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秋月種実72【必殺・一夜城!】

「岩石城が落城?!一日でか?」秋月は思わず問い返した。

秋月種実がいるのは、本城の古処山城ではなく、益富城だ。
益富(ますとみ)城は、黒田長政の「筑前六端城の一つ」としての方が有名かもしれない。
端というのは、豊前と筑前の国境にある城だからです。
秋月家では要害の岩石城なら一月は持つだろうと考え、
連携した軍行動をしようと、主君・秋月種実自らが本城を出て、益富城に入っていたのだ。
岩石城が落ちたとなれば、益富城にグズグズ留まれば秀吉本軍に囲まれてしまう。
秋月は益富城を放棄し、本城の古処山城で大勢を立て直すことにした。

「殿!益富城の火災は鎮火できましたが、大手門は破壊され、水の手も断たれております」
使番の報告を陣中で受けたのは、先鋒の蒲生・レオン(洗礼名)氏郷だ。
「ふむ・・秋月は、これで我らを足止めしたつもりらしい。」ふっと余裕の笑みの氏郷。

氏郷「諸将の中で、こちらに到着してるのは誰だ?」
使番「は、毛利家よりの与力・吉川広家殿、徳川家よりの与力・本多忠勝殿・榊原康正殿です」
九州征伐に徳川家康が四天王のうち二人を派兵しているのを知ってる人は少ない。
管理人も秋月関連で郷土史掘り起こして知ったことだ。

豊臣秀吉は到着した本多と榊原を、自身の馬廻衆に臨時に組み入れた。
馬廻衆とは今風に言うとSPで、主君のボディガードを務めるため身辺に常にいる。
つい先日まで政治的に対立し、秀吉嫌いで知られる両名を側に置いたことに諸将は驚き、
「さすがは関白殿下、並みの度量ではない」と、秀吉の評判は増々右肩上がりとなっていた。

氏郷「彼らに伝えよ。ワシに思案があるので助力されたし、こちらへ御足労願いたい。とな」
ほどなく3名が、やってきた。「思案とは何でござろう?」と、さっそく榊原が訊ねた。
氏郷「うむ、秋月は益富城を放棄し古処山城へ引き上げたらしい。」
  「城の主要箇所を破壊し火をかけ水の手も断っておる。」
  「我らが、ここを拠点とするには、復旧に数日を要する。」

氏郷「そこでだ、時間稼ぎしたつもりの益富城が、一夜で復旧したら何とする?(* ̄ー ̄*)ニヤリ
本多「一夜城か・・面白い」戦場カン抜群の本多忠勝が真っ先に反応した。
榊原「なるほど、であれば仕掛けするのは、古処山から見える方角だけでよかろう。」
吉川「???(@@)い・一夜?とは?」広家は訳が判らないという表情だった。
氏郷「おお、毛利家中でも御存知ない方がいるとなれば、秋月家中では誰も知るまい。」

氏郷の爽やかな物言いが嫌味を感じさせない。
氏郷が墨俣の故事を話すと、すぐ広家も領解した。

吉川「なれば、このあたりの事情は毛利の方が詳しゅうござる。資材調達はお任せあれ」
と、即座に行動を開始した。

榊原は「平八郎・・有名な一夜城を吉川では知らぬのか?」と、早口の三河言葉で本多に話しかけた。
本多「亡き元春殿の関白嫌いは有名じゃ。嫌いな相手の手柄は耳に入らぬし、入っても人には教えぬ。」
榊原「なるほど・・確かに(納得の表情)で、お主は蒲生殿の差配に従うのか?」
一応、関白の臨時馬廻衆なのだ。報告に戻らねば不味いだろう、ということなのだ。

本多「事後報告でよかろう。関白の轡(くつわ)を取るより、こちらを手伝う方が面白い」
榊原「確かに∴・…( ̄◆ ̄爆)ブハ!」
ベテランの猛者二人は豪快に笑うと、氏郷の指示に従い行動を始めた。

