真田丸_籠城28日目【黄昏】

はじめに、この記事は歴史的な検証など堅苦しいことはしません。
ただひたすら「萌えっぷり」を実況する真田○ワールドです。
史実検証に拘る方はスルーしてください^^/

尚、管理人本人の「大坂の陣」に関する知識は、司馬遼太郎作「城塞」だけです(爆



地震加藤やらないなぁと思ったけど、冒頭でチラ出しましたね。
やっぱ石田三成と対立するという歴史の流れ上では、時々出さないとまずいもんね。
秀吉との拝謁で「泣くなよ」って三成に言われてるのに、泣き崩れてましたけどね(;´・ω・)

キリシタン追放や処刑で色々な背景がズッコーーーンと端折られてたので、
今回も脳がフリーズしかけましたが何とか立ち直りました( ̄ω ̄A;アセアセ

密書が届いていたのをニーちゃんに明かした稲姫。
稲「わたくしは真田の妻、百助(ひゃくすけ)の母です(`・ω・´)キリッ」
・・・・・・・・・・「ももすけ」って読んでました・・・・・・il||li _| ̄|○ il||l

頑固な沼田の小父様も亡くなり、寂しくなるなぁ(´・д・`)
さすがにロスにはならんけど,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!

きりさんはキリシタンの集会?に通っているようです。
信繁に「あたしキリシタンになってもいいですか?」
って聞くのは止められるのを期待してるように見えましたけど?(*´m`)

上杉景勝が久々に出たな~~川* ̄д ̄*川ポッ 
あの直江は自分の中のイメージにピッタリで気に入ってます。

形見分けシーンで石田と片桐の扱いの差に笑った。
てか信繁を秀吉が瞬間忘れてて泣けた(´;ω;`)ウッ
心なしかガッカリしてた片桐さんが「自分の方がマシ」だと安心したように見えた^^;

・・・・・・・・ところで、さっきから思い出せないんだけど、
信繁に「自分のようになるな」って言った人って誰だったっけ?・・・ポリポリ(6 ̄_ ̄)
毎回記事にしてるわりに、ど忘れが多いんだよな~上杉景勝だったかな?^^;

吉野大夫と思ってデレデレしてたら、偽物くの一だったとは!( ゚д゚)ンマッ!!
幸パパもビックリ!
薫ママを抱き寄せる幸パパ。
やっぱり安心して傍における女房が一番よね(^ -)---☆Wink

豊臣秀吉の本当の病状をニーちゃんに伝えた信繁の心情は一体何だろう。
秀吉が遷都を考えていたって話。
新説か異説か三谷創作かは判らないけれど、秀吉が考えそうなことだとは思う。

最後のところで秀吉が信繁と初めて会った時のシーンを再現してたのには本気で涙目(´;ω;`)ウッ
華やかな秀吉の黄昏は、晴れた日の落日のように光芒が眩しい。
これから豊臣政権は先の見えない夜になる。
来週も楽しみ真田○ (・∀・)
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剛忠(龍造寺家兼)8【龍造寺分裂_後編】

追放された亡命将軍をテコに中央政界に介入しようとする大内義興。
現将軍を後ろ盾に家中の混乱を治めようとする大友親治。

明応7年1月~2月にかけて両者が激突した。
豊前や豊後が戦になり、バタバタしてるスキをついて西千葉が小城郡高田城に戻った。

大友相手に忙しい大内義興は、西千葉に対し筑紫満門、東尚盛を差し向け、これに東千葉の興常が加勢した。
結果、西千葉一族は小城郡から佐賀郡・川副へと逃れた。

ここで西千葉の実質的総領である尼日光(初代未亡人にして11代目千葉氏の娘)が、龍造寺に加勢を求めた。

ここで龍造寺内部で意見が分かれた。
嫡男・龍造寺胤家は加勢すると言い、
次男・龍造寺家和は大反対した。

嫡男・胤家は、この時に家督を継いでいた説と継いでいなかった説があるが、それはさておき。
胤家は次男・家和の反対を押し切り、西千葉へ加勢した。

その出陣にあたり龍造寺胤家は嫡男の座を捨てた。
以降、村中龍造寺宗家は次男・家和系統となり、胤家系から宗家当主が出ることはなくなった。

このあたり非常にモヤモヤする。
西千葉氏は少弐一門・横岳家から養子を迎えた少弐系千葉氏。
少弐が大内氏に敗れ滅亡寸前である以上、西千葉に加勢するのは龍造寺全体に危険が及ぶ行為。
それと敢えて侵すのだから、それで胤家が嫡男の座を捨て龍造寺から離れたのではないだろうか。

少弐は滅亡寸前までは行ったが、男子・資元が生き残り横岳家が保護していた。
だから少弐が(また)復活する可能性がゼロじゃない。
龍造寺は東千葉(=大内サイド)を怒らせず、かつ西千葉(=少弐サイド)からも恨まれないよう苦肉の策をとったとも言える。

