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【女城主・立花千代】柳川藩初代藩主編1栞69


(ぎん)という漢字の意味は“慎み人の話を聞く”

・・・なのですが、当の本人は言いたいこと言ってたみたいです,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!

男勝りで武勇に優れ、女鉄砲隊を率いていたという立花ギン千代は、記録が大変少なくそのため さまざまな伝説が生まれた。

ギン千代は1568年生まれで九州は筑前(福岡県)出身。

父は大友家の家臣で、雷神と讃えられた名将:立花道雪(たちばな どうせつ)です。

ギン千代は1575年5月28日・わずか7歳で家督相続をします。

相続は主君・大友の許可を貰い、居城である立花城の備品・武具の「ゆずり状」を渡される正式なものでした。

戦国とはいえ珍しい女当主の相続には、当然、紆余曲折がありました。

ギン千代には政千代(母親の連れ子説アリ)という姉がいて、姉のムコ候補に立花家の家老・薦野増時(こもの ますとき)がいました。

が、この姉は12歳で早逝し、ムコ養子の件は白紙になりました。


立花道雪

男の子がいない道雪に主君の大友宗麟が「道雪の甥っ子を養子にしては?」と言われたのですが、道雪は自身の実家・戸次家の家督が、空位になるのを恐れて主君の申し出を拒否。

再び家老の薦野を養子に・・・と薦野に打診した。 

薦野「相続は重要ですので家臣を養子になどせずに、しかるべき家の若者をお選び下さい」

と、薦野本人が断ったので、道雪は一旦、娘のギン千代に相続させた。

そして道雪と薦野が選んだのが、のちの名将・立花宗茂(たちばな むねしげ)です。

1581年2月吉日~薦野が手配し宗茂15歳とギン千代13歳が結婚^^/

不仲と言われたギン千代夫妻ですが、二人は年少のころから立花城で育った幼馴染の関係。

女当主だったギン千代は、宗茂に言いたいことが言える立場でした^^;

宗茂が当主になってからもギン千代は領内の政治に口出しして宗茂を困らせた・・と言われる。

ですがギン千代は男子同様に家督を継いだ、いわば宗茂の「先代」な訳で口出しできる有資格者でもある( ̄ω ̄A;アセアセ

二人の運命が大きく変わり、立場が逆転するのは1587年~天正15年~6月のこと。

夫・宗茂が、大友家臣から独立し、柳川13万石の大名となってからです。



立花宗茂

ギン千代「いやぁぁぁ!筑前・立花城(現・福岡県)を出たくない~~筑後・柳川城(こっちも福岡県内)なんて行きたくなぃいいいいいいいいい!!!

女の足で移動しても二日ほどの旅程なのだが、なにせ戦国時代の上に関白・豊臣秀吉の命令による領地変更だ。

おそらく生まれ育った故郷、立花の地は二度と踏めないだろう。

抵抗するギン千代を家老の薦野が説得した。彼女が柳川入りするのは夫に遅れること1日~6月18日です。

( ̄ko ̄)<実は、夫・宗茂には庶子伝説があるんでつ~

1590年「小田原の陣の時」~夫・宗茂は陣中見舞いをして8月に柳川へ帰還する。

同年10月「妻子」を伴い大坂へ暫く滞在 ・・・と記録があるからだヽ(。_゜)ノ へっ?

全ての大名は首都・大坂に人質を置くのだが、ギン千代は上洛を拒否!大坂には一度も行ってない。

「妻子」の記述は、これっきりで出て来ない・・・宗茂は誰を連れて行ったのだろう・・・??
ギン千代伝説・その1

朝鮮の役(1592~1598年)の時、肥前名護屋城にいる豊臣秀吉が、高名な女城主・ギン千代に興味を持ち、彼女を柳川から呼び寄せた。

ギン千代は「戦の前線基地への呼び出しだ」と侍女軍団・女鉄砲隊を率い完全武装してきたので、ドン引きした秀吉は彼女を下がらせ会わなかった。

だが帰国した夫・宗茂は妻の貞操を疑い、怒ったギン千代が離婚した。
この伝説は後世の創作だろうと言われています^^b

そもそもギン千代は柳川時代は一度も領地を出たことがなく、秀吉とも面識なしなんです。

ギン千代と宗茂の別居時期は年代が確定していませんが、大名となってから子供がいない宗茂は側室(愛人)を作りました。

それも家臣の娘や親族でもない。細川幽斎の紹介の矢島氏。

しかもこの矢島氏は、最後の室町将軍・足利義昭の隠し子とウワサのある女性。

ギン千代は、めんどくさい背景のある側室との同居を嫌い、別居してしまうんです。

柳川城から南~一日日帰りコースくらいの距離にある宮永村に屋敷を建てて住んだので「宮永殿」と呼ばれます。

でも別居って言ってもギン千代は夫の留守のときは、城を守るために戻ってたそうです。
ギン千代伝説・その2

1600年~関が原の戦い・九州編~加藤清正が柳川攻撃のために進軍したときです。

家臣に宮永という村に「あの立花ギン千代がいる」と報告を受けた。

ギン千代の武勇を恐れた清正は「女相手に不覚をとっては恥だ」と宮永を迂回し進軍コースを変えた。
これも後世の創作です( ̄ω ̄A;アセアセ

清正のいる肥後から筑後に進軍したとき、そもそも柳川城へ直進しておらず、柳川からみて北東にあたる水田(現・筑後市)に向かってます。

宮永村(柳川から見て南)は、元から清正の進軍コースに入っていないんです^^;;

