの毛利輝元を、利用するなんて恵瓊が悪・・・(._+ )☆\(-.-メ)オイオイ
すいません~~~毛利&吉川ヒイキが嵩じて恵瓊嫌いになっただけです(/▽*\)

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「追撃しないとは合点がゆきませぬ。何か秘策でもあるのですか?」
吉川次郎五郎(後の広家~この時期は、まだ官位についてない)は黒田官兵衛に尋ねた。

豊臣秀吉の命令で、吉川軍が黒田軍の援軍として豊前入りしたのが、1587年の11月のことだ。
豊前の国人領主・城井鎮房(きのい・しげふさ)が謀反を起こした翌月です。

鬼吉川の異名をとった吉川元春が前年に病死し、嫡男も相次いで病死したため、急きょ三男だった吉川次郎五郎が家督を継いだ。
「武勇」という点では、父の盛名に引き換え地味な次郎五郎だが、決して侮れるレベルではない。

最初、城井軍の地元ならではのゲリラ戦に手を焼き、緒戦では大敗北した黒田軍。
だが吉川軍の助勢により劣勢を挽回しつつあり、この日も形勢不利と見た城井軍が撤退しはじめたので、
さらに戦果を得ようと追撃に行こうとした吉川次郎五郎を、黒田官兵衛がストップをかけたのだ。
尊敬する軍師の言葉に従った吉川次郎五郎だったが、やはり納得できず官兵衛に質問したのです。

人物・黒田如水(黒田官兵衛~幸麿さん作画^^b)

「秘策などござらぬ」「は?」官兵衛の返答に吉川次郎五郎は混乱した。
「次郎五郎殿、他ならぬ貴殿だから打ち明け、御頼みしたい。」官兵衛は、そう言うと頭を下げた。
「?!い、いったいどうされたのです?頭を上げてくだされ。頼みとは何でござる?」吉川次郎五郎は訳が判らない。

「貴方が活躍すると、わが息子・吉兵衛(長政のことです)の失態が更に目立ち、関白殿下の不興を買いましょう。どうか、これ以上の攻撃は適当なところで抑えて頂けないか?」

黒田官兵衛は「秀吉の軍師」として活躍しただけに、当の秀吉や徳川家康にも警戒されていたが、
一個人としては面倒見の良い男だった。

家督を継いだばかりで戸惑っていた吉川次郎五郎に、領国経営のイ・ロ・ハ、を伝授したのは黒田官兵衛だったんです。
もちろん当時は政治的な意図はなく、純粋に親切心からだった。
感謝と同時に黒田官兵衛の知謀に感嘆した吉川次郎五郎は、官兵衛に頼み込んで義兄弟の杯を交わしていた。
(衆道関係では無い)

援軍に来た武将に対し「手柄を立てるな」など、余人には頼めない。
自分を師父のごとく尊敬している吉川次郎五郎だから言える。
(そのために関白殿下に援軍の人選で吉川を指定したのだ)(-人-)☆彡~~タノムタノム

果たして吉川次郎五郎「我ら義兄弟の間柄で水臭い。そのような仔細であれば最初から言ってくだされ。吉兵衛(黒田長政のこと)殿に良きように計らいます^-^」と快諾。
「とはいえ、このままでは戦が長引き、やはり殿下の不興を買いはしませぬか?」と、吉川次郎五郎は尤もな疑問を官兵衛にぶつけた。

「その気遣いなれば大丈夫です。折を見て城井とは矢止め(停戦)とし、和議を結びましょう」
吉川次郎五郎は、官兵衛の庭へ散歩でも行くような軽々とした返事に、
(やはり、この方の知謀は底知れない)と、ますます尊敬の念を強めた。

安国寺恵瓊(あんこくじ えけい)の生年月日は解らない。
詳細の経歴は省くが、元々は毛利家の外交僧(僧侶だけど外交官として使者・調停・仲裁役などをする)だった。
それが織田家臣時代での中国攻めがキッカケで、豊臣秀吉の知遇を得て引き立てられ、
今では毛利家だけでなく、秀吉の命令で四国や九州へと活躍の場を広げていたのである。

僧侶にしておくには惜しいほど、精悍な面構えで頭が大きく、何やら人格的な迫力オーラがある人物だった。
恵瓊が豊前入りした正確な月日は不明だが、援軍が11月なので、その後の12月ごろではないだろうか。

