11・剛忠(龍造寺家兼)【少弐復活】

長文が苦手な方は三行&大文字説明に飛んでください(^ -)---☆Wink

大内VS大友の争いが激化するなか、肥前の龍造寺は間接的に大内配下となっていた。
文亀(1502)1月16日、龍造寺家和、千葉興常の推挙で(元)将軍・義尹へ御礼と遂げる(北肥戦誌174P)

千葉興常=東千葉氏=嫡流
少弐が西千葉を立て肥前千葉の家督に介入してきたので、少弐の敵である大内配下となったのが東千葉氏です。
北肥戦誌では将軍と書いてますが、実は亡命中の【元将軍】です( ̄ω ̄A;アセアセ
で、亡命先が大内義興の山口~~
つまり龍造寺家和は東・千葉興常と共に大内領に出仕したことになります。

一方、少弐の方も反撃を開始。
同年月日不明、少弐が西の千葉胤繁と胤治と共に、綾部の渋川尹繁を攻め筑後へと追う(千葉氏略年表)
渋川尹繁=九州探題職=大内の支援受けてる=少弐の敵認定

大内だって黙ってない
文亀3(1503)、大内義興が陶尾張守を派遣し「大友&少弐」と戦う

文亀4(1504)
少弐政資の生き残った息子(幼名不明)、北肥戦誌から算定すると数え16歳。
現将軍・足利義高の赦免で資元と名乗る。(元服か)

間が空き過ぎたので説明すると、現将軍・足利義高サイドなのが大友氏(`・ω・´)キリッ
少弐資元は大友親治・義親の親子からの支援で大内に反撃。
勢福寺城の江上興胤を追放し、勢福寺を拠点とする。


同年2月10日、大内勢VS少弐勢、筑前怡土郡で争う
この争いの中、少弐&西千葉の復活で亡命していた龍造寺胤家が肥前へ帰還。
(※胤家は一族の反対を押し切り西千葉に加担したため一時的に龍造寺を離れていた)
弟で胤家に代わり嫡子となった龍造寺家和に迎えられ、大財端城へと入る。

同年2月30日、文亀は永正へと改元される

ここまでを三行まとめ
・龍造寺は大内配下の東千葉の配下。
・少弐資元、大友の支援で元服し西千葉と共に大内に反撃開始
・少弐氏、拠点を佐賀郡から神埼郡・勢福寺城へと移る


少弐と西千葉が復活するということは、またまた肥前が巻き添えを食うのだが、それは・またの話 by^-^sio
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

真田丸_籠城34日目【挙兵】

はじめに、この記事は歴史的な検証など堅苦しいことはしません。
ただひたすら「萌えっぷり」を実況する真田○ワールドです。
史実検証に拘る方はスルーしてください^^/

尚、管理人本人の「大坂の陣」に関する知識は、司馬遼太郎作「城塞」だけです(爆



今日は盛りだくさん~濃い放送でした。
薫ママの出番が今後あるのか気になる(;´・ω・)

それにしても春さんが、あんなキャラ設定だったとは・・・(((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル
九度山が怖い(((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル

きりさんは細川家に仕え、ガラシャの死に巻き込まれるの確定です(`・ω・´)キリッ

そうそう、先週~じゃないか~って(コメント欄で)話してたけど、
加藤清正って、やっぱロ*6のCMの人だよね~ほら、当たって車買いにディーラーに会いに行く人(・∀・)

前田利家、やっと長セリフがあったと思ったら、すぐ亡くなってしまった^^;

それにしても
きりさんの「あたし、役に立ってますか?」に、
信繁が大声で「たまに!(`・ω・´)キリッ」って言い切るのが笑った。

七武将襲撃の三成ピンチを家康に収めてもらったのが信繁だったとは、三谷アレンジは流れが上手いなぁ

蟄居する三成は何を清正に囁いたのか気になる~~(;´・ω・)

家康が信繁にヘッドハンティング。颯爽と断るのが(・∀・)イイ!