だからって加勢は嫡男でなくても・・・となるのだが、これは胤家の性格の問題らしい(;´・ω・)
どうしても自分が助けに行きたかったのだろう。

それで西千葉の求めに応じて加勢したのが、
龍造寺胤家、光益光廣、渋谷河内守、壬生新左衛門、鏡山平右衛門、諸富、南里、石井。

すったもんだで明応7年2月24日「川副の戦い」となり、西千葉・胤繁が敗れ弟・胤治や尼日光は筑前へと亡命した。
龍造寺胤家も母の実家・小鳥居氏を頼り筑前へと亡命した。
(小鳥居家は大宰府天満宮・別当家の一つ)

武家にとって嫡男が家を捨てるというのは大事件だったはずで、何も記録に残ってないのが逆に気になる^^;
ただ兄弟の父で当主である康家がいたので、嫡男の座を次男へスライドさせる事自体は難しくはなかったと思う。
相談の上じゃないかな~と感じるのは嫡男の座を捨てた胤家が、亡命するときに生母の実家を頼ったから。
なんだけど、細かい記録がないので想像で補完するしかない状況です^^;

こうして龍造寺は大内と少弐、ひいては東千葉と西千葉の争いに巻き込まれ、一時的に分裂した。
後に龍造寺胤家は再び龍造寺へと戻るのだが、それは・またの話 by^-^sio

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

暑い・・・・il||li _| ̄|○ il||l

すいません。すいません。すいません。
東北以南の方ごめんなさい。
最高気温24度ごときで泣きごと言ってすいません(´;ω;`)ウッ

でも道産子には暑いんだよおおおおおおぉーo(* ̄○ ̄)ゝーーーー

朝晩は18度くらいまで下がるから、何とか凌げてるが既に夏バテ気味ですil||li _| ̄|○ il||l
8月~9月は最低気温も20度超えるな・・・・(==)遠い目

ちょっと暑くて動きたくなくて、うだうだ寝転がってます。
(床が冷たくて気持ち(・∀・)イイ!)

更新が遅れますが、暑さに慣れてきたら復活するんで、少~しノンビリします~

真田丸_籠城27日目【異変】

はじめに、この記事は歴史的な検証など堅苦しいことはしません。
ただひたすら「萌えっぷり」を実況する真田○ワールドです。
史実検証に拘る方はスルーしてください^^/

尚、管理人本人の「大坂の陣」に関する知識は、司馬遼太郎作「城塞」だけです(爆



今回は関ケ原の伏線が いぱーい。ゎーィ♪ヽ(*´∀`)ノ

春さんと梅さんって似てるかな~~
顔だちは別にして雰囲気が似てるように演出してる気はする。

さすがのきりさんも婚儀の日は来なかったか(-ω-;)ウーン
ちょっと可哀想だな~と思ったら、
春に偶然会った後の【あたしと梅ちゃんのいいところを~】のセリフで「ちょっと可哀想」が吹き飛びました,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!

にしても石田三成の「(春さんで)苦労するぞ」って、どういう意味だろうヽ(。_゜)ノ ?

おねしょしちゃった太閤殿下。
布団を燃やすのかな~と思って観てたら、三成が片桐さんになすりつけてた,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!
板挟みになったり、寝小便したと思い込まされたり、片桐氏は胃が痛くなるはずですな ( ゚Д゚)y─┛~~

わずかな段差で躓く秀吉・・・段差解消は畳でするのね(厚さは特注サイズだな)
捨(すて)と拾(ひろい)を混同したり、嗜好も変化。
姓事務機・・・政治向きの方針が突然変わったり、同じことを繰り返したり、秀吉の老耄が始まってきた。
さすがに家康への三度目は三成が阻止してたな~・・・ポリポリ(6 ̄_ ̄)

・・・・・個人的には五大老って呼称を大河で使うかが気になる。
五大老って呼称は江戸期から出たものだから。

今回の注目~ツンデレ稲姫懐妊おめでとう!
おこうさんの子供はどうするんですか,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!
検索なしのうろ覚えでは、おこうさんの子も男子だったような・・・( ̄ω ̄A;アセアセ
小松姫の子供が男子だったのは覚えてる~(・∀・)エヘヘ

てか薫ママ、菊亭晴季の娘って未だ言ってるのね~(*´m`)プププ

慶長伏見大地震。
せっかく幸パパが本気になって伏見城は一からやり直し(´;ω;`)ウッ

シオが肥前記事でチョイチョイ引用している北肥戦誌でも天変地異が度々記載されている。
室町後期から江戸初期のかけて、天変地異は多かった。

真田のためというニーちゃんと、秀吉に近づきすぎた信繁と、この先は二人の運命も交差して話は続く。
来週も楽しみ真田○ (・∀・)

剛忠(龍造寺家兼)8【龍造寺分裂_前編】

西国のドンは忙しい。
大内義興は少弐氏をコテンパンにした次に大友の家督相続にイチャモンつけた。

そもそも大友16代目(パパ)と大友17代目(息子)との壮絶が親子相克にもチョッカイ出して。
大友16代目は大内義興に殺されています。
(大友17代目は父より先に死亡。父による暗殺説がある)

