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【日向DE新納(にいろ)・後編】

日向史は詳しくないので、ファ~っとウィキペディアとか武家家伝参照です^^

日向・伊東氏は島津氏の内訌の隙間を縫って、巧みに勢力拡大していきます。
その大きな契機となるのが「第一飫肥役」です
ちなみに飫肥を巡る島津と伊東の攻防カウントは、シーズン9まであるらしい__φ(.. ) メモメモ
自分が把握してるのはシーズン1と2と最後に伊東が飫肥をゲッツしたシーズン9(第九飫肥役)っす(・∀・)

で、「第一次飫肥の役」は島津内部の仲間割れがキッカケで始まった。
てことで使い回しの日向地図↓

地図・日向
毎度のことだが、描いた後から「○○も入れておけば良かったーーー」と騒ぐ計画性のない管理人です(爆

勢力拡大を始めた伊東氏への押さえとして、
飫肥に新納氏、串間に伊作島津氏が入ります。

串間は飫肥より南の大隅国沿いで、地図に入りきらんかった^^;
長禄2年(1458年)、時の島津当主・10代目、立久の要請で、島津氏の分家がテコ入れされたわけです。

なのに、新納氏と伊作島津が不仲になるΣ(´Д`;)はぅっ
これは串間にいる伊作島津が勢力を得るのを、飫肥の新納氏が危惧したからとされています。
新納氏5代目・忠続は、宗家11代目・忠昌(立久死去で代替わり)に伊作の島津久逸を伊作へ戻すようにと頼み、忠昌はコレをOKしちゃいます。

ちなみに新納忠続と伊作島津・久逸は義兄弟の関係です。
島津久逸は島津宗家9代目・忠国の三男。
新納忠続は忠国の娘が正室。
義兄弟ってことで、いろいろ張り合ってたかもだなぁ

ちなみのちなみに島津氏9代目・忠国本人は新納氏3代目の娘を室に迎えてます。
何やらカオスな系譜ですが、忠国の子供の生母が判らないので、同族婚とはいえ濃度がどのくらいかまでは不明^^;

ここでポイントになるのは宮崎市に、伊東氏の本拠地・佐土原(さどわら)があるってことでして。
伊東が御近所の飫肥に固執したのは、貿易港に適した油津湊(=油津港)があったからだそうです。
で、飫肥で硫黄が産出してたそうで・・・こっちはガッツリ利益あるほどの産出量だったか疑問なんですけど。
ただ永享6(1434)年に室町幕府が硫黄の海外輸出を制限する禁令を出しているので、むしろ密貿易としての魅力があったかも。
というわけで伊東氏からみて、飫肥は押さえておかなければならない土地なんです。

だから宗家・島津忠昌も飫肥にいる新納の方の意見を優先した。
これに怒った久逸が敵である伊東氏に寝返り、伊東氏と連合して飫肥城を攻撃!
戦国初期、文明16(1484)年、これが「第一次飫肥役」です。
で、翌年の文明17(1485)年がシーズン2な「第二次飫肥役」

此の時、日本史に大きく貢献した女性が父の戦死で、複雑な御家事情となるのだが、それは・またの話 by^-^sio
前中後でも終わらんかった・・・il||li _| ̄|○ il||l

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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Re: No title

> 伊東が飫肥に固執した理由は、貿易をする上で良港である油津湊(今の油津港)があるからだそうです。

おお!ありがとうございます!助かります。

硫黄の輸出禁令は永享6(1434)年ですから、文明年間と極端に離れてる訳じゃないですね。
むしろ少量でも密貿易の甘い誘惑がありそう^^

最後の一文も間違ってたんで、併せて本文修正します♪
御教示、ありがとうございました^^

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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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