直江状キタァ━━━━ヽ(´ω` *)ノ━━━━ッ★

後藤又兵衛に明石さんに、続々と新キャラも出て関ケ原っぽくなってまいりました。

上杉討伐に家康が出陣。
そして西国の毛利輝元を総大将とする西軍の挙兵が始まろうとしていた。

三成は頑張れば頑張るほど報われないというか人望がない。
もちろん家康との所領の差は前提としてあるけど、人望って別のところにあるんだろうなぁ。

実務に堪能で忠実な三成には、人望を得るための演技というか意識した振る舞いが出来ないんだろう。
人がどう思うかより、仕事を全うすることのほうに夢中になる。
主君から見れば愛すべきキャラだけど、同僚から見れば優秀すぎて嫌われる。

今回の三成像は一番分かり易い描き方をされてると思います。
朝鮮の陣がどうとかって詳しく出さなくても、嫌われていく経過の雰囲気が伝わるのは三谷脚本の巧さなんだろうな^^

次回は待ちに待った「犬伏の別れ」来週が楽しみ真田○ (・∀・)

真田丸_籠城33日目

はじめに、この記事は歴史的な検証など堅苦しいことはしません。
ただひたすら「萌えっぷり」を実況する真田○ワールドです。
史実検証に拘る方はスルーしてください^^/

尚、管理人本人の「大坂の陣」に関する知識は、司馬遼太郎作「城塞」だけです(爆



しばらくネットから離れてました^^;
さぼり癖がついちゃってすいません。

今日は不発に終わった石田三成の徳川屋敷襲撃。
それが逆に家康に自信をつけさせ、天下取りへと動き出す契機になったという皮肉な展開でした。

小早川金吾君は従来のイメージ通りだな~
福島正則は個別のキャラとしてはチョコチョコ出てる割に空気^^;

加藤清正が「友人」石田三成を心配するっていうのは新しい観せ方だと思う。
清正と三成の関係は朝鮮の陣より前は不仲じゃなかったので、個人的にはシックリ来る流れ。

にしても石田三成の嫌われっぷりが半端なくて笑うしかない。
大谷刑部は三成を止めるために敢えて家康についた。
これも友情の形 (゜-Å) ホロリ

細川忠興、前回はキャラがイマイチと思ったけど、今回のキレキレっぷりはイメージそのもの(=^・ω・^=)v ブイ
ここで干し柿ネタを使ったか(*´pq`)ぷぷぷ
といいつつ、元の逸話の詳細を忘れてしまった・・・・il||li _| ̄|○ il||l

宇喜多も三成にイライラすると言ってたけど、石田が社交的だったら歴史が変わってたのだろうか・・・(;´・ω・)
ついに家康を倒す決意をした上杉景勝。
直江が言ってるし史実もあるし、今度こそ口だけじゃない本気の決意。
渋いわぁ~(人´∀`).☆.。.:*・

雰囲気的に来週こそ前田利家が死ぬかな(;´・ω・)
実は、きりさんのウザ言動がなくて物足りなかった(爆

来週も楽しみ真田○ (・∀・)  

真田丸_籠城32日目

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尚、管理人本人の「大坂の陣」に関する知識は、司馬遼太郎作「城塞」だけです(爆



所用で遅くなったから、明日更新しようかと思ったけど、やっぱり記憶の新しいうちに記事にします^^
でもって放送回数のカウント、どこかで間違ってたみたい,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!

前田利家、出たと思ったらいきなり病床Σ(´Д`;)
史実的にはあってるけど、ちょっと出番が少ないのが丸わかりで気の毒。
でも前田利長もセットで初登場ですね^-^

そういえば毛利輝元も初登場な気がする(;´・ω・)

甕入りの秀吉って斬新~
出浦さんは傷病兵につき欠場、今後の出番希望~~(*´∀`)ノ

隠し子も舅・忠勝が許してくれて良かったねニーちゃん。

家康と三成の確執が深まり、加藤清正と三成がギクシャクし始めてる。

三成主催の宴会に細川忠興が来るって意外~~~
二人は誰が仲裁しても絶対仲直りしないほど不仲だったんです( ̄ko ̄)
三成は仲直りしたかったみたいだけど、忠興が三成嫌いだった。
これも関ケ原の伏線と思えば全然OK(=^・ω・^=)v ブイ

ていうか、自分の中の忠興のイメージって美男なんで、オッサンだったのが残念(´・д・`)
キリシタン志望のきりさん。
ガラシャ自害の場面に きりさんが居合わせそうな予感^^

信繁が三成に仕えるのも将来の伏線なんだろうな(-ω-;)ウーム
てか、三成って人の神経を逆なでる天才かも。
大谷の諫言も空しく、家康の挑発にのる三成。

そして相変わらず有言不実行な上杉景勝。
あれは直江が何も言うなって主君に釘指したっぽい雰囲気でしたね。

重要評議の場に陪臣がイパーイ,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!
ま、これも何時もの大河の風景ですな ( ゚Д゚)y─┛~~
来週は伏見で一番長い一日らしい、今後も楽しみ真田○ (・∀・)

