田尻家文書27_大友義鑑知行預ケ状

緑文字---原文(翻刻版)ママ
青文字---読み下し
赤文字---意訳

(折封上書)
「田尻又三郎殿    義鑑
(異筆)
[大永八年九月九日、加領状坪付、親種代]
 (端裏切封)
  「(墨引)」
筑後国三潴郡之内、中牟田神崎分五町五段分之事、預進之候、可有知行候、恐々謹言、
(異筆)
「大永八年」
  九月九日      義鑑(花押)
    田尻又三郎殿


筑後国三潴郡=福岡県三潴(みづま)郡
中牟田神崎=福岡県筑後市中牟田(なかむた)

年度が違う人が後から書き加えてるので「異筆」となってます。
で、それでも年度が確定してるのは、大友家臣蓮著の施行状があり、そちらに大永八年と明記されてるから。

預け状だけでは知行できません。
老臣の施行があって初めて所有権が発生します。
老臣の施行状は・・・パス,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!
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真田丸_籠城20日目【戦端】

はじめに、この記事は歴史的な検証など堅苦しいことはしません。
ただひたすら「萌えっぷり」を実況する真田○ワールドです。
史実検証に拘る方はスルーしてください^^/

尚、管理人本人の「大坂の陣」に関する知識は、司馬遼太郎作「城塞」だけです(爆



利休・・・なんか怪しい占い師みたいだった,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!

馬廻衆って赤子をあやすこともするのね・・・ポリポリ(6 ̄_ ̄)

阿茶局「なにやら子供を産んでたから自信をつけたようで・・・」
いえ、茶々のズバズバ空気読まずに発言するのは出産前からです(・∀・)

信幸ニーちゃんと稲姫の新婚生活は今一つ・・・その~アレですね。
本多忠勝が、まさかの過干渉義親化( ゚д゚)ンマッ!!
新婚なのに数日おきに舅がアポなし凹なんてイヤすぎる~~~~
2ちゃんの家庭版なら絶縁案件よネー(*´・д・)(・д・`*)ネー
親離れ、子離れしてない戦国ピーナツ親子・・・の設定にしちゃって大丈夫かしらん(;´・ω・)

たぶん、どこかで稲姫が信幸ニーちゃんにベタ惚れになると思うけど、三谷脚本だから北条との戦に上手くからめると想像してます(*´m`)

北条と真田と徳川と関白と・・・もつれにもつれた沼田問題。
それぞれメンツに拘り名代同士の舌戦になりそう。

てか幸パパ「いつまでも親を頼るな」
これは、そういう場面じゃないのでは・・・( ̄ω ̄A;アセアセ

関東の戦国史は専門書を買った「だけ」で全く読んでないから全然わからん^^;

「いたべおかこうせつさい(板部岡 江雪斎)」なんて初めて聞いたよ~
外交僧なのは理解した。 (゜゜)(。。)(゜゜)(。。)ウンウン
てか、初めは使いパシリの茶坊主かと思ったら、だんだん重要人物扱いにシフトチェンジしてて面白かった(ワハハ

来週は揉めそうだわ~
こういう会議もの?三谷さん題材にするのが好きみたいね。
「清州会議」とか「12人の優しい日本人」とか「ラヂオの時間」とか。
てことで来週は三谷脚本を堪能する回になりそうで楽しみ~真田○(・∀・)

地図から見た肥前小田氏

与賀神社2
室町時代の色彩を残す与賀神社(国重文指定)の楼門は、少弐政資が与賀神社を中興した際の建造ともいわれている。

居城を増改築し与賀城を築城(正確には改築)。
与賀郷の開拓・開墾。
入り江を改修し今宿・今津・相応津等の開港。

大内に大宰府を追い出され肥前・与賀郷に入った少弐政資。
上記に挙げた与賀における少弐の業績を、支えていたのが対馬・宗氏だ。

朝鮮交易セレブだった対馬・宗氏だが、少弐教頼(ダディ)少弐政資(ジュニア)を支援していた頃は、肝心の朝鮮国とトラブってたそうだ。
おそらく、その打開策として「太宰少弐」のネームバリューが必要だったのだろう。

その宗氏が少弐政資と距離を置き始めたのは、大内家による離間策があったと幾つかのサイトにあったが、具体的な事は判らない。
また宗氏は、少弐政資が肥前千葉の家督に介入する事にも反対だったと言われている。
(宗氏の利益にならない上に、対馬の兵力を便利使いされるから)
(ただし宗氏一門が少弐と縁戚関係だったのもあり、宗一門の一部は少弐家臣となった)

少弐政資自身は、宗氏が離れても不安は感じてなかったと思う。

なぜなら少弐のパトロンは宗氏だけでなく大友氏もいたし、肥前千葉氏の家督介入に成功し、肥前国人たちを自分の影響下に置くことが出来た。
さらに少弐自身も直接対馬と交易しており、また今宿・今津・相応津の港から来る運上金(関税)が、少弐の胃袋を満たしていたはずだからだ。

今津・相応津は与賀郷にあり、戦国時代は海沿いで本庄江川の河口港にあたります。
今宿は川副で佐賀江川の起点となる位置です。
東肥前ぬくもり戦国地図
河川が縦横にある佐賀県。
明治以降に開通した鉄道による「陸の輸送」が完成するまで、河川を利用した流通が物資輸送のメインでした。
特に筑後川の支流になる佐賀江川は、運河として盛んに物資輸送が行われ、届いた荷物は川副郷・今宿で陸揚げされてたんです。

そして今宿から運ばれた荷物にライフラインを依存していたのが、肥前小田氏の蓮池町です
これは江戸期の河川流通ルートを参考にしてますが、おそらく戦国時代も同じはずです。
というより少弐が港を造った事により、物資流通ルートが確立したんじゃないでしょうか。
一度ライフラインが出来れば、それが無かった頃には戻れません。
その方がコスト安いし便利だからです。
だが肥前小田氏にとって不味い事に、今宿を有する川副郷に龍造寺領が出来た

