fc2ブログ

改5【松浦党、少弐に屈する】

延徳3(1491)10月、少弐政資は千葉氏、龍造寺氏、高木氏を率いて平戸を攻撃した。
この場合の千葉氏は西千葉だろうな__φ(.. ) メモメモ
ちなみに、この攻撃には有馬貴純、西郷尚善、大村純伊と西肥前の諸将も従軍してました。

状況から見ていくと西肥前の諸将が少弐に従う中で松浦党だけが抵抗してたようです。
延徳4(1492)松浦宗家当主・松浦定が死亡し、15歳の丹後守政が当主となった。

で、肥前で勢いつけると筑前に戻ろうとするのが少弐の行動パターン(;´・ω・)
同年5月6日、少弐政資は陶勢と筑前・筥崎で戦う(by北肥戦誌・月日は歴代鎮西志より)
この時の兵火で八幡宮社家数百戸が焼失し、死者も230余人。
兵火は少弐政資の放火と噂されましたヒソヒソネー(*´・д・)(・д・`*)ネー

家紋・少弐 ロン様作成:少弐家紋ロゴ

7月19日、明応へ改元

歴代鎮西志によると、千葉胤盛(東千葉祖)が胤将を攻め落とすとあります。
北肥戦誌では消息不明とあったので、どこで戦闘が行われたかは判りません。
ちなみに胤将とは胤盛の弟にして、二人の兄・胤朝を家督狙いで殺した人物です。
で、同じく歴代鎮西志では少弐政資(あるいは西の千葉胤資)と東千葉が和平したとあります。

これが何を意味するかというと【東千葉との和平によって】【少弐が西肥前へ兵を進めるのに後顧の憂いがなくなる】ってことです。

明応2(1493)、少弐政資は伊万里と渋川の旧臣を討つために【上松浦】へ出陣。
これには西の千葉胤資、龍造寺康家、高木家益も従軍してます。
松浦市史によると直谷(なおや)城が、大村と龍造寺勢に囲まれて落ちる。

明応3(1494)1月、少弐政資は西の千葉胤資、龍造寺康家、高木家重らを率いて【下松浦】を攻撃。

同年4月4日、松浦弘貞の平戸城が少弐政資に降伏。
松浦党の波多、鶴田、相知、有浦らは勝ち目がないと、戦う前に少弐に従属した。

3年越し、ついに松浦党を屈服させた少弐政資。
ちなみに有馬貴純は、この時の平戸攻めを賞され、少弐政資より藤津、白石、長島を安堵されている(by歴代鎮西志)
有馬が少弐被官と言われる所以であり、同時に有馬が東肥前へ野心を伸ばす切っ掛けとなった領地安堵だった。

で、肥前で勢いつけると筑前に戻ろうとするのが少弐の行動パターン(;´・ω・)
少弐氏、筑前・原田興種の高祖城を攻撃する。

少弐氏にとっての肥前は力を蓄えるための仮の宿にすぎない。
心は常に本貫地・大宰府にある。

筑前に出ては肥前に引っ込む少弐政資に対し、西国のドン・大内義興が遂に行動を起こしたのだが、それは・またの話 by^-^sio
スポンサーサイト



テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

改4【東西千葉氏誕生】

肥前千葉氏の家督を乗っ取った(実弟を当主にした)少弐政資の勢いは、増々盛んになった。

長享元年(1487)少弐政資は神埼郡・綾部城を攻撃。
渋川刀禰丸は幼少のため筑後へ亡命した。

一方、渋川兄の万寿丸(25歳)は筑前・亀尾城で、己の家臣・足助森戸に殺される。
25歳という年齢で幼名しか伝承されてない理由も不明だし、家臣に殺された理由も不明です。

で、肥前千葉の家督を乗っ取った後、言わば肥前での基盤を弟に任せ少弐政資自身は太宰府に戻ったらしい。
渋川兄が殺されて混乱してた筑前亀尾城を落としてます。

長享2(1488)は記録なし。

長享3(1489)1月23日、少弐政資と渋川刀禰丸勢が肥前養父の城山で激突する。
これには渋川刀禰丸側に、千葉興常が加勢してたんですが、渋川側が敗北し渋川刀禰丸は筑後犬塚城へと亡命しました。

で、この年は8月21日に延徳へと改元してます。

で、延徳になってからの12月30日、龍造寺康家は少弐政資に「右衛門大夫」の推挙をしてもらってます(by龍造寺文書98)
元々鎌倉期から少弐被官の龍造寺ですが、少弐政資の勢いの前に改めて被官となったのです。

翌延徳2(1490)少弐政資は東肥前・西肥前を制圧し筑後へ進軍。
これには大友政親が少弐に合力してました。
渋川刀禰丸クンは筑後犬塚城からも追い出された。o( ̄Д ̄θ★ケリッ!

が、大内が黙って少弐の好き勝手にはさせない。
大内義興の支援で千葉興常が牛頭山城ゲッツ(=^・ω・^=)v ブイ
牛頭山城は小城市にあり肥前千葉氏の居城です。
敗れた千葉胤資(少弐政資実弟)は牛頭山城のご近所、晴気城に入った。

ここに東西千葉氏が誕生します。
地図・晴気と牛頭
千葉興常のいる牛頭山城が東にあるので東千葉氏。
千葉胤資のいる晴気城が西にあるので西千葉氏。

えっと、嫡流は千葉興常の東千葉氏です。
元々、11代目の養子だった千葉興常が12代目になるところを、少弐政資が自分の弟を捻じ込んで12代目になったんです。
だから自分も初めは西が嫡流だと勘違いしてたil||li _| ̄|○ il||l

ちなみに千葉興常の実父・胤盛は存命しているので、牛頭山城には父子で入ったはず。
というより実権は実父・胤盛が握っていたのでしょう。

牛頭山城では遅れをとった少弐政資だが、肥前での勢いは衰えず。
自分に従わない松浦党攻略に精を出すのだが、それは・またの話 by^-^sio

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
月別アーカイブ
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
学問・文化・芸術
378位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
歴史
83位
アクセスランキングを見る>>
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR