少し呟き

相良家文書の蒲池美作守能久って方が登場するんです( ̄ko ̄)
ん~図書館からコピーした部分は戦国期の永禄年間以降なので、それよりは前の年代です。

作成者:(筑後国衆連著)
三池上総守親盛、溝口薩摩守長資、河崎出羽守鑑繁、蒲池美作守能久、西牟田播磨守親毎
あて先:進上 鹿子木三河守殿←肥後国衆
年 代:1月23日(書状のため年度不明)

この能久が蒲池がニ家に分裂した時の当主とされています。
・・・相良家 申 29(筑後国人西牟田親毎他四名連署書状)か・・・【慶応大学アレコレ検索】・ ̄)じぃーぃっ

やばい~~~読み下したくてしゃーないよ!!:゙;`゙;`;:゙;`;:゙`;:゙;`ヽ(゚∀゚ゞ)ブハッ
続きは図書館で確認してからにします(`・ω・´)キリッ←おぃ


図書館、1月3日まで休館ですた・・・il||li _| ̄|○ il||l oh・・

(。-`ω-)ンー ちょっと呟いてみようっかな・・・

実は来年のGWに佐賀に行く計画してます。
上手く行くと飛び石じゃなく、3、4、5日連休とれそうなんです ・:*:・(*/////∇/////*)・:*:・
2日の最終便で地元⇒羽田⇒佐賀まで駆っ飛びできるかな~って( *´艸`)ウフフ
帰りの便予約も忘れないようにしないと・・・・・・(._+ )☆\(-.-メ)オイオイ

引越した今のアパート(5F)は駅の近くで、列車のアナウンスや列車の音が聞こえてきます。
電車も列車の音も、子供の頃から聞きなれているので『煩い』と感じたことは一度もありません。

むしろウトウトと夢見心地で寝ている時に、列車の音を聞くのが好きです。

えっと・・・別に鉄子ではない^^;

実は子供の頃、市電路線の真ん前が自宅だったの。
2番目の引越しで離れるまで、一番路線の市電の音で目が覚めるのが子供の頃からの習慣だった。
今の引越しで3度目で、今度は市電じゃなく駅の近くになった^^

子供の頃の楽しい記憶が揺ら揺らするようで、列車の音を聞くとホッとする。

と、同時に どうも旅情的な部分が刺激されたらしい (; ・`д・´)
佐賀に行きたい気持ちが押さえ難い。
(現代、少しでも貯金を崩さないように、節約ガンガルなぅ)

ちなみに一番の目的は「藤龍家譜」の閲覧とコピーだ!!(。-_-。)vブイッ♪
佐賀で半分、時間があれば福岡に寄って半分、と分割コピーの離れ業したい。
福岡の某研究者に会えたら嬉しい ・:*:・(*/////∇/////*)・:*:・

但し、この日程だと城廻りの時間がとれないのが目下の悩み(。-`ω-)ンー
もしコピーが失敗したら、史跡を巡り倒します(ワハハ)

来年の夢の話・・・ちょっと早いけど皆様も良いお年を・・・:*:・**・:*:・・・☆
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【参照】城館と中世史料_斎藤慎一編

こっちはガチの史料なんですが・・・編者で序を書かれ論考トップバッターの斎藤先生のが難しくて挫折。
自分の城郭知識が浅いんもので(。-`ω-)ンー
土持氏とか参照してる史料に興味が移って、肝心の論考が脳に浸透しないil||li _| ̄|○ il||l
ということで、少しでもトッカカリあるところから攻め?ます(`・ω・´)キリッ

論考:高橋典幸---南北朝・室町期九州の城郭---『山田聖栄自記』より

自分は趣味の島津萌えですが、研究してるのは肥前中世史なので実は島津の史料的な知識は少ないんです。
監修様にオンブ抱っこ( *´艸`) いつもすいません。

島津家文書も図書館にあるにはあるが、専門家でないと解読が手ごわい(´;ω;`)ウッ
ちなみに古書で鹿児島県史料が5諭吉で目玉ポーーン ゜ ゜( ∀ )ぅ!?
でことで無理や背伸びしないで、理解できるところからユルユルと・・・(。-`ω-)ンー

山田聖栄とは、島津から派生した一族の一つで、戦国期も島津氏家臣として活躍してます。
で、この方は室町中期で島津氏の家督争い・宗家地位争奪戦で頂点制覇した奥州家・島津久豊に仕えてました。
15世紀(1400年代)の史料として、スペック高い一次史料です。
写本もあるんですが、写本間のブレも少ない良史料だとか。

飛び飛びになるかもですが、気になる方は図書館にリクエスト^^/

家紋・島津
(島津家紋ロゴ:著作権は作成者のロン様です)

1)東福寺城から清水城へ
室町期の総領家(奥州家)の拠点となったのが東福寺城と清水城
どちらも鹿児島市清水町にあったそうなので、御近所キャッスルです。

元々は出水の山門院や、川内市の薩摩国衙周辺が拠点。
てことは薩摩の国衙は川内市だったのか__φ(.. ) メモメモ
※国衙(こくが)=日本の律令制において国司が地方政治を遂行した役所が置かれていた区画
※国衙がある土地を国府(こくふ)と呼びます。そのエリアの中央政庁になるので国府=首都
※国衙には公田(くでん)があって、そこからの租税を徴収して政庁機能を維持してました。
河川の側だからなぁ・・・気候や地形や水利整備とかに恵まれれば、物成りに豊かな土地になります。

で、そこから鹿児島市に進出したのが南北朝争乱期。

初めは東福寺城で奥州家(総領家)の祖・氏久が入ってました。
薩摩半島および大隅進出の拠点だったんです。

そこから大姶良城(鹿屋市)、志布志城(志布志市)へと拠点を転々としてたそうです。
だから鹿児島・大姶良・志布志の三カ所を支配してた。

そのため氏久の長男・元久は大姶良城で生まれ、次男・久豊は鹿児島脇で生まれたとか。
脇?
「脇」は場所を指すみたいです|参照文献|・ ̄)じぃー

で、奥州家ルーツ氏久は東福寺城が手狭だったんで、「脇」まで拡張しようとして果たせないまま死亡。
後を継いだ長男・元久が清水城を作った。

それ以来、清水城は島津総領家の本拠地として機能します。
清水城とは、鹿児島城で別名:鶴丸城のことです^-^

ここから先が、城の呼称とかになるんで、ちょっと脳に浸透するまで時間くれ~~
ひとまず締めます^^/

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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