それは「田手畷の戦い」の恩賞として、少弐資元(政資ジュニア)が龍造寺家兼に与えた川副千町です。
いくらなんでも川副千町に今宿は入ってなかったでしょう。
少弐にとって収入源の一つですから。

IF「今宿に陸揚げされた生活物資全般を運ぶためには、龍造寺領(or近所)を通過しなければならなかった」
としたら、肥前小田氏にとって龍造寺は、目障りな存在だった事でしょう。
ただでさえ龍造寺が邪魔だった肥前小田にとって、さらに龍造寺が川副に勢力を広げるのは脅威。

少弐の龍造寺潰しでは、馬場頼周ばかりが注目されます。
ですが、そもそも「龍造寺裏切り」を少弐冬尚に吹き込んだのは、小田資光。
肥前小田氏の龍造寺への讒訴は、龍造寺が邪魔だったからじゃないか・・・というのが自分の推測です。

後に今宿は佐賀藩祖・鍋島直茂が城下町を形成するにあたり物資輸送拠点として利用されます。
下今宿は、宿場町として大いに賑わったそうです^-^
後年の賑わいから見ると、与賀が拠点だった頃の少弐は財政的に豊かだったと推測できます。
そして、その財は少弐復活力の一部だったと思います。

だがそれも、龍造寺が台頭するまでの事だったのだが、それは・またの話 by^-^sio

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実相院文書49_神代勝利寄進状

緑文字---原文(翻刻版)ママ
青文字---読み下し
赤文字---意訳(手っ取り早く知りたい方はココを読んでね^^/)
(包紙上書)
      「寄進状」
      再拝々々敬白
在肥前之国佐賀郡之内才所分弐町八段之事、武運長久爲願所、於  河上大明神致寄進候、仍爲末代之状如件、
天文廿二年癸丑八月吉日        神代大和守勝利(花押)

実相院文書なのですが、河上社の別当寺院なので同じカテゴリにします。

で、今回は包紙に「寄進状」と書いて出してます。
再拝々々敬白・・・再拝再拝敬って白します・・・相手を敬って言う言葉で再拝を繰り返しているので非常に丁寧

於  河上大明神
と、河上大明神の前を一文字スペースを空けてます。
これはワザとやってことで、この空白部分を闕字(けつじ)と呼び、相手を敬う時(敬うべき相手)に用いる書き方です。

肥前国佐賀郡の才所のうち、2町八段を「武運長久」を願い寄進いたします。
この寄進は末代まで有効です。


神代勝利の特徴は寄進の時に「仍爲末代=神代家末代まで所有権は有効」がつくことです。
ここでも神代勝利が河上社を非常に厚い信仰心を持っていたのが感じ取れます。

ちなみに天文22年は家督相続のゴタゴタで追い出されていたクマー・龍造寺隆信が、筑後から復活した年です。
でもって寄進した8月にガチンコになってます。(神代の方が負けた(´;ω;`)ウッ)
吉日が戦の前か後かは不明ですが、いつも以上に真剣に祈願したんだろうなぁ・・・ポリポリ(6 ̄_ ̄)

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河上神社文書185_龍造寺鑑兼寄進状

緑文字---原文(翻刻版)ママ
青文字---読み下し
赤文字---意訳(手っ取り早く知りたい方はココを読んでね^^/)

奉寄付於河上大明神地之事
  肥前国佐賀郡龍造寺八十町之内、七反、拜進不可有相違之状如件、
天文廿一年       龍造寺孫九郎
  十一月十五日     鑑兼(花押)


これもシンプルに「寄進します」って言ってるだけで願い事は特に記されていません。
気になるのは寄進した土地です・・・( ̄ko ̄)
佐賀郡の龍造寺村といえば、元々は龍造寺隆信が相続した土地なんです。
その一部とはいえ鑑兼が勝手に寄進しちゃってるんですよ~(*´m`)ぷぷぷ

この時期の龍造寺隆信は、鑑兼擁立派に追い出されて筑後に亡命中でした。
それで隆信が相続した龍造寺村も押領されてたんです。
一度寄進しちゃった土地だからなぁ・・・きっと隆信が復帰しても戻って来なかっただろうなぁ・・・ポリポリ(6 ̄_ ̄)

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河上神社文書209_神代勝利寄進状

緑文字---原文(翻刻版)ママ
青文字---読み下し
赤文字---意訳(手っ取り早く知りたい方はココを読んでね^^/)

態令啓上候、然者、爲武運長久、至河上宮小力武拾弐町、末代奉号寄進候、無御油断御祈精奉頼候、猶甚深可得貴意候、諸慶、恐惶謹言、
                      神代刑部少輔
 天文十七年戌申十二月廿三日     勝利(花押)
河上山
 実相院進覧

神代勝利公・・・・(人´∀`).☆.。.:*・あぁ直筆を御目文字したひ・・・憧れの武将です

前記事と同じく寄進するかわりに願い事をする寄進状です。
寄進するので武運長久(-人-)☆彡オネガイ

但し前記事と圧倒的に違うのは、神代勝利公は河上社に対し非常に敬意を払っているという部分です。

前記事は「寄進之状如件」=寄進はこの通りです。といった感じで一般的な書式。

神代勝利公は【態令啓上候】文章の書きだし文言として丁重な表現を用いています。
【末代奉号寄進候】=末代まで寄進します。 
【無御油断御祈精奉頼候、】=(ですから)懇(ねんご)ろに祈精を頼み奉りますm(__)m
祈精=ニュアンスとして祈祷(きとう)みたいなもん 
【恐惶謹言】=書き止め文言で「恐々謹言」より丁重な表現。

人物・くましろん~
(幸麿さま作画:神代勝利公イメージ)

通り一遍でない寄進状は、神代勝利公が河上社に対し敬虔な信仰心を持っていたことが覗えます。
龍造寺との戦で、河上社は社領を神代勝利公の本陣にすることを黙認していますし、
河上社の社人も勝利公を支持していました。
両者の間にに細やかな交流があったのを感じとれます^-^ 

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河上神社文書184_龍造寺常家寄進状

緑文字---原文(翻刻版)ママ
青文字---読み下し
赤文字---意訳(手っ取り早く知りたい方はココを読んでね^^/)

(端裏上書)
「河上山座主某 龍造寺伊豆守」

奉寄進河上大明神
  十弐町、右意趣者、此度之御弓箭、當家同忰者、武運長久息災安全之所也、仍爲巳後、寄進之状如件、
天文十七年戌申
 八月廿七日     (龍造寺)常家(花押)

マニアックな人物ですいません。,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!
剛忠(家兼)の長兄(胤家)の孫です。

中身は寄進するかわりに願い事をする寄進状です。
武運長久と一族の息災・安全を(-人-)☆彡オネガイ

わからないのが「此度之御弓箭=このたびの戦」の部分なんです。
この年は村中龍造寺当主が若くして亡くなり、龍造寺隆信が当主未亡人と結婚することで龍造寺宗家を継いだ年です。
そういう意味では龍造寺にとって重要な年なんですが、目立った戦はないんだよなぁ・・・ポリポリ(6 ̄_ ̄)

少弐冬尚も再び復活したのもあり、何が起きても不思議でない情勢でしたので一般的な決意を述べたのかもです。(-ω-;)ウーム

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河上神社文書178_千葉胤勝同興常蓮著禁制

緑文字---原文(翻刻版)ママ
青文字---読み下し
赤文字---意訳(手っ取り早く知りたい方はココを読んでね^^/)

    禁制
肥前国鎮守河上社之事、既自在古、京都  御制札、爲明白上者、殊當手軍勢甲乙仁等、不可致濫妨狼藉、若於違犯之輩者、可處罪科之状如件、
天文三年
 弐月拾五日         平(千葉)興常(花押)
                 平(千葉)胤勝(花押)
  川上山
   実相院

久しぶりだから色々忘れてる ガ━━━(゚ロ゚;)━━ン!!

肥前国鎮守河上社の事、既に古(いにしえ)自り在り、京都の制札、明白(めいはく)爲す上は、こと当軍勢甲乙仁等(こうおつじんら)、濫妨狼藉致すべからず、若(も)し違犯(いはん)の輩(やから)に於いては、罪科に処すべくの状くだんの如し

ふーー思い出した( ̄ω ̄A;アセアセ

要約すると、
肥前国鎮守の河上社では、軍勢はもちろん誰であっても(=甲乙仁等)乱暴狼藉をしてはいけません。
もし禁制に違反した者は刑罰を処します(`・ω・´)キリッ


西と東、両千葉蓮著ですので、二つの家は和睦状態にあったのが判ります。
しかし禁制本文は「河上社」なのに、宛名では「川上社」ってアバウトですな( ゚Д゚)y─┛~~

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真田丸_籠城19日目【前兆】

はじめに、この記事は歴史的な検証など堅苦しいことはしません。
ただひたすら「萌えっぷり」を実況する真田○ワールドです。
史実検証に拘る方はスルーしてください^^/

尚、管理人本人の「大坂の陣」に関する知識は、司馬遼太郎作「城塞」だけです(爆



稲姫の婚儀、逸話はやらなかったか~残念。
出展元は忘れたんだけど、稲姫は婚儀の時に緊張のあまりダウンしちゃって回復するまで数日式が見送られたのよね。

まぁ乙女・稲姫は出なかったかわりに、娘の結婚で泣くパパが見れたからいいか(爆
しかも幸パパにバレバレで変装になってないという,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!

前妻が同じ屋敷内にいたら、ニーちゃんの胃に穴があきそうだ(;´・ω・)ダイジョウブ?
お松さん、殆ど覚えてませんって・・・( ̄ω ̄A;アセアセ
こんな風に空気読まずにズケズケ言っても、相手からも周囲からも憎まれなくて羨ましいわぁ(--)

阿茶局と茶々と寧々の組み合わせ・・・茶々が良くも悪くも屈託なさすぎで空気が怖い^^;
阿茶局もシレっと言うし。

楽種・・・落首って漢字がピッタリなくらい秀吉さまご立腹です( ̄ko ̄)
秀吉がおかしくなるのは晩年に子供が生まれたからというのが人情として大方の見方。

秀吉は子供がいたって話もあるんだけど、そこはいない設定をチョイスしたみたい。
この時の捨(すて)ちゃんが無事に成長してて、秀頼が弟なら豊臣政権は続いたかもしれない。
家康も天下を狙うタイミングを逃したかも。

秀吉が本当にオカシクなったのって、やっぱり捨ちゃん、実母、実弟と身内の死が連続したのと無縁じゃないだろう。
信繁の機転と、最後は寧々の正妻の貫禄で何とか切り抜けた。

それにしても茶々が「お腹の子の父は・・」ってフェイントかました時、
ほんとうに,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!っとなったわぁ(ワハハ
こういう遊びが三谷脚本らしいですね。

来週も楽しみ真田○(・∀・)

地図から見た肥前

ちょっと過去記事を再編集してるので被りますが、まぁノンビリお付き合いください。

自分は「父が偉大過ぎて大変だった二代目萌え」でして、色々好きな二代目はいるんですが、
肥前では初代藩主・鍋島勝茂が好きです。
むろんパパで藩祖の鍋島直茂公も大好きです。

で、鍋島家が主家(龍造寺)から肥前を簒奪したんじゃないってことを証明できないかと思い肥前を調べ始めたのが、
元々の動機でした。

んで調べているうちに「始まりの切っ掛け」を知ろうと時代を遡るうちに「肥前千葉氏」にハマった^^;
これで肥前から中央政界へ引き返せなくなりました。,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!
調べていくなかで、これは学生時代に大嫌いだった地理から逃げられないと悟りました(-ω-;)ウーン

まずはコチラ~方向音痴の道産子シオが、艱難辛苦・試行錯誤の末に完成した「戦国時代の東肥前地図」です。
東肥前ぬくもり戦国地図

東肥前戦国(手書きの)ぬくもり地図(*´m`)