で、家中の混乱をまとめたのが16代目の実弟にして家督を継いだ18代目大友親治(←宗麟の曽祖父)
その大友親治が息子・義長(←宗麟の祖父)に相続したのに、大内義興が文句つけた。

というのも18代目大友親治は家中の混乱収拾にあたり、室町幕府管領であった細川政元や将軍足利義澄らと通じたから。
伏線張ってたけど覚えてるかな?
西国のドン・大内義興がバックアップしてるのは亡命将軍・足利義材だってこと。

大友が少弐を支援してたこともあり、大友との過去の経緯も重なり、あっという間に関係悪化。
大内が大友の家督相続に難癖つけるまで拗れた。

明応7(1498)1月~2月、大内義興VS大友親治【下毛郡(大分県)の戦い】が起きた。
三行でまとめる(`・ω・´)キリッ
・大内義興が大友親治の従兄弟・大聖院宗心を担ぎ出した
・下毛郡の戦いで大内方を破って大聖院宗心を追放 o( ̄Д ̄θ★大友キーック!
・大友親治が大友家中の実権を完全掌握(=^・ω・^=)v ブイ

大友が戦国大名化への道を歩み始めるのは、この時からになるでしょう。
家紋・大友
ロン様作成:大友家紋ロゴ

で、豊前(大分県)の戦に出兵するために、大内配下となった元千葉家臣・東尚盛が出兵した。
このドサクサに紛れ、西千葉(少弐系)の尼日光や千葉胤繁、胤治が小城郡に返り咲いた。
シオは調べきれなかったんだが、千葉氏HP(小城千葉氏)によると高田城に入ったらしい。

で、この情報を知った西国のドン・大内義興。
大友と対立してる真っ最中で自身が動くわけにいかない。
筑紫満門、東尚盛を差し向け、東千葉初代・千葉興常も加勢した。

持ちこたえることが出来ず西千葉氏は、小城郡から佐賀郡川副へと逃れた。
11代目千葉氏の血を引く尼日光は龍造寺に加勢を頼んだが、それは・またの話 by^-^sio

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

真田丸_籠城27日目【受難】

はじめに、この記事は歴史的な検証など堅苦しいことはしません。
ただひたすら「萌えっぷり」を実況する真田○ワールドです。
史実検証に拘る方はスルーしてください^^/

尚、管理人本人の「大坂の陣」に関する知識は、司馬遼太郎作「城塞」だけです(爆



本日の真田丸は(緩い目でみて)80%くらいが三谷創作だったので脳がフリーズしました(;´・ω・)
かーーーんそうが浮かばない・・・・il||li _| ̄|○ il||l


えっと・・・・

同じ商人でも千利休と呂宋 助左衛門では扱いが随分違うなぁ^^;

大谷娘・春と信繁の結納は、このタイミングでしたか。
きりさん大パニック。

薫姑と稲姫・・・・まぁあの程度では嫁イビリにも入りませんな( ゚Д゚)y─┛~~
てか薫ママの公家娘って、実は嘘って言うのが面白かった。
言うにことかいて菊亭晴季って、嘘つくなら地味な家を選びなさいよ。
(※菊亭家の家格は摂関家に次ぐ清華家で大臣クラス)

おこうさんと稲姫の対決?シーンも良かったなぁ
てか、おこうさんも初めの病弱説が完全に吹っ飛んでます。

で、それをニーちゃんが「病弱かどうか判らぬ最初の妻」って言ってるのが笑った^^
真面目に考えると、おこうさんはヒステリーだったのかなぁ

幸パパが女遊び( ゚д゚)ンマッ!!
あり得る,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!

とりあえず信繁とニーちゃん兄弟が仲直りして良かった良かったで締めようかな・・と ( ̄ω ̄A;アセアセ

あ!
シオが萌えてる「父が偉大過ぎて苦労した」秀忠初登場おめでとう!ゎーィ♪ヽ(*´∀`)ノ
なんか今から「いかにも真田にやられそうなキャラ感」に溢れてました (゜-Å) ホロリ

来週も楽しみ真田○ (・∀・)

剛忠(龍造寺家兼)7【少弐氏、滅びの序章_後編】

明応6(1497)1月、筑前で大内に少弐が敗れた頃のこと。
同年1月23日、千葉胤盛(東千葉の祖)が河上山(社)へ安堵状を出した(河上神社文書208)
同年3月27日、千葉興常(東千葉初代)が河上神社へ禁制を出す(河上神社文書172)

東千葉氏は本来は嫡流なのだが、少弐の千葉氏乗っ取り(西千葉を立てた)を憤り、大内氏の支援を受けていました。

肥前一宮の川(河)上社。
由緒ある神社への安堵も寄進も禁制を出すのも、権力者の専売特許でありステータスです。

東肥前・西肥前を制圧し、松浦党を従えた少弐政資が本貫地・大宰府を大内に奪われた結果。
肥前における少弐の権威も大きく失墜しようとしていた。

家紋・少弐
ロン様作成:少弐家紋ロゴ

少弐政資と息子たちは、政資の実弟・千葉胤資のいる晴気城へと落ち延びた(筑前から肥前へって事)
だが3月下旬には、大内軍が肥前への侵攻開始。
「晴気城では支えきることが無理!」と判断した千葉胤資によって、少弐親子は夜陰に紛れ二手に分かれて脱出したのだった。