夜になると益富城の城下には火の手が上がり、たくさんの松明が動きで大軍の移動の様子が見えた。
秋月は(城の鎮火は終わったようだが、すぐに兵を収容することは出来まい・・・)と胸を撫で下ろした。
が、ホッとしたのは一晩だけだった。
翌日早朝から我が目を疑う報告を受ける。

と・・とのぉ~益富城が・・一夜で元通りになってます!!!
秋月( Д )  ゚  ゚ ば・・馬鹿な!!
まるでキツネに誑かされているようだった。
昨晩、秀吉軍に焼かれたはずの城下は、いつもと変わりないし、秋月が放棄するとき火をかけたはずの益富城は、以前と変わらぬ白壁が遠望できた。

ネタバラシすると、氏郷は城下を焼いてなどいなかったのだ。
大きな篝火をアチコチで炊いて、いかにも城下が焼き討ちにあったように見せかけただけだった。
益富城の方は外壁を覆う木枠を作って、吉川が調達した白紙を張り付けただけのハリボテだ。
だが「一夜城」という概念が全くない秋月の人々には秀吉が妖術を使ったかのように見えた。

と・・との~~~~古処山城の裏に・・・一晩で城が出来てます!!
ギャァ!( Д )  ゚  ゚
こっちは秀吉が作った一夜城(* ̄・ ̄*)Vブイ

派手好きの秀吉は、秋月の度肝を抜くために、さらに違う演出を施していた。
何と崖の上から白米を落として、遠目から一夜で滝が出来たかのように見せかけていたという。
「秀吉は化け物だ・・・」主戦派だった秋月の長男・種長が、膝から崩れ落ちてへたり込んだ。

さて、この「ハリウッド級の秀吉の一夜城」は単なる伝説で史実では無いらしい。
籠城の時に「水不足を誤魔化すため」「馬の背に白米を流し落として」「水が豊富にあるように見せかける」
この白米伝説は日本各地にあり、たいていの落ちはスズメが白米を摘まんで食べて敵にバレル^^
ド派手な秀吉の伝説だけに「水に見せかける」だけで収まらず「滝になった」∴・…( ̄◆ ̄爆)ブハ!
ただし「蒲生氏郷の益富城・一夜城」は本当(* ̄・ ̄*)Vブイ
その話が広まるうちに「秀吉の一夜城+滝伝説」が派生したようです。

岩石城落城と益富城の一夜城は、ヤル気満々だった秋月軍の戦意を粉々に打ち砕くのに十分だった。
何度か触れたが、どちらの城も秀吉本軍による攻撃ではなく、先鋒の蒲生氏郷の働きによるものが大きい。
秋月種実は豊臣秀吉と戦う以前に、戦国の貴公子・蒲生氏郷にしてやられたのです。

(これでは、もはや戦えない・・・)
秋月の脳裏に浮かんだのは、9歳の時に大友軍の攻撃を受けて焼け落ちる古処山城と、亡き道雪の兵に焼き討ちにあい逃げ惑う城下の人々だった。
同じ憂き目に合うのは耐えられない!秋月の地だけでも守らなくては!!
こと、ここに至って秋月は「勝利と打倒宗麟」の二兎を追うのは不可能だと悟った。
「生き残るため」の降伏を決意するのだが それは またの話
次回「降伏の駆け引き」
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秋月種実71【岩石城攻略】

「誰ぞ、薦野(こもの)を、これへ呼べ」
文を認め終えた立花宗茂が、次の間で控えている近習に声をかけた。

薦野増時(こもの ますとき)元は薦野村の国人領主だったが、先代の道雪に見い出され、立花家臣として仕えるようになり今では家老級の重臣となっている。

薦野「若殿、お呼びですか?」
薦野は先代・道雪が亡くなって1年余りたつというのに、当主である宗茂を未だに「若殿」と呼ぶクセが抜けない。
内心苦笑しつつ宗茂は用向きの次第を伝えた。

