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相良義陽_59【島津咆哮3_攻城】

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今回の出典~近代デジタルライブラリからコピー「菱刈史:有川国千賀編、大正13」
(※記事内緑文字は菱刈史より引用、句読点、振り仮名は管理人補足)

永禄10(1567)年11月23日、島津貴久と義久合わせて一万五千の本軍が菱刈氏の馬越(まごし)城を囲んだ。

ちと印刷の字が読み取れなかったんだけど(拡大しても無理)、馬越城攻撃に因んだ「アブミ落」と呼ばれる土地があったそうです。
大正時代の郷土資料だから、今より城の遺構も残ってたんだろうな~
翌11月24日、猛将・島津義弘を先陣に城攻めが始まった。

(馬越)城兵矢石を飛ばして是を防いだ
(島津義弘勢)辻大蔵左衛門、有馬軍彌左衛門、久留軍兵衛 先登(せんとう)して壁を越えんとした処(ところ)
(城主・井手籠→)駿河守 門を開きて勇を振るい挑み戦(たたか)うた、


先登(せんとう)は、城攻めの一番乗りって意味です^^/
戦(たたこ)うた・・・・ここ原文は『戦ふた』でして、口語っぽい記述が実に雰囲気抜群 (・∀・)イイ!
あぁ~『日本昔話』のナレーションの人に『菱刈史』朗読してもらったら素敵だろうなぁ (人´∀`).☆.。.:*・

時に井手籠氏 父子三人力戦して (義弘)公軍士三人を斬った
一番乗りしようとした三人が遣られたのかな?

義弘公 逆へ討って城へ入り、新納刑部大輔忠元、伊集院美作守久宣、財部傳内左衛門、東郷兵部少輔、阿多掃部助、宮里右京亮、有馬奉膳兵衛、競い進んで門壁を破り、井手籠父子を誅し、首級数百を得(え)、城(は)陥(落)ちた。
時に義弘公の軍士、村田右衛門も戦死した。

島津側にも死者が出てますが・・・概ね瞬殺ですな ( ゚Д゚)y─┛~~
親指武蔵の新納さんと猛将・義弘公が競い合って攻めて来るなんて怖すぎるよ~~(((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル
てか、義弘公・・・先陣の将なのに、前線武将たちと一緒になってヒャッハーしてるんですね( ̄ω ̄A;アセアセ
きっと毎回こんな感じなんだろうな~義弘公,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!

此時(このとき)球磨・相良氏の援兵来たが、義弘公 田中村花立尾に■へ撃ちて球磨軍敗走した
田中村花立尾・・・さすがに何処で区切るか迷って諦めた il||li _| ̄|○ il||l
こういう普通の文字の羅列は難しいんだよな~~おまけに■は判読不能ですた~トホホ

其夜(そのよ)勝吐氣(かちどき)の禮(れい)を馬越城中に行ふた。
うん、勝吐氣は勝鬨の当て字ですね^^;
いまじゃ単に「えいえいおーー」の掛け声だけに思われてるけど、本来は所作とかがキチンと決まってて、戦勝後に行う武家礼法の一つなんです。

菱刈氏の馬越城・・・・一日で落ちたか・・・・(´・д・`)
他の菱刈氏の城も島津勢によりコテンパンにされるのだが、それは・またの話 by^-^sio
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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