同年4月19日
千葉胤資・・・城から討って出て戦死、西千葉氏の晴気城が落城
少弐頼高(政資の子)・・・東千葉の興常勢に討たれる
当主・少弐政資・・・逃亡先の多久宗時(側室パパン)が変心。自害を勧められて切腹、享年57歳

同4月21日
少弐高経(嫡男)・・市ノ川で敵に追いつかれ山中で自害、享年36歳
勝敗は大内義興の圧倒的勝利に終わった。

千葉興常⇒肥前守護代に任ぜられる
寝返り組・東尚盛⇒佐賀郡の一部を与えられる
寝返り組・筑紫満門⇒三根群と神崎郡を与えられる
陶弾正忠⇒博多に駐留させる


大内義興は戦後処理を終えると意気揚々と山口へ帰国。
さらに少弐氏累代の官職である「太宰少弐」の地位までゲッツする。
ここまで来ると大内の全盛期は義興の代なんじゃね?と思いたくなってくる。

が、そう話は上手く運ばなかった。
なぜなら、ここまでやられたにも関わらず、少弐が完全滅亡までには至らなかったからです。
当主・嫡男・他男子・一族多数と死亡した少弐氏でしたが、自害した政資には、もう一人・男子がいた。
生き残った男子は、少弐資元。(*ノ・ω・)ノオオオオォォォォ
でも未だ数え9歳 il||li _| ̄|○ il||l
少弐一門の横岳氏が匿い保護しました。( ̄ω ̄A;アセアセ

日本国内における戦の不思議さは、滅多なことで相手を完全滅亡させないことです。
平家が源氏の頼朝を生かしたことでリベンジされたことは武家における常識です。
にも拘わらず、敵に男子が残っていても殆どが殺さず、大人しく家臣になるなら家名を存続させたり、出家させたり。
逆に男子がいなければ女系の男子で系譜を繋いだりします。
後に少弐を滅ぼす龍造寺隆信も少弐生き残りの男子を殺してはいません。

この不思議さは別にして、大内義興も横岳が保護した少弐資元を殺しませんでした。
完全に留めを指すことにより、肥前国衆がドン引きするのを恐れたのかもしれません。
だって少弐政資が作った西千葉氏も残っているからです。

家紋・肥前千葉
ロン様作成:肥前千葉家紋ロゴ

西千葉には11代目当主・胤朝の一人娘・尼日光が嫁いでいました。
彼女には息子がいないまま夫が亡くなったので、少弐資元を匿ってる横岳家から養子を二人迎えていました。
ちなみに横岳家は少弐一門です。
だから実質「少弐=西千葉」と思って差し支えありません。

尼日光が何故、東千葉に敵対したのかは不明です。
(※東千葉祖・胤盛は尼日光の叔父で、初代興常は尼日光の従兄弟という関係。)
(※尼日光の父・胤朝と胤盛は兄弟で肥前千葉の家督を巡って争った過去がありました。)
彼女が心ならずも少弐政資実弟との結婚を無理強いされたのなら、この時点で降伏することが出来たはず。
だから西千葉を存続させる道を選んだのは、彼女自身の意志でしょう。

晴気城が落城する直前に、千葉胤資は妻・尼日光と養子である胤繁・胤治も逃がしたらしい。
でないと三人が生きてるはずないんで^^;
胤繁・胤治の二人は多分元服はしてたと思うが、未だ10代だったはず。
西千葉を実質的に総領として仕切っていたのは、肥前千葉家の血を引く尼日光でしょう。

大内にすれば肥前の問題は肥前として、守護代にした東千葉に委ねることにより自分の手を汚すのを避けたんじゃないでしょうか。
争いは「大内と少弐の争い」から「東千葉と西千葉の争い」になり、必然的に龍造寺を巻き込むことになるのだが、それは・またの話 by^-^sio

テーマ : 歴史
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剛忠(龍造寺家兼)6【少弐氏、滅びの序章_中編】

はじめに【滅びの序章】だから、少弐は滅びず「滅びかける」んですよ^^

明応6(1497)1月、吉見正頼・熊谷膳直・小早川詮平・陶一族ら計2万余騎を、義興自ら率いての筑前入り。

家紋・大内 ロン様作成:大内家紋ロゴ

少弐高経(政資嫡男)、大内先陣・杉興正の布陣前の隙を突いて、これを討ち取る(=^・ω・^=)v ブイ
大内第二陣・陶興房&熊谷膳直が少弐に反撃 バキッ!!( -_-)=○()゚O゚)アウッ!
少弐高経は敗れて大宰府へ退く((((((((((っ´0`)っキャイ~ン
大内勢は勝ちに乗じ、兵5万騎(人?)に膨れ上がり箱崎(筥崎?)へ攻め入る

北肥戦誌には詳細はないが、おそらく筑前・豊前の国人らが大内軍に靡いたんだと思う^^;
「ヤバい」と感じた少弐は親子で相談し、二手に別れて逃げることにした。
少弐さんってば、何回も御家存亡⇒御家再興を繰り返してるんで、
落ち延びる手際が慣れてる,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!