右上のグレーゾーンからは筑前・原田氏勢力圏です。
もうちょい上の海岸近くに姪浜城があるんだが、紙が足りなくなって描ききれんかった(爆

調べてるうちに判った(シオ的)トリビア。
( ̄ko ̄)<グレーゾーンの下にある馬場氏の綾部城ですが。。。。。
実は「綾部城」って城はありません

綾部神社の側に幾つか山城があります
その複数の城郭郡の総称が、綾部城の正体(大袈裟?)です


そのうち、遺構が残っているのが「宮山城」「百虎山城」「少弐山城」で、それぞれ「別名・綾部城」です。
少弐一門にして家臣・馬場氏が入ったのが「少弐山城で綾部城」
東肥前19将の一人、綾部鎮幸がいたのが「百虎山城で綾部城」


総称されるだけあって、メチャクチャ近所,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!
それぞれ直線距離だと1km以内なんです。
詳細はサイト「城郭放浪記」が詳しいです^-^

上記、三城は遺構が残っているので、地元の郷土史ファンなら知ってる方は知ってる・・・という感じだと思います。
ですが道産子のシオには、ちょっと盲点でした( ̄ω ̄A;アセアセ
さて、ぬくもり地図に話を戻します。

肥前の地形における最大の特徴は、時代によって海岸線が違う事です
干拓は何処でもやってるんですが、たいていは技術が発達した江戸期。
肥前は、もっと前から営々と干拓しています。

干拓埋立による造成前なので、現代より海岸線が内陸に引っ込んでます。
例えば、現代は佐賀空港にあるあたりが川副町です。
が、戦国時代は佐賀空港は有明海でして、筑後・一つ木の対岸が川副町。

現代と地名は同じなのに、戦国時代は位置が違うと言う、恐怖の地名スライド現象が肥前の特徴
造成した土地って、殆ど新名称がつくものなんですが、肥前は変えてない所ばっかり・・・il||li _| ̄|○ il||l
但し、平成になってからの土地区画整理により、また変化が起きてます(´;ω;`)ウッ

地元民はジモティであるがゆえに、他県人は地理感覚がないがゆえに、勘違いして地名の森に迷い込む~~
地形から戦国肥前を俯瞰・理解するには、まず当時の海岸線を頭に叩き込まなきゃダメなんです(´;ω;`)ウッ

・戦国時代~与賀庄(現、与賀町+西与賀町一部)
・江戸初期~上与賀(与賀町)+下与賀(西与賀町)
・現代~~与賀町、西与賀町、東与賀町

ザックリですが大体、こんな感じです^^b

戦国時代は東与賀町は一部だけで、後は有明海の底~~( ̄ω ̄A;アセアセ
地名変遷=土地造成ですから、当然、町の大きさ(広さ?)も違うはずですが、さすがにそこまでは調べきれなかったです( ̄ω ̄A;アセアセ

自分が与賀に拘り続けた理由は
少弐が神埼郡・勢福寺城に入る前は、
戦国時代の与賀庄が本拠地だったから


龍造寺が大きく飛躍したのも、与賀荘に領地を得たからだと考えているのだが、それはまたの話^-^

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【文明10(1478)年】南九州限定年表

・島津忠昌~薩南学派(朱子学)の基礎を作る

≪南九州シオ的エントリー:肥後(相良関連)・豊後・日向・薩摩・大隅≫
大きな出来事・改元は、北九州・南九州で記述が被ります。

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【文明10(1478)年】北九州限定年表

大友義長19代目(宗麟祖父)生まれる

5月?日、洪水で阿蘇山スカルの橋が流される。「北肥戦誌」

9月、大内政弘、豊前、筑前へ侵攻。少弐政尚(政資)を破り、これを領有(正任記)

9月?日、菊池重朝~筑後へ討ち入り国人を斬り従え自領とする

・筑後星野氏、大友に属する

10月7日、千葉胤朝(次男)VS胤盛(三男)
 ※大内政弘~秋月種朝等を使い胤盛を攻めさせる。「佐賀市史」

10月、大内政弘、仁保弘名を斬り、その首を筑前称名寺門前に晒す(正任記)

10月12日、大内政弘、宗貞国に対馬に入った少弐政資残党を討たせる(正任記)

10月23日、渋川教直の子・万寿丸、筑前博多にいた大内政弘を訪ねる(正任記)

10月24日、大内政弘、筑前観世音勧進奉加帳、崇福寺、博多津祇園社の奉加帳に、それぞれ署判する(正任記)

≪北九州シオ的エントリー:豊前・筑前・筑後・肥前・肥後≫

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佐賀紀行6~終了

次にシオが向かったのは佐賀県立図書館。
写真はない。普通に図書館だったので^^;
例によって憧れ妄想が膨らみすぎて英国博物館なみの建物を想像してたんです,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!

郷土資料館で某史料の出展が知りたくて、館員に検索してもらったんだけど探せねーーーー
軽くイラついた・・・・多分、シオが自分で検索した方が探すの早いと思う ・・・ポリポリ(6 ̄・ ̄)
待つこと30分弱・・ようやく[出展元]スッ≡( ̄ー『+』ゝハッケン

この某史料の出展元が知りたかった・・・(人´∀`).☆.。.:*・
てか、いくら地元でも古書店でもデジタルライブラリでも手に入らないからって、
直接佐賀県の県立図書館まで出向く自分って超絶なマニアだと思う(;´・ω・)

図書館に来て感じたのは、必要な史料は殆ど自分が持ってて、改めて図書館からコピーするものがなかったってこと。
自分は(蔵書だけなら)そういうレベルに達している。
あとはいかに自分の知識として消化するかにかかってるんですわ^^;
改めて気持ちが引き締まりました(`・ω・´)キリッ

佐賀・シシリアンラシス

図書館を出て自分が向かったのは、デパート玉屋。
家族へのお土産購入と昼ごはん食べに。
で、注文したのがシシリアンライス^^b
佐賀牛(関連のなにか)とシシリアンライスは絶対食べたかったので初志貫徹。

玉屋で松本零士展をやってたので見学~入場料は無料だけど撮影不可。
松本零士さんも来てたんだけど、自分が行ったのがランチタイムだったせいか先生は不在でした。

そんなシオにハプニング発生。
出発前の予想通り熱中症と急激な下痢に襲われた
実を言うと、県立図書館に行ったときに既に具合が悪かったんです(´・д・`)