現在の立花家公式発表では「ギン千代は宮永にはおらず柳川城に入って守りを固めていた」としています。

「関が原の戦い」のとき、ギン千代と家老の薦野は「徳川に付くべきだ」と主張したんです。

が、真面目な宗茂は二人の意見を却下「豊臣に恩義がある」といって西軍についた。

宗茂自身は局地戦で勝利したものの、石田三成が本戦で負けてアボン~~

敗軍の将となり柳川に戻った・・国境までギン千代が出迎えたというが、それもハッキリはしていない。

結局・柳川13万石は改易~立花家臣はチリヂリバラバラになる。

ギン千代の身柄は、肥後の加藤清正が預かるが、預かり先は城ではなく腹赤(はらか)村~

家臣数名を連れて、村の庄屋の一遇を借りての寂しい節約生活だった。

女城主・女武者と言っても、基本は生活の苦労をしたことのない姫様育ちだ。

ギン千代は慣れない生活に体調を崩すようになった。
ギン千代伝説その3~腹赤村にのこる伝承

彼女は夫・宗茂に捨てられたことを怨み、ついに発狂~村の井戸に身を投げ自殺した。
立花家では稲荷信仰に熱心で、彼女は夫の再起を毎日神社に祈願していたというから、最近話題の高〇夫妻ほど不仲じゃないと思う。

彼女を打ちのめしたのは、故郷の立花城が1601年に黒田家によって破却されたことだろう。

黒田家も別に立花が、どうこうというわけでなく、福岡城建築のために立花城の石垣をリサイクルしたんです。

故郷に戻れないばかりか、かつては自分のものだった城が壊された・゜・(PД`q。)・゜・

思い出の中の山野ですら、石垣を運び出すために、おそらく形を変えられているに違いない。

夫の再起をひたすら待つ辛い日々の中、この知らせが彼女の希望を打ち砕き1602年10月17日・・・まだ34歳の若さで病死する・・・あと数年待てば、夫・宗茂は大名に復帰できたのに・・・
ギン千代伝説その4~柳川に残る忌憚~ホラーな話

ギン千代の死後、側室だった矢島氏は正室に格上げされるが、1624年4月4日に亡くなる。

二人の菩提寺はモチ別々~^^b

が、法要の利便さのためか、二人の寺は道路1本挟んだ向かいどうしに建てられた。

毎年・お盆の時期になると丑三つ時に、二つの寺からギン千代と矢島~二人の青い人魂が出て、空中で激しくブツかり合いガチンコするそうな。
ギン千代の伝説に尾ひれがつくのは、完璧武将の宗茂が何故か子宝に恵まれなかったからです。

二人目の矢島氏も妊娠しないので、じゃぁ3人目と再々婚して励むのだが、3人目も妊娠しない。

男性として欠けてる面があるとは思えない宗茂なので「これはギン千代の祟り」と尾ひれがついたらしい。


実は立花家の家系図は初代が道雪で2代目が宗茂~ギン千代の相続はカウントされてないの。

でも不仲だったからイジワルしたわけでは無いんです。

ギン千代が継いだのは旧体制の「大友家臣の立花家」

宗茂の立花家は【立花】って看板は同じだけど、江戸幕府が宗茂を大名にした「新生・立花家」です。

だから他家と同じく「立花の男系の血統が優先」されてるんです。

二人は波乱万丈の戦国を力を合わせて乗り切った、戦友のような関係だったと思います。

でも女城主のギン千代はプライドが高いから、素直になることができなかったのだろう。

武将として完璧すぎる宗茂の方も、女性が甘えられるような隙が無かったのかもしれません。

歴史ファンとしては、雷神・道雪と女武者・ギン千代~鎮西無双で武神再来と言われた宗茂の血を継ぐ「サラブレッド若武者」が見たかったです~~

ちなみにシオのギン千代イメージは、ギリシャ神話の「月の女神 アルテミス」です^-^

次回~宗茂をムコにと道雪とともに選んだ薦野増時です~それは・またの話 by^-^sio

ブログ用画像~南洲さま
http://blogs.yahoo.co.jp/yuewannwann
兜・人物画像~橘朝臣幸麿さま
http://blogs.yahoo.co.jp/cfmjs676
家紋画像~ロンさま
http://blogs.yahoo.co.jp/kabiningen
相互リンク~ばんない様HPアドレス(戦国島津女系図)
http://shimadzuwomen.sengoku-jidai.com
参照先
(しいまんづ雑記旧録←戦国島津女系図の別館です)
URLが弾かれるので貼れません~興味ある方は検索してください^^;
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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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