薦野「畏まりました。。。それでは関白殿下に直接会えるように、取り計らってもらいます。」
立花「うむ。。。見知らぬ上方兵の陣中を訪ねるのだ、侮られぬように「立花」の姓を名乗るがよい」
なるほど、それならば同じ使者でも箔がつき、関白殿下に会う算段もやりやすかろう。
(お若いのに若殿は真に心得てござる)薦野は主の配慮に得心しつつ、出発の準備に取り掛かった。

岩石と書いて「がんしゃく」と読ませる「岩石城」は福岡県田川郡添田町にあった。
たかが田舎城と侮ってはいけない。
築城は古く保元年間で平氏の城だった。(つまり鎌倉幕府成立前からある)
室町期に入ると豊前守護職だった大内氏の城となり、
戦国期・大永年間に大内氏から大友氏(大永年間は秀吉ママン世代が青春してる頃)が奪う。
でもって天正元年に、勢力拡大した秋月種実が大友から奪ったのです(* ̄・ ̄*)b

遺構を見ると、かなり大きな城だったらしく、ふんだんに虎口や堀切を利用した堂々たる戦国城郭でした。
現在の添田町は「岩石城で町おこし」すべく超プッシュしてます。
お約束の模擬天守、町立美術館(無料らしい)「岩石城祭り」も毎年開催しているそうなので、福岡県内と周辺の方~~~道産子の管理人の代わりに観てブログアップしておくれ~∴・…( ̄◆ ̄爆)ブハ!

城周辺には名前の通り、鋭い切り立った岩に囲まれて攻めづらく、
人々は「九州きっての名城(田舎の御国自慢ゆえ突っ込み不可)」と自信満々だったのです。
九州きって・・は吹かし過ぎだが堅城なのは事実で、この城を攻略することが「秋月討伐の要」として重要視されていました。
城主は秋月種実家臣で熊井氏・兵3000名で秀吉軍を迎え撃つべく p( ̄▽ ̄)qハッスル♪

対する秀吉は本軍を動かさずに、敢えて先鋒のみであたらせた。
先鋒は蒲生氏郷+前田軍・合わせて(わずか)5000。
「城攻めには籠城兵の倍する兵力がいる」というのは戦国期の常識で、熊井は寄せ手の兵力の少なさを見て嘲笑った。
が、その笑いがひきつるまで時間は要しなかった。

蒲生+前田の先鋒軍による岩石城攻撃は1587年4月1日の午前4時(早っ!)から始まった。
岩石城攻略のために陣中にいた豊臣秀吉の本陣を立花(薦野)増時が訪問した。
大友家臣の中では名前が知られていた「立花」の姓が功を奏し、すぐ取り次いでもらえた。
さらに幸運なことに機嫌が良かった秀吉は、直々に薦野を岩石城を攻撃している様子を案内したのだ。

秀吉「見るがよい。これからの城攻めは、こうだ。<( ̄^ ̄)/★」と御満悦で自慢した。
蒲生+前田は、石垣を登って攻略するのではなく、大量の火器・・・つまり火縄銃で間断なく攻撃し続けていたのだ。
途切れることの無い鉄砲の音は、秀吉軍が「とんでもない数の火器」を所持していることを窺わせた。
秀吉は感嘆した様子の立花増時に満足しつつ考えていた。
(大友家臣の目ぼしいのは、立花・・・志賀・・・佐伯か、、、腰抜けの義統には勿体無いわ)
(いずれワシの直参として取り立ててくれよう・・そのために布石を打つか)

秀吉「立花増時とやら、宗茂殿の実弟夫妻と生母は、昨年の8月から島津軍に囚われたままであったな」
立花(薦野)「は、不甲斐無い仕儀にて、申し訳ございませぬ( ̄ー ̄A 汗フキフキ」
薦野は背中に冷や汗が流れた。

主君・宗茂には「関白殿下の足手まといになってはならぬ故、それは報告せずとも良い」と言われていたのだが、
(やはり既に黒田如水殿から殿下のお耳に入っておられたか)何か叱責が・・と思った薦野に秀吉が意外な言葉を口にした。

秀吉「立花増時、そなたはワシと同行せよ。来る島津との戦において人質返還の交渉役にあたれ」
  「交渉のおりには、そのまま「立花姓」を名乗るが良かろう(* ̄ー ̄*)ニヤリ」
薦野は「あっ」と思わず声を上げそうになった。
秀吉は「立花増時」という家臣がいないことなど御見通しだったのだ。
そして主・宗茂が「立花を名乗れ」「人質の話に触れるな」と命じたのは、秀吉の記憶を逆に喚起させるためだったのだ。
(若殿の配慮もさることながら、それを見抜くとは、さすが天下人になっただけのことはある)
薦野は秀吉の配慮に心から礼を述べ、早速宗茂へ報告の手紙を出し、そのまま秀吉本陣に留まったのだった。
(宗茂は晩年の名乗りですが、解りやすさ重視で名前は統一して表記します)

九州征伐のあと、立花宗茂は豊臣秀吉のヘッドハンティングにより、大友家臣から豊臣の大名となる。
「秀吉が言いだした」「主君の大友義統の方が秀吉に推薦した」と諸説あり、このあたり江戸期・柳川藩成立過程におけるデリケートな話で、ハッキリとしていない。
本来であれば「宗茂の家族の人質奪還」に関しては、宗茂の主君である大友義統から、何らかの言葉があって然るべきなのだ。

昨年の8月以来、義統がしたことと言えば、「10月に豊前(にだけ)援軍で出陣し、留守を島津に侵攻され、12月に戸次川でボロ負けして、首都・府内を捨てて豊前の叔父様のところへ亡命する」と、散々な状態だった。

素人の調べだから自信は無いが「大友義統は、宗茂の家族の為に、何か配慮した様子が無い。
何しろ自分が亡命してる最中なので、たぶん宗茂の家族の事は忘れちゃってる~><;アウチ☆
完璧超人・立花宗茂は愚痴は言わない男だが、なにぶん主家が当てにならないので、自分で何とかしなくちゃならない。
(中小企業の社員が、人件費削減による人手不足で何でもやるうちに、スキルアップするのと似てる)
だから陪臣(またもの・秀吉から見れば家臣の家臣で本来ならお目見え資格無し)の身で、秀吉に「戦況報告」って形で直接にコンタクトをとったのです。

宗茂が大友家臣から独立した背景には「人質交渉」の時に義統と不協和音が生じたからでは無いだろうか。
主君である大友義統の頭越しに、秀吉から直々に命令を受けて動いたのだ、義統にとっては「自分の不甲斐無さを見せつけられた」ようで愉快ではなかっただろう。
だから、どちらが言いだしたにせよ「立花宗茂を手放す」ことに同意したのかもしれない。
宗茂は人質交渉で秀吉から配慮してもらった恩義があるし「主君が豊臣に仕えよ」と言われれば従うしかないだろう。
主君の大友義統が、名将・立花宗茂を手放さなければ、大友家の末路は違ったかもしれない。

管理人が考えている間も、ず~~~と岩石城には鉄砲が撃ちかけられ続けていた。
城主・熊井「落ち着け!敵の鉄砲は必ず途切れる、その時が反撃の機会だ!」
だが待てど暮らせど、鉄砲は止まない。
城兵が火縄銃で反撃しようとしても、弾込めしてる間に撃たれて倒れる有り様だ。
熊井は豪将で抜刀による突撃を得意としていたのだが、射撃の雨の中を打って出るのは不可能だった。

この時代の鉄砲の威力は現代ほどの殺傷力は無く、弾防ぎの盾が竹束だったほどだ。
にも拘わらず岩石城での城側の戦死者は全て狙撃によるもので、いかに火器を大量投入したかが解る。(つまり質より量)
熊井は時間とともに、寄せ手の兵力が少ない理由を察した。
鉄砲だけでなく火薬も半端でない量なので、大軍で囲む必要が無いのだ。
このまま射撃が続けば手も足も出ないまま、いずれ城が落ちるのは確実だった。

同日の午後4時・・・鉄砲の音が鳴りやまないことに、完全に戦意を打ち砕かれて岩石城は降伏した
ちなみに岩石城は接収された後は、再利用されずに廃城となり豊臣時代での活躍は無かった。
難攻不落と自信満々だった岩石城が、わずか一日で落城したことは秋月軍に激震が走った。
秋月種実は、自分の想像を超えた「巨大な敵」の力を思い知るのだが、それは またの話 
次回「必殺・一夜城」

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秋月種実70【決別】

説き続ける恵利の言葉を遮るように、秋月が言葉を発した。

秋月「恵利よ、そなた関白とやから太刀を拝領したそうだが、太刀一振りで上方に靡いたのか?」
  「それとも、臆病風に吹かれたか」
恵利「~~~~!!!」恵利は、主君のあまりの言葉に、愕然として言葉を失った。

二人が対面している広間には、豊臣秀吉の様子を知るべく、ほとんどの家臣が詰めていた。
そのなかに、秋月種実の嫡男・種長が、父の隣に控えていた。(種長は既に家督は継いでいる)
嫡男・種長はバリバリ武闘派の主戦論だった。
それを受けて、家臣の殆どは「エセ関白なぞ、一捻りだ」とヤル気満々だったのだ。
家臣たちは、主君・種実の言葉に「我が意を得たり」とばかりに、恵利を嘲弄し始めた。

「臆病者!」「おおかた関白に、誑かされたのじゃろう!」「ハハハ」
恵利に対する同僚や下座の者たちの容赦ない誹謗中傷を、秋月は止めず一座の空気に任せるままだった。
もはや、言うべきことは言いつくした・・・これ以上、ここにいれば無用の恥辱を受けるだけだ。
恵利は蒼白な顔で辞儀をすると広間を退出し、そのまま城を出て妻子を呼び寄せた。
恵利は妻子に広島までの使者としての用向きの次第と、広間で受けた嘲笑の全てを話した。

恵利「あの大軍の前では、いかに殿といえども太刀打ちできぬ。。。戦えば秋月は終わりだ。」
  「せめて一縷の望みをかけて、ワシの一命を持って殿に諫言する。」
  「よしんば聞き届けられずとも、ワシが関白に籠絡などされておらぬことは、殿に理解して頂けるだろう」
妻子「わたくしどもも御供します( ̄人 ̄)☆彡」
恵利と妻子は、城の側の大岩の上で自害して果てたのだった。
関白・豊臣秀吉の降伏勧告の言葉を伝えた恵利を退けたことで、秀吉と秋月の交渉は決裂し決戦となった

秋月「恵利が自害したか・・・」
後味が悪いが城内は秀吉との決戦に備えて湧きかえっており、もはやその流れを止めることは出来ない。
約20数年前・・・毛利と大友の戦を誘発させた頃の、秋月種実なら秀吉にサッサと降伏していただろう。
二十そこそこの若さは「次のチャンス・別の方法を考える」という柔軟な切り替えが出来た。
その秋月種実も数えで40・・・元々病弱な大友宗麟は58歳なのだ。
「大友宗麟を討てるのは、これが最後の機会」という焦りを打ち消すことが出来なかった。

「殿・・・さきほどから思案中のようですが、やはり大友家と戦になるのですか?」
秋月種実の妻が、白湯を手ずから運んで、黙り込む夫に声をかけた。
秋月「・・・わからぬ。大友家そのものには筑前へ派兵する余力は無いだろう」
  「だが、立花の婿殿(立花宗茂)や、豊前・竜王館の田原紹忍殿には、命令が下るやもしれぬ」
不安そうな面持ちの妻に秋月は笑みを浮かべて言った。

