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深堀家文書375_尚善加冠状

     加冠
           八郎善時

大永三年十二月八日
           尚善(花押)


加冠(かかん)---男子が元服して初めて冠をつけること。
(別名・初冠=ういこうぶり)

八郎善時---深堀善時
尚善-------西郷尚善
大永三年---1523年^^/

現代で加冠セレモニーがある職種というと看護師になるかな^^
で、冠を被せる役目の人を「烏帽子(えぼし)親」と呼びます^-^

元服は現代における成人式で、当然の如く生涯一度っきりの大事な節目です。
これから大人の仲間入りをする少年にとって、誰が烏帽子親になるかは非常に大事。
少しでも良い筋目の武将を~~~と、パパたちは我が子(と自家繁栄)の為に頑張るのです(=^・ω・^=)v ブイ
名字状は残ってないのですが、「善」の一文字も偏諱(へんき)を受けているのが、この加冠状で判ります^-^
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ジャンル : 学問・文化・芸術

深堀家文書46_豊臣秀吉朱印状

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あぁっ!また謎のアイテムが出てる!!Σ(´▽`;) 
*****************************************
原文
読み下し(てるつもり)

両種二荷并鍮鉐鉢二到来、悦思食候、
両種 二荷(にか)併(あわ)せて鍮鉐(ちょうせき)二鉢到来、悦び思い食(しく)候

委細薬増可申候也、
委細、薬(施薬院全宗)増(増田長盛)申し可(べ)く候也(そうろうなり)

七月廿一日 ←豊臣秀吉朱印

           鍋嶋左馬助(深堀純賢)とのへ
*********************************************

両種・・・何か二種類・・・なんだけど~何と何だよ!!!(# ゚Д゚)・;'.
献上品として定番なものらしく、一荷・両種を献上って感じでポンポンでます。
定番すぎて、何と何かワカねぇえええええええええ
単位からいって和紙や反物や太刀じゃないのだけは、判るけど・・・(-ω-;)ウーン

ニ荷(にか)⇒単位です
まず一荷が天秤棒(てんびんぼう)の両端にかけて、一人で肩に担えるだけの荷物
で、それが×2で二荷、普通は一荷だから深堀さん奮発したっす。

鍮鉐(ちょうせき)・・・真鍮、つまり黄銅のことです。
鍮・・・・|壁|_ ̄)じぃー・・・この漢字を見ると、いろいろ思い出す・・・・ゲフゴホ

薬と増の特定は佐賀県史料集成の編集がやってくれてた~助かった!

で、深堀さんは鍋嶋姓を拝領するんですが、時期はイマイチ曖昧です^^;
でもって、奥の上じゃなくて真ん中あたりに宛名があり敬称も平仮名で「との」で目下への扱いです。
鍋島姓を貰うってことは、深堀は独立した国衆から鍋島配下(後に家臣)へとスライド化しつつあります。
そのため殿下から見たら、深堀は陪臣(家臣の家臣)的位置になるので、扱いが格下なんです。
だから秀吉は花押じゃなくて朱印で済ませてるんです^^;

こんな短い文章なのに、謎ワードで時間くった・・・il||li _| ̄|○ il||l
まだまだ知らない事だらけです ( ̄ω ̄A;アセアセ

え?超意訳?見たまんまなんだけど・・・まぁ恒例なんで
贈り物ありがと-----
詳しいことは薬と増に伝えるね!!


って、ことだけなんです il||li _| ̄|○ il||l
何を伝えたんでしょうなぁ ( ゚Д゚)y─┛~~

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深堀家文書45_豊臣秀吉朱印状

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え~例によって専門外の鎌倉や、ちと関係あるけど調べるのがシンドイ室町はパスでwww
で、年欠文書のせいか、時系列に関係なく先にこれが出てきました^^;

原文
読み下し(てるつもり)
超意訳
※文節に関しては、読み下しの段階で判断しています。句読点は原文ママ。

太刀一腰、并段子拾端到来、悦思食候、
太刀一腰、併せて段子(どんす)拾端(反)到来、悦び思い食(しく)候

其方之儀、諸事肥前侍従次第相談、不可有油断候、
其の方の儀、諸事(しょじ)肥前侍従 次第相談 、油断有る可(べ)から不(ず)候、

猶増田豊田両人可申候、
猶(なお)増田(ました)豊田 両人申し可(べ)く候、

十一月十一日   (豊臣秀吉朱印)
       深堀中務少輔とのへ

********************************************************** 
段子(どんす)---練り絹で織った,厚地でつやのある紋織物
ほら、花嫁の唄で『金襴どんすの帯締めな~がら、花嫁御料は何故泣くの~』ってあるでしょ^^
歌詞の中にある「どんす」がコレで、献上したのは原反(製品化してない生地)です^^/
肥前侍従---龍造寺政家
増田-------たぶんだけど五奉行の増田長束、豊田は自分レベル(豊臣政権絡みの政治史は専門外)じゃ特定無理^^;
深堀中務少輔---深堀純賢
**********************************************************

深堀が献上した品への礼状とプチ連絡も兼ねているようです。
超意訳
(頂いた)太刀一腰(刀)と高級絹織物の原反10本、悦んでます ゎーィ♪ヽ(*´∀`)ノ
その方(深堀)の事は、諸事・しょじ・・・何事も、肥前侍従(龍造寺政家)に相談次第(しだい)ですので、油断しないように(`・ω・´)キリッ
なお、増田と豊田の両人に言っときます~(^ -)---☆Wink

ウィンクは余計でしたな・・・、そこまで愛想を振りまいてませんぞ!( ゚Д゚)y─┛~~
礼を言いつつ、シメるとこはシメてる印象を受けます。

あと、宛名ですが、日付の次行である名前が日付より下がった位置になってます。
つまり『奥「上書」』ではないんです。
敬称も『殿』ではなく「との」で平仮名で、秀吉が深堀を目下として扱ってるのがハッキリしてます。

深堀純賢は、龍造寺隆信が沖田畷の戦いで討たれた後も、島津に靡くことなく龍造寺サイドでいることに徹しました。
島津の勢力が北上しはじめた中で、ブレずにいるのは中々出来る事ではありません。

で、安閑としてられないはずの深堀が、島津に降伏しないと決断した理由が、自分には判らなかったんです。
この朱印状の内容からだと「深堀のことは龍造寺と相談」ってあるから「秀吉から龍造寺押しプッシュがあった」ってことかな?
年欠なので、断定はできないですけどネー(*´・д・)(・д・`*)ネー
この短い文章だけでは、当時の複雑な政治情勢の中から年代を特定するのは、ちと無理^^;
とにかくフラフラしなかったのが功を奏し、鍋島藩家老として家を残し本貫地も無事に守ることが出来ました。

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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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