田尻家文書49_大友義鑑書状

緑文字---原文(翻刻版)ママ
青文字---読み下し
赤文字---意訳

(包紙捻封上書)
「田尻伯耆守殿     義鑑」
    (端裏切封)
      「(墨引)」
就近年覚悟之要害水手相損候、至領内高(鷹)尾、可被取移之由候、肝要候、為直城、倍堅固之才覚専要之段、猶入田丹後守可申候、恐々謹言、
(天文十九年カ)
  九月三日     義鑑(花押)
     田尻伯耆守(親種)殿

近年に就いて覚悟の要害水の手相損じ候、領内高(鷹)尾に至り、移り取らせ可くの由(よし)候、肝要候、直ぐ城を為し、倍して堅固の才覚を専ら要すの段、猶(なお)入田丹後守へ申しべく候、恐々謹言、

これは前段階として田尻親種が本城を鷹尾へ移したいと、大友へ希望を出し許可を求めていたようです。
このように筑後は完全に大友の支配下にあり、家督相続やお引越しにもイチイチお伺いを立てて了解を得ていたんですね。

超意訳すると:鷹尾に引っ越すなら直ぐ城を作り、今までより工夫を凝らした堅固な城にしなさい、家臣にも言っとくからね

ということで大友家臣の築城に関する奉書(許可手続き)が出てます。
そのあたりは煩瑣になるので手抜きします^^/
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田尻家文書45_大友義鑑名字状

緑文字---原文(翻刻版)ママ
青文字---読み下し
赤文字---意訳

(折封上書)
「田尻又三郎殿     義鑑」
(端裏切封)
       「墨引」
(付箋)
「十一月七日、此の又三郎ハ鑑種若時之名也」
  親種跡式継目      鑑種」
    =====本文ここから=====

名字之事承候、以別紙、認進之候、恐々謹言、
   十一月七日     義鑑(花押)
      田尻又三郎殿

(異筆)
「天文十六年」


名字の事、承り候、別紙をもって、認(したた)め進(まい)らせ候、恐々謹言

つまるところ風でない田尻の又三郎殿は、大友義鑑から偏諱(へんき=一文字拝領)を受けたんです^^/

天文十六年とあるのは、この年に田尻親子は大友の首都・府内へ参府伺候してて、その記録に鑑種と書かれているからです。

別紙が「田尻家文書46の大友義鑑名字書出」
同日にパパ親種から息子・鑑種への相続安堵で「田尻家文書47の大友義鑑継目安堵状」
全部を紹介するのは煩雑になるので、この文書だけ紹介します^-^

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田尻家文書31_大友義鑑袖判知行坪付

坪付とは、領地の土地目録のようなものです。

大友義鑑は坪付(土地目録)に袖判(そでばん)することで領地を安堵したんです。

袖判(そでばん)=文書の袖 (右端) に署した花押。日付の下に花押を書いたものよりも,受取人に対し尊大な書式。
大友氏は上から目線だったようですよ( ̄ko ̄)

日付は天文二年卯月(=4月)廿八(=28)日
つまり、この時点での田尻氏の領地は以下の通りです。

★三池郡の内、田尻12町
★山門郡の内、海津66町、竹井33町、浦6町、波江6町
★三池郡の内岩津27町、大塚12町、
★三潴郡の内神埼分5町5段

三池郡(福岡県大牟田市)の田尻がガチ本貫地です。
一番大きい領地は山門郡(福岡県柳川市)
田尻氏の居城・鷹尾城があったのは山門郡です。

地理関係はジモティじゃないのでザックリですいません^^;

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田尻家文書27_大友義鑑知行預ケ状

緑文字---原文(翻刻版)ママ
青文字---読み下し
赤文字---意訳

(折封上書)
「田尻又三郎殿    義鑑
(異筆)
[大永八年九月九日、加領状坪付、親種代]
 (端裏切封)
  「(墨引)」
筑後国三潴郡之内、中牟田神崎分五町五段分之事、預進之候、可有知行候、恐々謹言、
(異筆)
「大永八年」
  九月九日      義鑑(花押)
    田尻又三郎殿


筑後国三潴郡=福岡県三潴(みづま)郡
中牟田神崎=福岡県筑後市中牟田(なかむた)

年度が違う人が後から書き加えてるので「異筆」となってます。
で、それでも年度が確定してるのは、大友家臣蓮著の施行状があり、そちらに大永八年と明記されてるから。

預け状だけでは知行できません。
老臣の施行があって初めて所有権が発生します。
老臣の施行状は・・・パス,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!

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田尻家文書24&25_大友親安(義鑑)官途受領書出&継目安堵状

緑文字---原文(翻刻版)ママ
青文字---読み下し
赤文字---意訳

(折封上書)
 「田尻右京亮殿        親敦(=義鑑)」
(異筆)「十一月一日、遠江守治種ニ任ス」
遠江守所望之由、承候、可存知候、恐々謹言
 十一月一日          親敦(花押)
   田尻右京進殿


意訳:遠江守の官位が欲しいとのこと、承知したことをお知らせします。

(包紙上書)
 「田尻又三郎殿        親敦」
(異筆)「永正十八年十一月一日、治種跡式継目補任也、
                        伯耆守親種若キ時分名也、」
親父治種一跡之事、任相続之旨、領掌不可有相違候、恐々謹言、
   十一月一日        親敦(花押)
     田尻又三郎殿

意訳:父・治種の跡を継ぎ領地相続を安堵します。

パパン治種で「遠江守」の武官をもらって、同日にパパンの跡を息子・親種が継ぐことを認められた。
(どっちも短いし)連動している文書なので二つ同時にあげました。

年度の特定は異筆からではなく、相続した領地詳細である「知行坪付」発布されており、それに永正18年とあるからです。
それと永正18年は8月23日に大永に改元されているので正確には大永元年の事になります^-^

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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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