秋月「案ずるな。ワシの計略が外れたことがあるか」
妻 「さようでございました。殿は格別の方でした」

話は変わるが秋月種実には肖像画が無い。
代わりに「秋月種実の肖像」と伝えられていた肖像画が、実はあるにはあった。
だが、それは高名な上杉謙信公の肖像画にクリソツ。∑( ̄◆ ̄;(あれ?
近年になって「これは謙信公画像のパクリ・・・もとい、模写だ」ということで結論が出た。
でも管理人には「謙信公の模写画像」を「伝・秋月種実画像」と言ってた秋月の人達の気持ちが解るような気がする。
世間的には知名度が無い・マイナー武将でも、秋月家の人々にとっては「一度滅んだ家」を再興した「奇跡の人」なのだ。
軍神の化身と言われた謙信公に、なぞらえたい気持ちがあったのだろう。

秋月の知略は比類なく効果が思った通りでない事はあっても、謀略そのものは失敗した事は無い。
豊臣秀吉の九州征伐が無ければ、北九州の覇者となったのは秋月種実なのだ。
家臣たちは、心から主君の秋月種実を尊敬すると同時に(父が凄すぎのせいで嫡男の逸話が殆ど無い・汗)
主君の知略を支えて来た「自分たちの武勇」にも絶対の自信を持っていた。
彼ら秋月家臣は「本気で」豊臣秀吉に勝てると信じていたのだ。
九州征伐の最終・総動員兵力数は、もちろん知るよしも無かった。

1587年3月~豊臣秀吉が九州の玄関口である豊前に着陣する。
秀吉は馬ケ岳城を城主・長野種信から接収し(つまり追い出し)拠点とした。
さらに城主・長野種信に「筑前への先導(せんどう・道案内)」を命じた。

毛利家は北九州に過去に野心を持っただけあって、各国人たちの情報に詳しい。
長野種信が、秋月種実の実弟であることは知っていたし、秀吉にも報告していただろう。
豊臣秀吉は、城の利便性だけでなく、秋月種実の実の弟と知って、あえて道案内をさせたのだ。
もちろん秋月側が、多少なりとも動揺することを狙ったのだろう。

「・・・・・・・・・」
馬上に揺られながら長野種信は、ふと空を見上げた。
空を見ると、幼いころ過ごした(亡命してた)山口でのことを思い出す。
城が焼かれる匂いと敵の武者声の恐ろしさが耳に残り消えず、何より母恋しさに泣き続けた。
自分が泣くと、釣られて弟の種冬まで泣き出す。
弟たちが泣きだすと、兄の種実は二人の手を引いて泣き止むまで、そこらを歩き回った。
兄は・・・今思えば泣いている姿を、毛利家の家人に見られたくなかったのだろう。

「種信・種冬・・・空を見ろ」種実が唐突に声をかけた。
種信「・・・?空・・・が、どうかしたのですか」半べそで、返事をする。
種実「雲の形が気に入らぬ・・・秋月の空は、このようでは無かった」
・・・そう言われても、どこがどう違うのか、種信には見当も付かなかった。
種実「種信・種冬、待っておれ、ワシが必ず秋月の空を再び見せてやるからな」

早春から新緑にかけて、香りが強くなる草むらを掻き分けて、筑前への道を先導する。
兄を滅ぼすための関白の軍を案内するのだ。
「兄上・・・これも戦乱の世の習い・・お許し下され・・敵味方に別れても兄上の武運を祈念いたします」
長野種信は心中深く詫びると、後は真っ直ぐに前を向いて、粛々と勤めを果たした。

長野氏は九州征伐を生き残ることが出来なかった・・・
接収された城は戻らず、先導した功績に対する加増の沙汰も無いままに家運の衰退に歯止めがかからず、いつとは無しに記録から名前が消えいくのである・・・
さて豊臣秀吉の筑前における最初の攻撃目標は岩石(がんしゃく)城~~!
それは またの話 (* ̄∇ ̄*)

次回「岩石城攻略」

管理人補足:
長野氏当主に関しては、秋月の実弟説と別人説がありますが、本記事では秋月の実弟説を採用しました。
でもって二人の弟の幼名が解らなかったのと、解りやすさ優先で全員の名前は元服後の名前で統一しました^-^