でも史料の出展元が欲しく
家族への土産も欲しく
シシリアンライスも食べたく

ピーピーフラフラになりながらも、初志貫徹。
脱水症状でクラクラでしたが、あらかじめ現地調達したOS-1飲んで、午後から爆睡しました。
つまり佐賀紀行2~5までは全て午前中の動き。

10℃の急激な気温差。
道産子で元々暑さに弱い自分は必ず何処かでダウンするだろうと思って、強行軍で動いてたんです。
午後数時間休んだら、かなり復活。
でも夜は外出しないでホテルでお握り食べて休みました。

佐賀・ホテルより

これは少し気分が回復したので、ホテルの喫茶店で紅茶を頂きながら景色をパチリ。
佐賀城の掘です。
ちなみに体調の方は、暑さでバテただけなので地元に戻ったら、すぐ回復しました(=^・ω・^=)v ブイ

慌ただしい佐賀旅行・・・旅行と呼ぶには短かったですが、カルピスの原液より濃密な時間を過ごしました。
いま思い出しても涙がジンワリ滲みます。
ある意味、望みは達したので次に来れる日が何時になるかは判りません。

でも、またいつか行きたいです^-^
ありがとうSAGA

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佐賀紀行5~佐賀城・本丸歴史館その3

では幕末の佐賀藩らしく

佐賀城9・反射炉模型

・・・・・・・・?(;´・ω・)
機能的な説明ができないけど、確か反射炉の模型だった・・・と思う^^;

佐賀城4・銃

なんとか銃,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!
メモしてないと駄目ネー(*´・д・)(・д・`*)ネー

佐賀城10・アームストロング

アームストロング砲
意外と細い砲身でした。大八車みたいに一人でも運べそう。

佐賀城11・大砲

オランダ製だったかな大砲です。
なんだか大きな窯のような、ずんぐりしてて可愛いというか、イメージと全然違った。

これで本丸歴史館は終了~
さて、次にシオがタクシーで向かったのは、とってもシオらしい場所だったんですが次まで内緒(^ -)---☆Wink

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真田丸_籠城18日目【恋路】

はじめに、この記事は歴史的な検証など堅苦しいことはしません。
ただひたすら「萌えっぷり」を実況する真田○ワールドです。
史実検証に拘る方はスルーしてください^^/

尚、管理人本人の「大坂の陣」に関する知識は、司馬遼太郎作「城塞」だけです(爆




今回は本多忠勝のキャラが良かったです^^
なんか自分で子育てしたような口ぶりだったけど、忠勝ってヤモメだったっけ?・・・ポリポリ(6 ̄_ ̄)
徳川劇場でしたね(*´pq`)プププ

稲姫がニーちゃんの頭をぺんぺんした逸話はスルーしたみたいだけど、
婚儀の時の逸話をやるか来週が楽しみ(*´m`)ムフフ

お松さんの記憶は未だ完全に戻ってないみたいだけど、性格は本人そのものだった(爆
ニーちゃんなのに弟に間違われるって、ちょっと悲しい(´・д・`)

一方、茶々に振り回されっぱなしの信繁。
今週は茶々の内面に触れる回で、ある意味伏線っぽいな~とも思った。

にしても秀吉が茶々を口説く場に居合わせるという間抜けな役どころになった信繁には同情する。
おまけに茶々からもらった甘酸っぱい思い出の品は、きりさんに食べられちゃった,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!
きりさんって毎回何かやらかすイメージだなぁ

信繁と大谷の娘はいつ結婚するんだろう。
来週の稲姫とニーちゃんの婚儀が楽しみ(・∀・)ニヤニヤ~真田○

佐賀紀行5~佐賀城・本丸歴史館その2

佐賀城6・大工道具

昔の鉋(かんな)

佐賀城7・復元土台

復元した土台部分・・|壁|・ ̄)じぃー

佐賀城8・木組前

これは木組(きくみ)
昔の建築物は釘を使わず、こうした様々な形の木材を組み合わせていました。
体験コーナーというか、自分でどうぞってことで・・・これが組み前状態

佐賀城8・木組後

で、組むとこうなる。

これは一番簡単なパターンでして・・・( ̄ko ̄)
他にあるのは難しくて、どうやって組んでるのか判らんかった,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!

ちょうど子供の日の前日だったので、折り紙で兜を作る体験コーナーや
○○の間って部屋で記念撮影するサービスとかやってました。
折り紙したかったけど、実は次の場所へ行くためにタクシーを待たせたままだったので諦め先へと進むのであった。

あと一回で終わります。

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

佐賀紀行5~佐賀城・本丸歴史館その1

高伝寺の次は佐賀城・本丸歴史館~~
やはり佐賀に来たからには、ここは行かないとネー(*´・д・)(・д・`*)ネー
とはいえ、実は自分が苦手な幕末メインなんだけど^^;

途中の説明音声を聞いてると半日はかかるので、猛ダッシュで回りました(;´・ω・)
それでも写真は、それなりにあるので複数に記事を分けますね。

まずはお約束というか定番・佐賀城のシンボル「鯱の門」

佐賀城1・鯱の門正面

手前に旗がヒラヒラしてるでしょ?
実は自分は今まで知らなかったんだけど、鯱の門から本丸歴史館に入るんです。^^;

裏側というか中から見るとこう。
佐賀城2・鯱の門裏
入り口と比べると、やっぱシンプルですね

佐賀城5・図面
江戸時代の佐賀城は、こんな感じだったそうです^^

佐賀城3・甲冑

おお!甲冑~~これは江戸時代のものです。

撮りたいものは一杯あったんだけど殆どがガラスケースに入ってるから、自分が写りこむから上手く行かない。
あ、撮影はOKです。
見物料も無料で、かわりに善意の寄付?(感動の証?)を受け付け・・・・・

ああああああああ!
急ぐあまり寄付してくるのを忘れた・・・il||li _| ̄|○ il||lケチじゃないもん、ホントに忘れたんだもん・・・
本丸歴史館続きます^^