当主・少弐政資⇒⇒岩門城に籠る
嫡男・少弐高経⇒⇒勝野尾城へ入る


大内勢は大宰府を制圧し、これを本陣とする(`・ω・´)キリッ
高経の勝野尾城へ、陶興房&陶安房守の2万が攻撃
政資の岩門城へ、陶弾正忠が同じく2万で攻撃


岩門城、落城!!!! ガ━━━(゚ロ゚;)━━ン!!
少弐一族10余人討死!岩門城の雑兵たちも殆どが討たれる

大内義興は、ガチで、完全に、少弐を滅ぼすつもりだったようだ。
通常の城攻めでは、わざと攻撃の一角を開けて、敵城兵の脱出ルートを作る。
そうすれば敵側は、抵抗するよりは逃げる方を選ぶ(特に城兵として徴募された雑兵たちが脱出)

そうなったら籠城を維持できなくなるので、敵も諦め降伏する。
結果として、攻撃側も損耗を抑えつつ早期に城を落とせるからです。

城の雑兵たちが殆ど討たれる・・・
って事は、大内は少弐の降伏助命を視野に入れない殲滅作戦をとったって事です。
しぶとい少弐が、今度こそ二度とリベンジ出来ないように、徹底的に潰すであります!o( ̄Д ̄θ★ケリッ!

少弐政資は岩門城を脱出し、実弟・千葉胤資の晴気城へと逃げた
家紋・少弐 ロン様作成:少弐家紋ロゴ

陶興房と陶安房守が勝野尾城を攻撃~バキッ!!( -_-)=○()゚O゚)アウッ!
少弐一門の筑紫満門、東尚頼が大内に降伏。
嫡男の少弐高経は肥前・神埼郡は勢福寺城へ逃げる。

つまり少弐は本貫地である筑前を追われ、(また)肥前へと逃げたんです。

3月下旬、大内勢が肥前へ侵攻開始。少弐高経のいる勢福寺城を攻撃。
3月28日、少弐政資は河上社へ「武運長久」「帰国安堵」の願文を出した(河上神社文書173)
大内の勢福寺城を攻撃は、歴代鎮西志では4月3日とあるので、少弐政資の(-人-)☆彡神様オネガイが攻撃の前か後かはイマイチ不明。
少弐が肥前に逃げるときは、基本、崖っぷち。
大内の肥前侵攻と、その攻撃目標に気づき「嫡男の無事の願いを込めた」のではないでしょうか (゜-Å) ホロリ

川上社の加護でしょうか。
4月8日、少弐高経は勢福寺城から父のいる晴気城へ逃げる(ギリギリセーフ)
4月13日、大内勢が晴気城(西千葉居城)を攻撃(大内の高笑いが聞こえてきそうだ^^;)
この攻撃には東千葉の千葉興常も参加してます。
地図・晴気と牛頭
だって、こーんな目と鼻の先にあるんですもん^^;

千葉胤資「兄上(少弐政資のこと)これ以上は無理~~支えきれない~~」
晴気城も危険でつ~兄上の側室の父・多久宗時殿を頼って下さい~・゜・(PД`q。)・゜・スマヌ

ちょっと秀吉の弟を思い出した・・・己は出しゃばらず、兄を補佐し続ける忠良な実弟。
少弐が肥前全体へ勢力を伸ばしたのは、この実弟が・尼日光(肥前千葉11代目娘)を妻としたのが大きい。
尼日光は肥前国人たちに対し、衰退する少弐への助力を依頼している。
(実質的には東千葉との戦い)

話戻って4月18日夜半・・・千葉胤資は、実兄・少弐政資を城から逃がした。
さらに時間帯をズラして別ルートで少弐の息子・高経、頼高を逃がす。

やっぱ落ち延びる手際が慣れ・・・(._+ )☆\(-.-メ)オイオイ
ここまでコテンパンにやられても、未だ滅びない少弐の家運が凄すぎるんだが、それは・またの話 by^-^sio

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真田丸_籠城26日目【不信】

はじめに、この記事は歴史的な検証など堅苦しいことはしません。
ただひたすら「萌えっぷり」を実況する真田○ワールドです。
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尚、管理人本人の「大坂の陣」に関する知識は、司馬遼太郎作「城塞」だけです(爆



きりさんに笑った^^
自分の事「(信繁の)初恋の女」だと思ってたんだ。
「逆じゃね?」って突っ込んじゃった。

オープニングで「たか」って誰だっけ?と思ったら前にも出てた秀次の娘だった。
秀次事件で彼女も殺されるのかな(´・д・`)

宇喜多秀家ってキャラがイメージのまんまだった,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!
能が秀でてたのはホント。鷹狩にもはまってたけどネー(*´・д・)(・д・`*)ネー
(それで宇喜多家の財政が・・・ゴニョゴニョ)