「では、和議の条件は城井家の本領安堵を約すことと引き換えに、兵を引き上げることと、盟約の証として城井家の姫君・鶴姫を吉兵衛(官兵衛嫡男・黒田長政のこと)殿へ輿入れすること・・・ですな」
恵瓊は黒々とした瞳を向けて官兵衛を見つめた。

「・・・吉兵衛殿は・・・確か異国の教えで「戒を授かった」と記憶してましたが・・」
僧侶の恵瓊はキリシタンの「受洗」という言葉を知らないのか、使いたくなかったのか、
仏教風に「戒を授かった(僧侶が出家するときに行う儀式)」という回りくどい言い回しをした。

黒田官兵衛の嫡男・吉兵衛長政は16歳で既に結婚(蜂須賀小六の娘)しているからです。
キリシタンの教えでは側室を持つことは許されないはずなのだ。

「は・・息子は、まだ若いですからな。ここだけの話、、、嫁は女腹なのか娘を産んだだけで未だ男子が授かっておらず・・・」
「蜂須賀家の姫君というだけでなく、嫁入りの時に関白殿下の養女という鳴り物入りで来ましたので、側室を設けるのを遠慮しておりました。」
と、いかにも黒田の内情を話すそぶりで語ると、恵瓊は好奇心が満たされたのか「それは難儀なことでしたな・・・」とだけ答えた。

だが恵瓊は、再び口を開くと「とはいえ、この条件は城井には随分と寛大でござるなぁ」と小首を傾げた。
他に裏でもあるのではないか?という探るような恵瓊の目線に、
(この○○坊主が・・・あれこれ詮索せずに、関白の命令通りに動けば良いのだ)と、官兵衛はイラ立つ心を抑えた。

城井軍は予想以上に強く、謀反の鎮圧は容易では無い。
非常手段をとる決意はしたものの、あまりにも外聞が悪いので出来ることなら世間に知られぬようにしたいのだ。
(そのためには、この詮索好きで智慧誇りの坊主を上手く利用せねばならぬ)

「いかにも、恵瓊殿の言われる通りでござる。関白殿下の許可は頂いたものの、これでは他の国人衆へ示しがつきませぬ」
「そこで、この条件に更にワシの案を追加したいのです」
「ほぉ・・どのような?」恵瓊は面白くなってきた・・・と、言わんばかしりに瞳を輝かせた。

「城井家の嫡男・朝房(ともふさ)殿に肥後の一揆鎮圧のために働いて頂くこと・・・を付け加えたい」
「なるほど・・・ 肥後の一揆も関白殿下の仕置きに不満ある者の仕業・・・その鎮圧に同じ動機で謀反を起こした城井を働かせることで、関白殿下への忠義を押し計ろう、というのでござるな」
「さて、その追加条件の扱いは、どのように?」と恵瓊は情景を想像したのか、ペロリと舌なめずりした。

「それはもう、恵瓊殿に全て一任いたす」と官兵衛が言うと、恵瓊は喜色を浮かべた。
(他人を操り動かすことに快感を覚えるのであろうか・・・この僧侶の智慧が恵瓊本人の身を滅ぼすのではないか・・)

ふと思った官兵衛だが、すぐに打ち消した。
いまは城井を倒すことだけ考えなければならない。
関白殿下の方針は、逆らう国人たちを全て潰すことなのだ。気の毒だが城井家との共存は不可能なのだ。

1587年12月3日~奥州へ惣無事令が発布された。
そして関白・豊臣秀吉は朝廷へ「肥後一揆鎮圧」を言上した。

実際には残党は活動を続けて完全鎮圧にはいたっていないが、
豊臣政権の威信に傷つくのを恐れた秀吉が、「鎮圧報告」を「してしまった」のだ。
黒田家は、ますます城井家に手こずっていることを世間に知られるわけには行かなくなった。
外部に漏れたら「秀吉の権威」に傷がつき、黒田へどのような処分が下るか解らない。

一方、城井家の方も肥後一揆が鎮圧されてしまえば、単独で戦うことは出来ない。
九州征伐や肥後一揆での大軍が、城井郡に襲来してくれば本当に滅びてしまう。
城井家は恵瓊の申し出を受けて、黒田家と和睦した。
それが城井家抹殺のためのワナになることなど、むろん知る由もないのだが、それは・またの話 by^-^sio