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佐賀紀行4~高伝寺

本行寺を後にして、次に向かったのは高伝寺(こうでんじ)ウィキペディア

さすがに今度は住所を言わなくても佐賀弁運転手さんも御存知でした佐賀藩鍋島家の菩提寺。
ここは梅の名所としても知られています。

さすがに梅は咲いてませんが代わりに・・・
高伝寺2・梅
梅が実をつけてます。
たくさんあったんですが、運転手さんが言うには今年は霜のせいで例年より実が少ないそうですよ。

高伝寺1・鐘楼

鐘楼、ただし見るだけ~立ち入り禁止ね^^b
あの鐘を鳴らすのは誰なのかな~

拝観料は400円・・・先代住職の時は無料だったんですって( ̄ko ̄)
それはさておき、GW期間の特別拝観してたんです。超ラッキーゎーィ♪ヽ(*´∀`)ノ

高伝寺3・本堂

てことで、ここからは撮影禁止ですぞ(`・ω・´)キリッ

日本最大の大涅槃図(佐賀市指定文化財)修復されて戻ってきたのを特別公開。
ものすごい大きさの巻物みたいになってるんですが、全部開ききれず真ん中?あたりが見えるように開き天井から吊ってました。
傍に全体図の写真?がありました。

それと十王像と江戸時代に書かれた龍造寺隆信の甲冑絵姿。
さらに位牌堂も見ました。

写真を撮りたい誘惑と葛藤しましたが、しっかり防犯カメラがあるので我慢しました^^;
位牌堂は実は正規の場所に安置されてませんでした。
どうやら熊本地震の余震から守るためらしく、壇から下して場所が判るように番号札を貼ってました。

運転手さんからも「よかもん見たけんね~」「ええタイミングじゃった」みたいな事を佐賀弁で言われてました^^;
んでお墓の方も行ったけど、全部の写真を撮るには時間が足りないので、

高伝寺4・隆信墓
龍造寺隆信公の墓

高伝寺5・鍋島公墓
高伝寺5・鍋島公案内
藩祖・鍋島直茂公の墓

初代藩主・勝茂公の墓もあったんだけど、なんかグルグルうろついて墓を探し疲れてきたせいか写真撮ってなかった^^;
余震の影響か、大きな灯篭が幾つも倒れてました(((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル

御礼と御朱印を・・・と思いキョロキョロと住職を探したんですがいない~ ガ━━━(゚ロ゚;)━━ン!!
運転手さんも奥に向かって「おーい」って呼んでくれたんだけど、聞こえなかったらしく誰も出てこなかった。
何かお話したかったんだけどなぁ~残念。

さて、次は佐賀城だ(`・ω・´)キリッ

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佐賀紀行3~本行寺の狛犬

与賀神社はホテルの近くだったので自力(=徒歩)でしたが、
ここから先はタクシーを使いました。

で、ちと焦ったのが初乗り料金、地元より高い(;´・ω・)
地元は520円、佐賀670円・・・・覚悟して乗りました,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!

事前に観光だと言ったからか?バリバリ佐賀弁の小父様が運転手でした。
「おっとよ」「おるたい」とか連発、佐賀気分~~♪

で、最初に向かったのが本行寺(西田代1丁目4番6号)佐賀市HP
実はマニアックなので観光で回る人のコースから外れてます。
運転手さんも「?」だったので、事前に控えていた住所を教えて向かいました。

本行寺1

本行寺2

開基した龍造寺胤家公の墓と説明文です^-^
与賀神社の次に自分が来たかったのが、ここ本行寺の胤家公墓地です。

胤家公は・・・・龍造寺隆信の曽祖父・龍造寺家兼の長兄です。
本当なら龍造寺の当主になるはずでしたが、総領の座を捨てて義に生きた方です。
ドラマチックな人生で、龍造寺一門の中で好きな人物なんです。

んで、墓に夢中すぎて本堂とか毘沙門堂を撮影するのを綺麗さっぱり忘れてしまいましたΣ(´Д`;)はぅ
(佐賀市HPを見て思い出した^^;)
運転手さんも墓地の場所を探すのを手伝ってくれた^^
てか、建物無視して墓ばかり探す変な女だと思われただろうなぁ,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!

毘沙門堂前にいる狛犬は、しっかり撮ってきました(=^・ω・^=)v ブイ
狛犬は文化3年(HPより)

本行寺・阿

飴・・・ではなく玉を咥えてる阿ちゃん、垂れ耳で素朴な感じが(・∀・)イイ!

本行寺・吽

(`・ω・´)キリッとした吽ちゃん。


・・・・・・・・・・・・・・尾の写真撮り忘れた・・・・・il||li _| ̄|○ il||l

与賀神社では楼門萌え。
本行寺では墓萌え。
で、後から振り返ると色々撮りこぼしてますが、まぁ本人的には目的達成してるので良しとします(;´・ω・)

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佐賀紀行3~少弐神社in与賀神社

与賀神社の中にある少弐神社です。
与賀神社公式HP

まだ肥前中世史を調べて間もないころ、少弐氏と龍造寺の関係、肥前にとっての少弐氏。
が、判らず調べるのに物凄く時間がかかった^^;

ネットで一生懸命検索し、何度も色んなアプローチで検索し続けて見つけたのが少弐神社を紹介しているブログでした。
与賀神社の楼門とともに、どうしてもどうしても「この目で見たかった(与賀神社の中の)少弐神社」

少弐神社1

この由緒が紹介されているブログを見て、与賀城のことを知ったのよネー(*´・д・)(・д・`*)ネー
龍造寺の村中城&水ケ江城から、あまりにも近いところに与賀城があったのにビックリしたのが懐かしい~(人´∀`)

少弐神社2

少弐氏を一時的に中興させた少弐政資。
でも西国のドン・大内氏の力には及ばず、本貫地・大宰府に帰る望みを断たれて自害した。
時代を経て、郷土開発の功労者として祀られ少弐政資の御霊は癒されているでしょうか。

与賀神社と少弐神社は、ずっと拘り龍造寺関連とともに調べ続けていたので、今回の旅行の一番の目的といっても過言ではありません。
朝の静けさの中で、一人心行くまで堪能させて頂きました 川* ̄д ̄*川ポッ 

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佐賀紀行2~与賀神社その3・狛ズ

与賀神社続いてます^^
拝殿前に狛ちゃはおらず、代わりに
与賀神社3
与賀神社4
亀さんと、お馬さん

で、末社(恵比寿さんだったかな?)の方に
与賀神社・吽
阿ちゃん?
与賀神社・阿
吽ちゃん?かな?