それにしても秀吉が怒りっぽく&疑い深くなってるなぁ。
そのたびに秀次が不安定になるし。
なんというか華麗なる一族が「だんだん壊れていく感」がホラー映画の伏線みたいで怖かった(((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル

官位で「信繁は抜け目ない」と怒るニーちゃん。
秀吉って、悪気ありと悪気なくの両方で「人の家の和を乱す人」なんだよな ・・・ポリポリ(6 ̄_ ̄)・・・ポリポリ(6 ̄_ ̄)

あと二人が豊臣姓を拝領してたとはシランカッタ( ゚д゚)
羽柴姓と豊臣姓は大判振る舞いしてたんで、自分も全員把握してない^^;
このあたりは時代考証の先生がついてるから、演出じゃなくホントに拝領してたんだろうなぁ

とりさんが稲姫を慰めるシーンは、ちょっとぐっときた。
稲姫のファザコンは乗り越えないとネー(*´・д・)(・д・`*)ネー

幸パパのテキトー?さが面白い。
いかにも戦国武将って感じ^^

それにしても秀保が死んだのが、拾三歳の時とは盲点だった(-ω-;)ウーム
この人、印象が薄いからノーマークなんだもん^^;

ん~~~~ちょっと思いついた!(・∀・)★ピコーン
秀次事件に連座されそうになったきりさんを信繁が「それがしの妻です(`・ω・´)キリッ」って助けるのよ~~
で、二人は何となくくっつく羽目になる・・・って展開を予想したけど果たして当たるかな?
来週も楽しみ真田○ (・∀・)

剛忠(龍造寺家兼)6【少弐氏、滅びの序章_前編】

明応3(1494)動きを止めない少弐に対して大内が動いた。

大内義興は淡路島に下向していた足利義材(よしき)に申し出、「少弐退治」の上意を賜る。
足利義材
「少弐は勘気の身であるのに公儀を軽んじ私に弓箭を爲す意味を得ていない。
急ぎ吉木御所を言上し少弐一族をことごとく誅殺すべし」

少弐「何が下向だ亡命将軍め!そっちがそうくるなら・・・」
明応4(1495)正月、少弐政資の子・頼資が上洛し将軍より偏諱を受け「高経」となる。
(武雄市史、歴代鎮西要略、多久市史より)
少弐の嫡男が偏諱を受けたのは将軍は将軍でも10代目・義材ではなく、11代目・義高(後の義澄)。

大内家は京都の細川家と対抗し、亡命した元・将軍を擁して京都に上洛しようとしていました。
その擁立しようとしてた元・将軍が足利義材です。

同年、大内義興は上松浦へ東尚盛、原田興種を派兵するが敗れる(by多久市史)
少弐に服属した松浦党は、大内勢を撃退した。

明応5(1496)春、少弐政資は高祖城を拠点とし長島、飯守、小田郡、荒平等の地を攻略し、嫡男・高経と共に大宰府に入る(歴代鎮西要略)

この年の大内は豊後・大友氏の家督にちょっかい出してました^^;
大友は以前に少弐に合力してましたからネー(*´・д・)(・д・`*)ネー
親・大内の大友当主に代わって欲しかったのではないかと・・・φ(.. ) メモメモ

そこまで行かずとも、家督のバタバタで大友は少弐を手助けする余裕がなくなります。
そっちを狙ったのかもしれません。

準備が整った大内義興。
同年12月・・・大内義興は幕府より「少弐追討令」を受けて山口を出陣!
明けて明応6(1497)1月、吉見正頼・熊谷膳直・小早川詮平・陶一族らを大内義興自ら率いて筑前入り、動員兵力は2万余騎

少弐一族必滅の構えで堂々な威容の大内軍~~豪華フルコンプ~(人´∀`).☆.。.:*・
これで滅びない少弐って・・・しぶとさが凄すぎるんだが、それは・またの話 by^-^sio

テーマ : 歴史
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剛忠(龍造寺家兼)5【松浦党、少弐に屈する】

延徳3(1491)10月、少弐政資は千葉氏、龍造寺氏、高木氏を率いて平戸を攻撃した。
この場合の千葉氏は西千葉だろうな__φ(.. ) メモメモ
ちなみに、この攻撃には有馬貴純、西郷尚善、大村純伊と西肥前の諸将も従軍してました。

状況から見ていくと西肥前の諸将が少弐に従う中で松浦党だけが抵抗してたようです。
延徳4(1492)松浦宗家当主・松浦定が死亡し、15歳の丹後守政が当主となった。

で、肥前で勢いつけると筑前に戻ろうとするのが少弐の行動パターン(;´・ω・)
同年5月6日、少弐政資は陶勢と筑前・筥崎で戦う(by北肥戦誌・月日は歴代鎮西志より)
この時の兵火で八幡宮社家数百戸が焼失し、死者も230余人。
兵火は少弐政資の放火と噂されましたヒソヒソネー(*´・д・)(・д・`*)ネー