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

大河2014_裏小説【黒田家の陰謀_4・謀る】

≪はじめに≫
本業(肥前史研究)とは違い歴史記事の資料等は他力本願で提供受けてます。
(本業の方も入手には、ご協力をいただいてます^^;)
ですから記事にした以上の事は、シオ自身にも判らないので、その辺はお含みおきくださいm(__)m
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≪参照データ≫
史料(孫引き)-秋月家譜、高鍋藩史話、南藤曼綿録、
WEBサイト---武家家伝_城井氏、戦国ちょっといい話悪い話まとめ、豊前の伝承あれこれ
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このシリーズは尺や予算と制約のある大河ドラマでは端折られた、様々な逸話と豊前に残る伝承などがベースです。
素人のチラ裏ですので、こんな話にもなるんだ~と大河の裏フィクションをお楽しみ頂ければ幸甚です^-^


室町幕府の支配体制は、緩やかな間接統治だった。

簡単な例で言うと、仮にA国の守護大名・A氏がいたとしよう。
A氏は京都在住で、任官地A国に赴くのは代理である守護代です。
守護代もA国を直接支配しておらず、A国の有力国人Qを通じて国を治めているのです。
有力国人Qは、守護大名A氏の家臣ではなく「被官(ひかん~守護大名に従属する国人のこと)」です。

身分的な拘束力は弱いので、有力国人Qは守護大名Aの裁定に不満であれば、隣国の守護大名Bの被官になることが出来ます。
そんなことをすれば、A国とB国の国境が曖昧になり両国が揉めるけど、
家臣でない国人領主Qには関係の無いことですな ( ゚Д゚)y─┛~~

被官先の選択の自由だけでなく、毛利家のように財布に余裕あれば朝廷に献金して官位だって貰えちゃう。
足利将軍家に献金して、室町幕府の御家人(=直参旗本ね)と守護大名の被官を兼務したってOK(=^・ω・^=)v ブイ
そんな感じなんで、実力者である有力国人Qさん家の蔵を「鑑定団」すれば、足利将軍家から拝領した茶器や刀なんかがあったりします(*´艸`)

戦国時代カオスのころは少ないですが、「貴方だけに忠義を捧げるわヾ( ̄・ ̄*)))チュ♪」っと、
自由な国人領主の地位を捨て、誰かの家臣になることだって選べた。

家紋・豊臣(豊臣家紋ロゴ)

豊臣政権が出来た時、国人領主たちは今までの支配層のように、軍役・諸役さえ果たせば、自分の領地は安泰だと勘違いしていた。
だが秀吉の目指したのは、「室町幕府より強い政権を作るために」「全国に自分が選んだ大名を配置し彼らに領地を直接統治させること」だった。
そのために最も障害となるのが「中間支配層である国人領主」だったんです。

本貫地(先祖発祥・土着の土地)を守る・・・一所懸命という言葉を産んだほど国人領主には何よりも大切なものだった。
だが彼ら国人領主を本貫地から引きはがし、秀吉の選んだ大名の家臣としなければ「秀吉の目指す近世風中央集権」は出来ない。
新たな国造りのために、国人領主たちは麻酔無しで歯を抜くような・・または生きたまま全ての血を入れ替えるような凄まじい苦痛・苦悩にのたうち廻ることになる。

武家として生き残るためには、自由を奪われ生殺与奪の権利を握られた家臣になるしかない。
土地に拘り、そこに留まりたいなら武士を捨て農民になるしかない・・・

二つに一つの選択しかなく、この時の国人領主の苦悩を察することが出来るのは、明治維新で髷を切り大小の刀を捨てるしかなかった最後のサムライたちぐらいだろう。

国人領主たちは、1587年6月13日に発表された九州征伐の後の国分けで、
天下人・豊臣秀吉が自分たちの土地の領有を認める意志が無いことを知った。

同年8月、己の本貫地を守るべく肥後(熊本県)で国人一揆が発生した。
そして・・・同年10月、豊前で城井家が国人一揆を起こした!

鎌倉時代より数百年続いた本貫地が、突然やってきた黒田家のモノになるなんて耐えられない・・・!!
城井郡では代々城井家が殿様・・・誰かの家臣となって頭を下げるなど思いもよらぬこと!
一所懸命の城井兵の士気は高く、地元の強みでゲリラ作戦を展開。

出陣した黒田官兵衛の息子・黒田長政と後藤基次は大敗北を喫した。
どれくらいの負けっぷりかというと、あの後藤が雑兵の的になるのを避けるために、
馬を乗り捨て(騎乗してるのは将官級だから)目立つ陣羽織(将官クラスは品物が良い)を脱ぎ捨て、
思いっ切り敵に背を向けて、ケツまくって戦場を逃げ出したほどなのだ。