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秋月種実69【使者往来】

兵法三六計・第三計・・「借刀殺人・しゃくとうさつじん」
一言で説明すると「他人の褌で相撲を取る・自分の手を汚さずに敵を倒す」ということで、謀略を繰り返して来た秋月種実にピッタリの言葉だろう。

秋月が大友配下時代に出仕していた「大友家の首都・府内(ふない・現大分市)」の城下は、島津軍によって焼き払われ、府内城も略奪により踏み荒らされ蹂躙されていることだろう。
「だが、大友が滅んだわけではない・・・」秋月は心中呟いた。
亡き父母と兄の仇・大友宗麟・息子の義統・嫡孫の義乗・・・彼らが生きている限り、大友には家名存続の道筋が残されているからだ。

1587年1月下旬・・・九州征伐・第一陣が九州へ向けて出陣。(ご贔屓の宇喜多秀家公も入ってます)
同年2月・・・秋月種実は重臣・恵利を広島まで到着した豊臣秀吉の元へ敵情視察に送った。
「敵情視察(スパイ)なのに堂々と会っていいのか?」ですって?
(* ̄・ ̄*)bいいんです。秀吉の人物を見定めるためには、直接会わなきゃです。
そのためにスルーされない重臣クラスを派遣してるんです。
秋月は昔、毛利元就の支援を受けていたから、その関係で今も毛利家との繋がりは切れてません。
毛利家を通せば、秀吉に会わせてくれます^-^

豊臣秀吉は前年の12月に戸次川合戦で大敗北した総大将の仙石秀久を解任し、後任の軍監として尾藤を据えた。
さらに日向口からの侵攻の総大将に実弟・羽柴秀長を任命し万全の態勢を整えつつ、秀吉本人は北九州・豊前(12月に豊臣政権が制圧済み)入りし、筑前へと駒を進めようとしていた。
筑前で最大の版図を持つ、秋月種実が「従うかor戦うか」は、諸将の注目の的だった。

秀吉は、いわば「仮想敵」にあたる秋月の重臣・恵利を歓迎するだけでなく、所持している秀吉本軍の膨大な数の鉄砲・大砲・火薬を恵利に見せた。
その物量の多さ上方兵の軍装の華やかさで、恵利の度肝を抜くためで、秀吉の予想通り、恵利は(* ̄O ̄*)茫然・・・言葉を失った。(と、ととても勝てる相手じゃない・涙)

恵利の動揺を十分に確認した後に、秀吉は「秋月に伝えよ」と言った。
秀吉「秋月が従えば豊前・筑前は秋月は、そっくりそのままに100万石(ココ重要)の封土を与えよう」
そう言うと、恵利に「遠路苦労」と太刀を一振り与えた。
太刀には、むろん恵利が見たことも無いような華やかな拵え(こしらえ・装飾)が施されていた。

恵利は気もそぞろになり、秀吉や取り次いでくれた毛利家臣に、ちゃんと挨拶できたかも定かでは無いほど動揺した。
一目散に筑前へ戻ると、主君である秋月種実の御前に罷り出て、事細かに報告した。
秋月は恵利・・いや秀吉の言葉が信じられなかった。
(100万石・・・バカな、有り得ぬわ。せっかく制圧した豊前をワシに与えるなど出来るはずもない)
(ワシに100万石を与えたら、豊前制圧のために働いた諸将への恩賞は何処から捻り出すのじゃ)
(関白と言うが、しょせんは成り上がりよ、ワシを油断させる為なら何という見え透いた罠であろうか)

秋月種実の不信は、半分当たって、半分外れていた。
なぜなら九州征伐の豊臣秀吉はジゴロのように罪作りな男だったからです。
西日本は中国・四国・紀州が豊臣政権の制圧下に入り、残るは九州だけだった。
秀吉は一日も早く九州征伐を完了させて、その武威でもって関東以北を制圧しようとしていた。
成果を焦る秀吉は、人質を差出し恭順する国人領主たちに「領地安堵ヾ( ̄・ ̄*)))チュ♪」
と言う口約束を、バラマキまくってたんです。( ̄ー ̄A 汗フキフキ(あくまで口約束なのがズルい)