家紋・少弐 ロン様作成:少弐家紋ロゴ

7月19日、明応へ改元

歴代鎮西志によると、千葉胤盛(東千葉祖)が胤将を攻め落とすとあります。
北肥戦誌では消息不明とあったので、どこで戦闘が行われたかは判りません。
ちなみに胤将とは胤盛の弟にして、二人の兄・胤朝を家督狙いで殺した人物です。
で、同じく歴代鎮西志では少弐政資(あるいは西の千葉胤資)と東千葉が和平したとあります。

これが何を意味するかというと【東千葉との和平によって】【少弐が西肥前へ兵を進めるのに後顧の憂いがなくなる】ってことです。

明応2(1493)、少弐政資は伊万里と渋川の旧臣を討つために【上松浦】へ出陣。
これには西の千葉胤資、龍造寺康家、高木家益も従軍してます。
松浦市史によると直谷(なおや)城が、大村と龍造寺勢に囲まれて落ちる。

明応3(1494)1月、少弐政資は西の千葉胤資、龍造寺康家、高木家重らを率いて【下松浦】を攻撃。

同年4月4日、松浦弘貞の平戸城が少弐政資に降伏。
松浦党の波多、鶴田、相知、有浦らは勝ち目がないと、戦う前に少弐に従属した。

3年越し、ついに松浦党を屈服させた少弐政資。
ちなみに有馬貴純は、この時の平戸攻めを賞され、少弐政資より藤津、白石、長島を安堵されている(by歴代鎮西志)
有馬が少弐被官と言われる所以であり、同時に有馬が東肥前へ野心を伸ばす切っ掛けとなった領地安堵だった。

で、肥前で勢いつけると筑前に戻ろうとするのが少弐の行動パターン(;´・ω・)
少弐氏、筑前・原田興種の高祖城を攻撃する。

少弐氏にとっての肥前は力を蓄えるための仮の宿にすぎない。
心は常に本貫地・大宰府にある。

筑前に出ては肥前に引っ込む少弐政資に対し、西国のドン・大内義興が遂に行動を起こしたのだが、それは・またの話 by^-^sio

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剛忠(龍造寺家兼)4【東西千葉氏誕生】

肥前千葉氏の家督を乗っ取った(実弟を当主にした)少弐政資の勢いは、増々盛んになった。

長享元年(1487)少弐政資は神埼郡・綾部城を攻撃。
渋川刀禰丸は幼少のため筑後へ亡命した。

一方、渋川兄の万寿丸(25歳)は筑前・亀尾城で、己の家臣・足助森戸に殺される。
25歳という年齢で幼名しか伝承されてない理由も不明だし、家臣に殺された理由も不明です。

で、肥前千葉の家督を乗っ取った後、言わば肥前での基盤を弟に任せ少弐政資自身は太宰府に戻ったらしい。
渋川兄が殺されて混乱してた筑前亀尾城を落としてます。

長享2(1488)は記録なし。

長享3(1489)1月23日、少弐政資と渋川刀禰丸勢が肥前養父の城山で激突する。
これには渋川刀禰丸側に、千葉興常が加勢してたんですが、渋川側が敗北し渋川刀禰丸は筑後犬塚城へと亡命しました。

で、この年は8月21日に延徳へと改元してます。

で、延徳になってからの12月30日、龍造寺康家は少弐政資に「右衛門大夫」の推挙をしてもらってます(by龍造寺文書98)
元々鎌倉期から少弐被官の龍造寺ですが、少弐政資の勢いの前に改めて被官となったのです。

翌延徳2(1490)少弐政資は東肥前・西肥前を制圧し筑後へ進軍。
これには大友政親が少弐に合力してました。
渋川刀禰丸クンは筑後犬塚城からも追い出された。o( ̄Д ̄θ★ケリッ!

が、大内が黙って少弐の好き勝手にはさせない。
大内義興の支援で千葉興常が牛頭山城ゲッツ(=^・ω・^=)v ブイ
牛頭山城は小城市にあり肥前千葉氏の居城です。
敗れた千葉胤資(少弐政資実弟)は牛頭山城のご近所、晴気城に入った。

ここに東西千葉氏が誕生します。
地図・晴気と牛頭
千葉興常のいる牛頭山城が東にあるので東千葉氏。
千葉胤資のいる晴気城が西にあるので西千葉氏。

えっと、嫡流は千葉興常の東千葉氏です。
元々、11代目の養子だった千葉興常が12代目になるところを、少弐政資が自分の弟を捻じ込んで12代目になったんです。
だから自分も初めは西が嫡流だと勘違いしてたil||li _| ̄|○ il||l

ちなみに千葉興常の実父・胤盛は存命しているので、牛頭山城には父子で入ったはず。
というより実権は実父・胤盛が握っていたのでしょう。

牛頭山城では遅れをとった少弐政資だが、肥前での勢いは衰えず。
自分に従わない松浦党攻略に精を出すのだが、それは・またの話 by^-^sio

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真田丸_籠城25日目【瓜売】

はじめに、この記事は歴史的な検証など堅苦しいことはしません。
ただひたすら「萌えっぷり」を実況する真田○ワールドです。
史実検証に拘る方はスルーしてください^^/