命からがら帰還した長政は、余りの大敗北に「責任とって自害する!」とまで騒ぐほど動揺した。
秀吉の軍師として高名だった黒田官兵衛は「正攻法では城井に勝てない」と悟り策を講じた。

家紋・黒田(黒田家紋ロゴ)

「城井と和睦するだと?」秀吉は語気を荒げた。
「はい、肥後に続き豊前まで一揆が起きたとなれば、殿下の御威光に傷がつきます。」
秀吉の逆鱗に触れる前に大急ぎで説明しなければならない。官兵衛は早口でまくしたてた。

「城井一族の一部は人質を差出し恭順しておりますが、残る者らの結束は固く調略を施しても一蹴されます。」
「であれば、いったん和睦し彼奴らが囲みを解いて油断したところを討つしかありません」
「領地安堵をエサにすれば、彼らは応じざるを得ないでしょう」
「つきましては、そのために殿下の臣をお借りすること、お許しいただけないでしょうか?」

「ほう・・・誰を使うつもりだ?」官兵衛の策に興味を抱いた秀吉は、身体を乗り出した。

「一人は援軍として毛利家の吉川次郎五郎(広家のこと)殿です。和睦の話を持ち掛けるにも、こちらが劣勢のままでは、程よい条件を出すことが出来ませぬ」
「なるほど・・・あのカブキ者は、そちに懐いておったの」秀吉は口辺に笑いを浮かべた。

「いま一人は安国寺恵瓊殿・・城井一族との和睦で働いてもらいます」
「恵瓊は、いま肥後だが・・・よかろう。で、恵瓊には官兵衛の真の目的は伝えるのか?」
「いえ、城井家を油断させるためには、恵瓊殿には本気で和睦に動いて頂きますm(_ _)m」
「ふひょひょっ!あやつに下手に全て話すと、余計な智慧を巡らせるよってのぉ」
何か思い出したのか、笑い出した秀吉の機嫌は、先ほどと打って変わり上々だった。

「さらにもう一人、主計頭(かずえのかみ=加藤清正のこと)です。」
「?虎をどうするつもりじゃ?」秀吉は加藤の虎之助を縮めて虎と呼んだ。
「城井家の当主・鎮房と嫡男・朝房の両名は手ごわく、一か所で固まっていると厄介。主計頭殿には嫡男・朝房を頼み、親子を別々の場所で始末します。」
官兵衛が「始末」という言葉を使った時、秀吉の眉宇が微かに動いた。

「主計頭殿は武辺者でござる。我が仕様に諾と言って頂けなかった折には、殿下の御威光をお借りしてよろしいでしょうか?」
ここまで言って官兵衛は大きく息を吐いて、秀吉の言葉を待った。
武辺者の加藤が嫌がる・・・それは戦場で決着をつけず尋常でない手段を用いる、ということだ。
秀吉が承諾すれば、暗黙のうちに城井家の処分方法も承諾したことになる。

「秋月の娘に竜子という見目麗しい姫が城井に嫁いでおる。官兵衛は知っておるか?」
「は・・名前だけは。。。その竜子を殿下の元に連れて参ります」
頭の回転が速い官兵衛は、秀吉が竜子を側室にしたいのかと推量したのだ。

「ちゃちゃちゃ・・」秀吉は口を鳴らしながら首を横に振った。
「もし、竜子が城を枕に自害するというなら、好きにさせよ。逆に城井の城から落ち延びたなら、捉えずに好きな地へ行かせるが良い。」
「生き延びることを選んだ竜子は、黒田にとって喉の奥に刺さる骨のような煩わしさを感じるであろうが、その方が己が無事を噛みしめるというものだ。」
官兵衛は秀吉の意図が解らず返答に困った。

「官兵衛よ・・・駕籠の中の小鳥が大空で生き延びることが出来ると思うか?試してみるのも一興」
「必死に生きる者の運命を自由に弄ぶのは天下人だけが許される喜悦じゃ・・・そちも、その喜びを知りたいか?」

「い・・いえ!拙者の器量では、殿下の境地に至ることなど思いもよりませぬことです」
官兵衛が慌てて返事をすると、秀吉は官兵衛の問いかけに応とも否とも言わず「ふひょひょヾ(  ̄▽)ゞ」と笑いながら上座から奥へと姿を消した。

広間に一人取り残された官兵衛は、秀吉ではなく天下人という存在に言い知れぬ恐怖を感じて慄然とした。
(城井の始末に失敗したら黒田の家が潰される・・・!!)
官兵衛は改めて手段を問わぬ非情の決意を固めたのだが、それは・またの話 by^-^sio

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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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