真田丸_籠城29日目【終焉】

はじめに、この記事は歴史的な検証など堅苦しいことはしません。
ただひたすら「萌えっぷり」を実況する真田○ワールドです。
史実検証に拘る方はスルーしてください^^/

尚、管理人本人の「大坂の陣」に関する知識は、司馬遼太郎作「城塞」だけです(爆



ギックリ腰の方は何とかマシになってきました。
今日一日安静にしてたのが良かったみたい (;´・ω・)マダイタイケド・・

やっぱり今回の時代考証は安心できるな~~
江戸時代の呼称である五大老を使わず、当時の呼称「老衆(おとなしゅう)」を使ってました。(=^・ω・^=)v ブイ

冒頭の遺言合戦?にはシュールすぎて笑った。

小早川秀秋ってば燭台の火を消しちゃうあたり、なんだか関ケ原でやらかしそうに見えるのが覗える(*´n`)

きりさんってば、ドサクサに紛れて間接キッスしてるのネー(*´・д・)(・д・`*)ネー
一途というかストーカーというか、信繁も大変だなぁ( ̄ω ̄A;アセアセ

それにしても、おこうさんの子供は未だ隠し子扱いだったんだ。
(正式にニーちゃんの子供としてお披露目してない)
てか、桃太郎も幸パパにかかれば軍略ネタ扱い,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!

相変わらず真田の屋敷で自由に振る舞う本多忠勝。
すっかり孫フィーバーです。
嫡男誕生だから無理もないですな( ゚Д゚)y─┛~~

そういえばネットで、先週のシーンで「赤ちゃんがパンパースを使ってる」って話題でした。
さすがにそこまで時代考証に拘っては赤ちゃんが可哀想だから見逃してあげて^^;

秀頼と秀吉の対面シーンは良かったなぁ
子役が可愛かった^^

つい先ごろまで秀次ロスでしたが、
自分は秀次より出浦ロスの方が衝撃 ガ━━━(゚ロ゚;)━━ン!!
しかも出浦の邪魔をするのがニーちゃんとは、なんという皮肉 (゜-Å) ホロリ
あぁ、もうあの渋い演技は見れないのね・゜・(つД`q。)・゜・

色々引っ張ってた秀吉も死に、いよいよ家康と三成の対立が激化していく。
「老衆(おとなしゅう)」として上杉ばかりが出るが、前田利家は空気でいいのか?
来週も楽しみ真田○ (・∀・)

ただいま夏バテ日光アレルギーにギックリ腰入りました~~~~~~

もともと夏バテ気味で日光アレルギーで手足に湿疹が出てヒーヒーしてたんですが、
北海道なんで暑さの山場を過ぎれば治まるだろうと、痒いながらも呑気してました。

油断したのが悪かったんでしょうか・・・・

ギックリ腰になりました(´;ω;`)ウッ

ちょっと物を移動しようと中腰になったら
キュグキって腰が泣いた・・・

少し同じ姿勢でいるのと、身動きが・・・
恒例の真田○記事は体調次第で更新します。

ヨロシクお願いします

10・剛忠(龍造寺家兼)【対立、大内VS大友】

長文が苦手な方は三行&大文字説明に飛んでください(^ -)---☆Wink
明応9(1500)年1月、前年11月に近江で敗れた亡命将軍・足利義尹は再び大内義興を頼る(佐賀市史)

同年3月、亡命将軍・足利義尹は山口の神光寺に入る。
(適当な館がなかったのかな?)

同年4月、ここからが大事なところです( ̄ko ̄)
亡命将軍・足利義尹、肥前神埼郡にいる九州探題・渋川尹繁らに自分への忠節を求める。
同時期、現室町将軍・足利義高が大友親治、少弐資元に足利義尹討伐を命じる。

あ~あ、二人の将軍の争いが思いっきり肥前に飛び火してる(´・д・`)
まぁ、討伐って言っても亡命将軍の方は、西国のドン・大内義興の本拠地山口で保護されてるからして。
現実問題、討伐なんて無理なんだけど~~~でも戦の大義名分にはなるよね(・∀・)

とはいえ肥前は戦どころじゃなかったみたい。
北肥戦誌によると、この1500年3月~5月の間に降雨が一切なかったそうなんです。
稲や作物への恵みの雨が~~~~(;´・ω・)
同じく北肥戦誌より、同年8月2日、大風おびただしく、大水が山林を洗うとあります。
要するに台風で大規模な浸水被害があったってことなんでしょう。