劣化が激しく表情が全く分からない(´;ω;`)ウッ
かろうじて残ってる部分を見るに、元は丁寧な彫りだったと思われ・・・

で、ちょっと気になるのがこの子↓
与賀神社・肥前狛犬
これも表情が判別しづらいけど、サイズ的に「肥前狛犬」じゃないかと。

肥前狛犬は文字通り佐賀県内にのみにしかない狛犬です。
独特の顔立ちと体型やデフォルメが特徴で、表情も一定してなく色んな子がいます。
安土桃山時代~江戸時代初期に盛んに造られました。

実は肥前狛犬は近年盗難が相次いでまして、この写真も公開するか迷ったんです。
肥前だけにしかない、小さな狛ちゃんです。
どうか、自然にあるがままにしてて下さいね。お願いしますm(__)m

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真田丸_籠城17日目【上洛】

はじめに、この記事は歴史的な検証など堅苦しいことはしません。
ただひたすら「萌えっぷり」を実況する真田○ワールドです。
史実検証に拘る方はスルーしてください^^/

尚、管理人本人の「大坂の陣」に関する知識は、司馬遼太郎作「城塞」だけです(爆




今日は「だいじょうだいじん」が気になった。
自分は「だじょうだいじん」って読んでたから。
調べたら、どっちも正解だったみたい^^

相変わらず目が笑わない秀吉の笑顔が怖い。

幸パパが吟味して献上した品物も、上方衆から見れば鄙(ひな=田舎)臭いものでしかない。
拝謁すれば出てくるのは秀次。
格の違い。国衆の悲哀が出てた回でした。

ま、九州の国衆に比べれば本領安堵された真田はラッキー。
だって散々焦らせてたもんネー(*´・д・)(・д・`*)ネー
九州の国衆は遅参(ちさん=遅刻)したってだけで御家断絶だったのに~ブツブツ

徳川の与力か~秀吉って悪趣味なところがあるからなぁ
根っこには秀吉自身の政治的必要性があるんだろうけどさ。

秀吉が拝謁したときに着用してたのって、幸パパの献上品よね?
そういう配慮は細かいから秀吉は油断できない。

幸パパの上洛で良かったことって、死んだと思った松さまと再会できたことかな?

国衆の誇りは、天下統一を目指す秀吉にとっては邪魔なものでしかない。
土臭くて田舎臭くて視野が狭くて、笑止なものなのだろう。
屈辱の煮え湯を呑んだ幸パパは、秀吉の生き残りリストに記載された。

結果から言うと家康の与力だったことは真田家にとって幸運だっただろう。
「朝鮮の役」に狩り出されずに済むのだから。
もっともバランスとるために、他の諸役が来るから一概に幸運じゃないところがアレだ。

ところで・・・信繁は何時まで秀吉の馬廻り設定で話を進めるんだろうか(゚∀゚)アヒャ
まさかの秀吉が死ぬまでとか,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!

来週は茶々が秀吉の側室になるみたいですね。
真田と本多忠勝との縁談も?
来週も楽しみ真田○

佐賀紀行2~与賀神社その2・保存樹

記事にしてから気づいた・・・
与賀神社1

三の鳥居の全景を撮ってない・・・il||li _| ̄|○ il||l
横にあるぶっといのが、鳥居の一部です^^;
肥前鳥居じゃないな~~と思ってスルーしてしまった (゜-Å) ホロリ

石橋は楼門と一緒に撮った正面からのより、このサイドからの眺めがマニアックで気に入ってます。
苔ってるムードが(・∀・)イイ!

さて境内に誰もいないので、思う存分キョロキョロ

与賀神社5
与賀神社6

下の方、苔具合に萌えた 川* ̄д ̄*川ポッ 
看板にある通り、この2本とも「佐賀市指定の保存樹」です。

ぽーーーーーっと見とれて、説明文をメモするのを忘れました,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!
てことで、佐賀市HPを参照
【保存樹保護事業について】
佐賀市では現在60本の樹木が保存樹指定を受けています。
自分が撮ったのが、そのうちの2本。

指定対象条件
樹木や樹木の集団が良好なみどりの環境を周囲に提供しているものであり、
その自然的な風景を維持することが必要であると認められることが前提条件


指定要件
次のいずれかに該当し、樹木の健康状態がよく、樹容(樹木のすがた)が景観的に見て特に優れていることとします。
地上1.2mの高さにおける幹の周囲がおおむね1.5m以上であること。
高さがおおむね15m以上であること。
はん登性樹木(フジなど)で、枝葉の面積がおおむね30平方メートル以上であること。
以上3つのほか、市長が特に必要と認める樹木。


佐賀市のみどりへの取り組み。
本当に思わず写真にしたほど、良い姿・雰囲気でした。
この樹木が樹齢を重ねれば、文化財指定されるのかも?(*´m`)ムフフ

与賀神社記事、もう少しお付き合いください^-^

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佐賀紀行2~与賀神社その1

さて翌日、朝食をとってすぐホテルから歩いて出向いたのは「絶対行くぞ(`・ω・´)キリッ」と決めていた与賀神社。
自分が完全に肥前中世史にハマるきっかけになった神社です
由緒はコチラ

さぁいよいよです

与賀神社1

奥に見えている楼門を正面から撮ったのがこちら

与賀神社2

この写真が、ずっとずっと欲しかった・・・いえ違います。
ずっとずっとず~~~っと、本物を、この目で見たかったんです・゜・(PД`q。)・゜・

やっと夢が叶いました。
で・・・・想像より小さかった,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!

