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田尻家文書5_本庄繁栄書状

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年欠文書か~書状は文意の読み取りや分析が手ごわいんだよな~ ( ̄ω ̄A;アセアセ
つらつら眺めるに、どうも相続か安堵関連の訴状?に対する返信みたい。
本庄伊賀守繁栄は大友家臣~専門外だから詳しくないが重臣クラスっぽい。
(明応03)1494年01月13日、『大日本古文書 家わけ 相良家文書』でも名前があります。

つーか、大友が筑後へ検使を派遣するってことは、土地トラブルや!!Σ(´Д`;)はぅ
********************************************************** 
原文
読み下し(てるつもり)
超意訳
※文節に関しては、読み下しの段階で判断しています。句読点は原文ママ。

(折封上書)
「               本庄伊賀守
 田尻中務少輔殿   御返報        繁栄」


御同名左衛門尉方年少給所證跡之事
御同名左衛門尉年少方 給所(きゅうしょ)證跡(しょうあと)の事、

御尋候之處、被進候、可然候、委細上覧候、諸老披見候、
お尋ね候の処、進ぜ被(ら)れ候、然(しか)る可(べ)く候、委細(いさい)上覧(じょうらん)候、諸老 披見(ひけん)候、

旁為御用、可被差遣検使候、
旁(方々の)為 御用(ごよう)、検使(けんし)差し遣わ被(ら)れ可(べ)く、

委細、其時可被仰出候、先以御使歸申候、
委細(いさい)其(そ)の時 仰せ出(で)被(ら)れ可(べ)く候、先(ま)ず以(もっ)て御使 歸(帰)し申し候、

殊證跡以上五通物、御判之物二、田原方状三通
殊(こと)に證跡(しょうあと)以上 五通物、御判の物 二(枚or通)、田原方状三通

何正文、此御使渡申候、為御意得申候、恐々謹言
何(いず)れも正(証)文、此の御使いに渡し申し候、御意を得る為 申し候、恐々謹言

八月十一日    繁栄(花押)
田尻中務少輔殿 御返報

(切封)「(墨引)」
********************************************************** 
給所(きゅうしょ)---知行のため給付された土地
證跡(しょうあと)---証拠
上覧(じょうらん)---身分の高い人が「何かを」見た事
披見(ひけん)-----手紙や文書を開いてみる事

恒例の超意訳
田尻中務少輔さんへ

同じ名(通称)で若い方の左衛門尉の、知行地の証拠の話なんだけどさ。
問い合わせの件は、偉い人(お屋形様かな?)に伝えたし、他の家老にも見て貰ったから、
つーことで方々・・・田尻家のために検使を派遣することになりました。
委細いさい・・詳しい話は検使に言って~おたくから来た(と思われる)使いは帰すからね。
殊こと・・ほかの證跡・・・つまり証拠の品・五通ね
御判之物・・判物(はんもつ)が二(枚or通)、田原が出した書状三通(なぜか数が小文字)
何れの証文も、おたくから来た(←らしい)使いに渡したから。
(偉い人の)御意(OK)を貰う為に言ってます。恐々謹言(`・ω・´)キリッ


中身の流れだと息子が家督継いだ後・・・年度推定は延徳年間~明応年間あたりでしょう。
で、大友重臣(らしい)本庄繁栄が、証拠を携えて使者を送り込んで来た田尻家に対し、返事の書状を出してるようだ。

『同じ通称の若い方』というのは、おそらく返事を貰った『田尻中務少輔の嫡男』の事と思われます。
息子に与えられるはずだった土地は、どうなったんでしょう~~てな感じで畏れながらと訴え出たみたい^^;

これはやっぱり筑後方分(郡代)だった田原親宗のリップサービスが原因みたい。
判物(はんもの)・・・親宗の花押(直筆サイン)がある文書は貰ってた田尻家文書3と異筆の書き込みあった田尻家文書2が絡んでるんでしょう。
(証拠で判物を二通ってあるから)
年欠な上に奉書もないわで、やっぱ事務手続きがないまま宙ぶらりんだったんだ。
田原親宗が明応3年(1494年)に戦死したそうで、田原家も息子の代になってるんで、事実関係が曖昧になったんだろうな^^;

守護職である大友家では、土地トラブルで当事者間が揉めた時には検使(けんし)を派遣して調停をするんです。
この書状では「派遣する」って話だけで、その結果は記載してないので判りません。
筑後も色々ありますな ( ゚Д゚)y─┛~~
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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Re: No title

> 大友の勢力圏は、土地のトラブル多そうなイメージがありまする

ですね。

> 同じ『下り三人衆』の少弐や島津と比べ比較的平穏に戦国の世を迎えたのが仇になったのか、傘下の国人たちの所領安堵しすぎて火種増やした感が自身の台所事情まで悪くするし……保守も度を過ぎると弊害を免れられぬのかも

というか、支配地の土地の国衆は、揃いもそろって独立自立心旺盛が奴らばっかりなんですよね^^;
北肥後は遂に守護代派遣を諦めてます。

> 検使は常置の職でなかったと聞いたことありますけど、検使を含め大友の組織は複雑で確固としたものでなかった感がございます

大友の職制や権限に関しては、まだハッキリ判らない事の方が多いみたいです。

> 少弐ほどでなかったにせよ国人連合の盟主的存在から最後まで脱しきれなかった限界なのかしら~

いや~室町的守護職の限界ですね^^
コメントありがとうございますm(__)m

No title

大友の勢力圏は、土地のトラブル多そうなイメージがありまする
同じ『下り三人衆』の少弐や島津と比べ比較的平穏に戦国の世を迎えたのが仇になったのか、傘下の国人たちの所領安堵しすぎて火種増やした感が
自身の台所事情まで悪くするし……保守も度を過ぎると弊害を免れられぬのかも

検使は常置の職でなかったと聞いたことありますけど、検使を含め大友の組織は複雑で確固としたものでなかった感がございます
少弐ほどでなかったにせよ国人連合の盟主的存在から最後まで脱しきれなかった限界なのかしら~

ではでは~
プロフィール

時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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