日照りに大浸水・・・この年の収穫は絶望的だったに違いない(´;ω;`)ウッ

明けて明応10(1501)年、2月29日に文亀へと改元。
文亀元年4月20日、肥前に栗くらいの大きさの雹(ひょう)が降る(by北肥戦誌)

また田畑が・・・・il||li _| ̄|○ il||l
もう栗くらいの大きさったら「降る」っていうより「落ちる」ですな( ゚Д゚)y─┛~~

同年閏6月23日、大友親治の嫡男で当主の義親が豊後・筑後・豊前守護となる。
同年閏6月24日、大友義親は現将軍・足利義高より偏諱を受けて大友義長となる。

同日、大友親治(実権持ちの隠居)、少弐資元が、大内の豊前・馬岳城を攻める!
歴代鎮西志によると大内家臣で馬岳城主・杉兵庫助弘隆が討ち死にしたとある。

柳川市史によると大友親子は、筑後へも兵を進めていたそうで、
足利義高の「(亡命将軍を擁立しようとする)大内を討て!!!(# ゚Д゚)・;'.」の大義名分のもと、活発に軍事行動を始める。

だが豊前での大内の力は衰えたわけではなかった。
同年9月13日、周防の深野興信に豊前と筑前の土地を安堵している(大内氏実録土代)

では、ここまでを三行で説明(`・ω・´)キリッ
亡命将軍・足利義尹現将軍・足利義高の対立が激化
足利義尹は大内に、足利義高は大友に忠節を求めたので大内VS大友の対立も激化
・自然災害に苦しむ肥前は、両者の争いに巻き込まれようとしていた。

この動きの中で衰微していた少弐と西千葉が復活するのだが、それは・またの話 by^-^sio

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剛忠(龍造寺家兼)9【誕生・水ケ江龍造寺】

長文が苦手な方は三行&大文字説明に飛んでください(^ -)---☆Wink

明応7年2月、西千葉氏with龍造寺胤家が敗れて筑前に亡命した年の8月のこと。

あきらめない少弐は、未だ少年の少弐資元を擁立して綾部(肥前神埼郡)の渋川刀禰丸(大内サイド)を攻めたのだが、
大内が渋川へ救援を送ったので撤退した。

同年9月吉日、筑紫満門が河上神社へ河上宮の造営・遷宮の願文を出しています(河上神社文書176)
少弐一門でありながら、大内に降伏し幕下となった筑紫氏。
川上(河上)社へ造営・遷宮に関する願文を出すほど力を付けていたのが判ります。
あ、そういえば筑紫家は江戸期は幕臣で残るから、少弐一門の一つとして生き残った勝ち組になるんだよな^^

ちなみに、この年は平戸の松浦氏が松浦宗家を破った年です(松浦家世伝)

明応8(1499)年、戦国ミレニアムのせいだからか北肥戦誌によると、この年から飢饉が続き餓死者が多数出たそうです。

同年、渋川刀禰丸が大内義興の働きかけで元服、拝謁した足利義尹から偏諱を受けて尹繁となり、九州探題の任命された。
ちなみに歴代鎮西志では明応9年8月12日の事になってます。

で、亡命将軍・足利義尹は大内義興の庇護を受けてたのだが、もう大丈夫だろうと戻って近江で敗れた(11月)^^;
結局、亡命将軍・足利義尹は再度亡命して大内を頼ることになる。

では、ここまでを三行で説明(`・ω・´)キリッ
・大友は現将軍・足利義高に従う
・大内は亡命将軍・足利義尹をバックアップ。
・結果、大友と大内が対立する

ここから派生した現象を三行で説明(`・ω・´)キリッ
・少弐&西千葉は大友のバックアップを受ける
・九州探題・渋川&東千葉は大内のバックアップを受ける。
結果、少弐&西千葉VS九州探題・渋川&東千葉になる

大物の対立も派生した対立も連合軍になる場合もあれば、個々で戦ってる場合もありで、明確が決着がつかない状態がグダグダ続く事になる。

この明応8(1499)年に、龍造寺家兼が父から相続された水ケ江館を城に改築する
家兼がリフォームした水ヶ江城はクリークを利用しており、5つあった館(曲輪)は それぞれ独立していた。
その為、5館全部を合わせた広さは30町(約3.3km)という広大さ( ゚д゚)ンマッ!!

水ケ江龍造寺が龍造寺分家として頭角を現すのは、この時になるのではないでしょうか。
少弐の被官(家臣)でもあり、東千葉(嫡流)の被官でもある龍造寺。
両者の争いの中で生き残るべく、龍造寺は難しい舵取りを要求されるのだが、それは・またの話 by^-^sio

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プロフィール

時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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