どうやら憧れるあまり、紫禁城レベルの規模に脳内変換しちゃってたようです(笑
実物は現代の建物でいうと2階建ての家より、ちょっと高いかなって感じ^^

境内も妄想想像より狭かった(゚∀゚)アヒャ
いやいや、それで気持ちが変化するわけじゃないですよ。
ちょっとサイズが微修正されただけですから( ̄ko ̄)

与賀神社7

綺麗に朱塗りされた手水^-^

さて
与賀神社8
与賀大明神です^^/

由緒は写真に撮るのは無理っぽい(自分の技術が追いつかない)ので、先ほどあげた由緒リンクを参照ください^^
あんまり広くない境内と言いつつ、色々写真を撮ってるので分けます^^

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佐賀紀行1~北海道から佐賀へ

肥前に憧れ佐賀へ行くのが夢で、それをやっと叶えました。

5月3日、地元発⇒羽田
ここまでは順調だったんですが、佐賀の天気が悪く「大雨」「雷」「強風」のフルコンポ。
離陸しても福岡に着陸するかも、佐賀の天気次第では羽田に引き返すとアナウンスが入り、ハラハラしどおしでした。
自分が出発する便の時間が近づくにつれ、気流は多少荒れつつも天気が回復してきたので、無事羽田出発できました。

そうそう、その前に羽田珍道中?
初めに着陸したのは第1ターミナルで、佐賀へ行く便は第2ターミナルでした。
余裕みて夕方出発の便にしてたので、さて腹ごしらえ・・・ウロヽ(´Д`ヽ ミ ノ´Д`)ノウロ
第1ターミナルで初めに見た飲食店が団体で満席。
その隣・・・・・札幌ラーメン・・・|看板|・ ̄)じぃー

右も左もわからないし、距離感もわからないし、お腹空いた。
てことで道産子なのに羽田で札幌ラーメンを食べた,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!

我ながら腹ごしらえして気持ち的に落ち着きたいとはいえ、なぜ何時でも食べられる札幌ラーメンなのか(-ω-;)ウーム
で、トボトボと第2ターミナルへ辿り着いたら飲食店がワンサカありましたil||li _| ̄|○ il||l
道行く制服きたお姉さん搭乗員に、予約チケットを貰える窓口を聞き回り、着いたら長蛇の列! ガ━━━(゚ロ゚;)━━ン!!
GWの羽田を舐めてたというか、予測できなかったというか、とにかく!
(先に腹ごしらえしてて良かった)
(夕方の便にしといて良かった)

聞いたら予約してるチケットは航空会社に関係なく確認さえとれれば渡せるとのことなので、ここで帰りの便のチケットも先に貰っておこうと思い全ての便の予約番号を伝えました。
で、担当のおねーさんが一言「身分証明書になるものはお持ちですか?^-^」
・・・・・・・免許証、自宅に忘れたぁぁああああああ

ここで、ふと「ちょっと多めのキャッシュと保険証を持ってね^^/」
のアドバイスを思い出し、用意してた保険証で無事本人確認終了~チケットを貰えましたとさ。
危なかったぜ・・・'`ァ'`ァ'`ァ(;´Д`)'`ァ'`ァ'`
(地元を出発したときは、なんか機械に番号を入力するだけでチケットが出たんで本人確認されんかった)

てことで天気回復した佐賀へ無事到着。(18:00着)
駅前で夕飯食べようかとも思ったけど、荷物もってウロつくのが嫌で先にホテルにチェックイン。
チェックインしたら出るのが億劫に・・・ゲフゴホ
ちょっとホテルで食べるという贅沢してみたいという欲求もあり、ホテルのレストランに行ったら贅沢すぎました・・・・(´;ω;`)ウッ

一番安いコースでね一万円なの・・・・・(´;ω;`)ウッ
ハーフコースで4000円なの・・・でも量(品数)が多すぎてハーフでも食べきれないのね・・・(´;ω;`)ウッ
単品・・・佐賀牛・・7500円(´;ω;`)ウッ

てことで佐賀牛が入ったハンバーグステーキ(パン&飲み物は別料金)にした。
これで『佐賀牛を食べる』という目標をクリアしたことにしました('◇')ゞ

文章だけですいません。ここまでで写真を撮る余裕がありませんでした。il||li _| ̄|○ il||l
○万円ディナーを食べたり、優雅にボトルワイン開けてるなかで、一人写真を撮る勇気はありません(ムリムリムリ・・・・)

なんか緊張してドッと疲れたので、翌日に備えて休んだのでした^^
次からは写真ありで^^

真田丸_籠城16日目【再会】

はじめに、この記事は歴史的な検証など堅苦しいことはしません。
ただひたすら「萌えっぷり」を実況する真田○ワールドです。
史実検証に拘る方はスルーしてください^^/

尚、管理人本人の「大坂の陣」に関する知識は、司馬遼太郎作「城塞」だけです(爆



はじめに・・・片桐且元さま・・お気の毒にございます(-人-)☆彡
この人って確か大坂の陣の直前でも似たような板挟みになるのよネー(*´・д・)(・д・`*)ネー
本気で胃が痛そうだったわぁ

お松さま、お藤として再登場?だよね。
しかし記憶を失ってても性格が変わってない,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!

茶々の信繁に対する必要以上の好意に対して咄嗟に「きりさんと、いい仲」宣言しちゃった信繁。
あとで絶対揉めるわね~~
防波堤代わりにされたって知ったら怒るだろうなぁ~きりさん。・・・ポリポリ(6 ̄_ ̄)

それとも嘘が真になるパターンだったりして(・∀・)

天下人って複雑なのね。
色んな人に色々含むがある言い方して、よく誰に何を言ったかゴチャマゼにならないわネー(*´・д・)(・д・`*)ネー

それにしても信繁を上手く歴史の場面に絡めてるな~
ちゃんと話として成立してるのは凄いなって思う。

自分が小説家になれないな~って自覚してるのは、そういう想像ができないから。
事実を積み上げて推論するほうが好きなんだ♪(*´∀`)エヘヘ

山本さんは石田三成として、すっかり定着した感じ。
ファンだから何やっても依怙贔屓しちゃってます(*´m`)ムフフ

来週は遂に幸パパが上洛するようです。
秀吉は幸パパに何をしようとするか来週も楽しみ。真田○
プロフィール

時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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