尚、管理人本人の「大坂の陣」に関する知識は、司馬遼太郎作「城塞」だけです(爆



紀行で佐賀県キタァ━━━━ヽ(´ω` *)ノ━━━━ッ★
期待してなかったから嬉しいゎーィ♪ヽ(*´∀`)ノゎーィ♪ヽ(*´∀`)ノ

さて本日ですが・・・
きりさんが秀次に側室や娘がいるのを知らなかったって不自然よネー(*´・д・)(・д・`*)ネー
このまま「いま少し」で引き延ばしてるうちに「秀次事件」になるんだろうなぁ・・・ポリポリ(6 ̄_ ̄)

朝鮮の役そのものはサラっと流すのは想定内^^

仮装大会で幸パパと秀吉の役柄が被るのはオリジナルだろうけど、意外性があって面白かった^^

舅・本多忠勝に気に入られた信幸兄だけど、相変わらず夫婦不仲でどうするんだろう^^;
どっかで関係修復するはずだけど、まさかこのまま関ケ原まで引っ張るつもりじゃないだろうな^^;

加藤清正が「兄が源三郎で弟が源二郎なのはおかしい(・A・)」って突っ込みするのは今更だけど面白かった。
日本じゃ通称の名付けは意外とアバウトなんだよーん(ワハハ)

オープニングのキャストでは松姉がいたことになってたが、どこにいたか探せなかった^^;
たぶん、ババ様のシーンでいたんだろうけど、よくわかんなかったのよ^^

ババ様「かくっ」と死んだと思わせて「生きてるぴょん♪」なとこは、何かのコントみたいだった^^
ババ様の出番は今日で終わるのかな?
好きなキャラだから寂しいなぁ

秀吉が大政所の臨終に間に合わなかった・・・とさらっとセリフで大政所は死にました( ̄ω ̄A;アセアセ
茶々の懐妊で不安定になる秀次。
信繁の大谷刑部の娘との出会い。
そして豊臣秀頼の誕生。

あらたな伏線が出始め来週も楽しみ真田○ (・∀・)
来週は放送時間帯が違うから気を付けてね(^ -)---☆Wink

剛忠(龍造寺家兼)3【家督乗っ取り】

大内の訴えにより室町将軍・足利義政の勘気を蒙った・・・簡単に言うと「ゴルァ!!!(# ゚Д゚)・;'.」と怒られた少弐政資。

亡命先の肥前を出たらしいのだが、その後の少弐が何処を拠点にしてたのか記録にない。
状況を辿ると筑前と肥前を行ったり来たりしてたようだ。

文明15(1483)、少弐政資は筑前に進出して大内勢と戦う(by佐賀市史)

で、同年の秋になると少弐は渋川氏(大内サイド)を肥前神埼郡・綾部を襲い敗走させている。

懲りない少弐に室町幕府、同年10月25日、渋川氏に命じ大内と共に少弐を討たせる←死んでませんよ~

文明16(1484)大内政弘、陶弘仲をして少弐政資の族を筑前で撃つ(by歴代鎮西要略)

こんな塩梅で、どうも筑前での少弐の様子は芳しくなく、はっきりしてないけど肥前に舞い戻ってるっぽい^^;

文明17(1485)10月20日、少弐政資、肥前神崎郡・仁比山社の社領を安堵する(by佐賀市史)
同年12月13日、少弐政資、肥前・光浄寺の三根郡うちの寺領を安堵する(by佐賀市史)


寺社の領地安堵は上位者のステータスの証。
大内と争い、肥前で勢威を保つだけの力が少弐政資にあったということです。
与賀神社2
与賀神社の楼門、少弐政資が造立したと言われている。

少弐政資を支えていたのは朝鮮との交易からもたらされる富だった。
その少弐政資が肥前千葉氏の家督に介入する。

文明18(1486)10月、千葉胤将(四男)が兄であり11代目当主である千葉胤朝に対し蜂起する。
肥前千葉の本拠地・国府(小城市)は夜襲され千葉胤朝が討ち死にしてしまう。

謀反した胤将はというと「少弐政資が討伐に来る」という噂にビビり逐電し行方知れずとなった。

不味いことに11代目・千葉胤朝は男子がいなかった。
代わりに、もう一人の弟(三男)胤盛の子・興常を養子にしていた。
順当にいけば、実甥で養子の千葉興常が家督を継ぐはずだったのだが、少弐政資は自分の弟を捻じ込んだ。

千葉胤将の一人娘(後の尼日光)と少弐政資実弟・胤資を結婚させて肥前千葉氏当主としたんです。

当然、正当嫡流である千葉胤盛・興常親子は、少弐政資による千葉氏家督乗っ取りに憤る。
何とか抵抗しようと少弐の敵である大内氏を頼った。

肥前千葉氏の家督を乗っ取り、肥前での勢力を増々拡大した少弐政資。
少弐の勢いの前に龍造寺も従わざるを得なくなるのだが、それは・またの話 by^-^sio

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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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