そんなアチコチに愛想を振りまいてたら、土地が足りるはずもなく、九州征伐が終わってみれば、国人領主たちに分ける土地は寸土も残ってなかった。(当たり前)
「話が違う!」と切れた国人が「天草一揆」「肥後一揆」「豊前の反乱」と次々蜂起するんです。
だから秋月に100万石は完全にリップサービス(を通り越してウソに近い)。
でも半分本当というのは「秋月の本城と周辺の本貫地安堵」の確率は高かったからです。
九州征伐には大物・島津退治が残ってます。
秋月が降伏⇒関白「ワシ寛大だから本貫地安堵」⇒他の国人「秋月が無事なら、今のうちにワシらも降伏しよ」
という流れにトントン拍子に行くのが秀吉の理想だった。
(秀吉:戦にならなければ、諸将への恩賞も薄くで済むもんね~(* ̄・ ̄*)Vブイ)

ただ「日頃の大言壮語」が出て「大袈裟に吹き過ぎた」せいで、謀略・陰謀体質の秋月種実には豊臣秀吉が信じられなかった。
そして何より秋月種実が、ひっかかっているのは「豊臣秀吉が大友家を保護している」という点だった。
九州征伐の「そもそもの発端」は、島津に領地を侵食され衰退した大友家が「島津討伐を秀吉に願い出た」ことから始まっている。
秋月にとって大友が「30年来の仇敵」であることなど関係ない。
「九州征伐が完了し、豊臣政権の地盤が固まるまで」「そのキッカケを与えてくれた大友家」は、どこまで行っても保護の対象なのだ。

逆を言えば「豊臣秀吉の保護」を失えば、今度こそ大友家を倒せる。
死化粧を施した大友宗麟の首を、秋月種実が引見する日が来るのも夢ではなくなる。
9歳の時に大友軍に父母と兄を殺され、全てを失い亡命しゼロからスタートした日の屈辱を、秋月種実は生涯忘れなかった。

打倒大友のために、妻の実家(大友家臣・田原家)を利用した。
打倒大友のために、実弟(長野氏)と次男(高橋氏)を養子に送り込み、それぞれの家を乗っ取った。
打倒大友のために、秋月の陰謀に振り回され、家運衰退を嘆き自殺した姫君(宗像家の色姫)がいた。

最初は毛利を、次に島津の力を利用し、大友と噛ませ合うように仕組んだ。
内部工作に離間工作、ありとあらゆる裏工作を用いて36万石になるまで這い上がったのは、全て大友を倒すためなのだ。
仰ぎ見るだけだった「名門・大友家」という巨人は、ついに自力で立てぬまで弱ったのだ。
いまの自分なら・・・秋月自身の力で大友を仕留めることができる・・・
遂に復讐を果たせる喜びが、用心深い秋月から冷静な思考力を奪った。


恵利は、何も言わず自分を見つめ続ける主君に対して必死で説いた。
あの大軍・あの大量の銃器には勝てない、豊臣に従うべきだと縷々説いた。
だが今まで見たことも無い物量の概念を、それに不信感を抱く相手に伝えるのは難しい。
説けば説くほど、秀吉本軍の威容が現実離れした御伽話のように空らつに響いた。

主君が30年間「打倒大友」を夢見て来て、それが生きがいだったのは、よく分かっている。
だが「大友への恨みを忘れて」、国人領主の昔の原点に立ち返って「生き残ること」だけ考えるべきなのだ。

説き続ける恵利の言葉を遮るように、秋月が言葉を発した・・・それは またの話 

今回からラストスパートに向けて小説風になってます(*´艸`)

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

謹賀新年

明けましておめでとうございます。

このようなマニアックなブログを読んでくださる奇特な方々に、
心より御礼申し上げます。

本年も宜しくお願い致します。

管理人 時乃栞
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Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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