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【日向DE新納(にいろ)分家編】

いままでの前中後編は新納氏本家のことなのです(←おぃ)

新納氏5代目・忠続には兄弟がいました。
長禄2年(1458年)に新納忠続が飫肥に入ったので、新納氏の領地である志布志市志布志町志布志の志布志市役所志布志支所・・・(._+ )☆\(-.-メ)ヤメンカ!
もとい、志布志城には忠続の弟・是久が入ったんです。

文明6年(1474年)、伊作家の島津久逸が島津宗家の命で櫛間(串間)へ入城すると、結びつきを強めるため新納是久は久逸の嫡子・善久を養子とし、娘・常盤の婿に迎えた。
実は宗家10代目・立久が同年の4月に亡くなってるんですが、伊作の久逸が串間に入ったのが、立久の命か忠昌の命か特定はできなかったです。
もっとも文明6年だと、忠昌は数え12歳ですから命じたのがどちらであっても、忠昌本人の意思は介在してないでしょう。

新納是久の娘にして美女・常盤が島津善久と結婚したのは1474年以降ということになりますが、正確な年度は不明です。
ただし文明17(1485)年より前には嫁いでいたと思われます。

文明17(1485)年に「第二次飫肥役」が起きて、宗家・島津忠昌は伊東氏に寝返ってた島津久逸を攻撃します。
(久逸ってば、新納忠続と揉めたあげくに逆切れして伊東と組んでたの^^;)
此の時に島津久逸の縁戚だった新納是久は、兄が当主の新納本家ではなく島津久逸側へついたんです。
でもって島津宗家の軍勢に敗れて戦死(-人-)☆彡、島津久逸も敗北する


戦後処理として領地移動~~~ アタヽ(´Д`ヽ ミ ノ´Д`)ノフタ
敗者・島津久逸---日向・串間は没収、元々の領地である伊作へ引っ込む
勝者・新納忠続---久逸側に走った弟・是久戦死で空いた元の領地でもある志布志へ戻る
飫肥には新納氏に代わって同じく島津分家である豊州家が入った。

新納是久の戦死で実家を失った娘・常盤は、夫の実家である伊作へと移住した。
で、伊作の地で長女・次女・長男を産む。
この常盤の産んだ長男が島津氏中興の祖と言われる島津忠良(後の日新斎)です。

島津忠良(日新斎)の話は一先ず置いて、マニアックなんで実は常盤の次女の嫁ぎ先に萌え'`ァ'`ァ'`ァ(;´Д`)'`ァ'`ァ'`
常盤の次女は、薩州家の分家(大田氏)に嫁いでいるんです。
「薩州家VS伊作」の時に、この常盤の次女も嫁ぎ先が嫁ぎ先になんで巻き込まれるんですけどネー(*´・д・)(・д・`*)ネー
常盤次女が嫁いだ薩州家分家(大田家)の、そのまた分家から関ヶ原の戦いで大坂を脱出する亀寿(初代薩摩藩主夫人で常盤の玄孫)の身代わりとなった侍女が出るんだと思うと感慨深い(==)

すいません。自分一人だけで萌え浸ってました( ̄ω ̄A;アセアセ
で、伊作に移住した常盤ですが、次は夫を失い(下男に殺される)、更に舅である島津久逸(戦死)までも失います。
まだ年少の忠良では当主の任は務まらず、未亡人となった常盤が伊作島津を采配することになりました。

ちなみに戦国期では夫を失った妻って、割と再婚してます。
それだけ当時は政略結婚が多かったのでしょう。
でもって、子供が幼く常盤のように実質的に切り盛りしなきゃ~って場合も未亡人だからと出家しません^-^

常盤は島津分家である相州家の運久と再婚し、伊作家は島津氏総領五氏の中でも有力家として飛躍していくのです。
そして宗家の座を巡る争い・・・薩州家VS伊作(相州家含む)の中で日向・志布志にいた新納本家の運命も激しく翻弄されるのですが、それは・またの話 by^-^sio

次の記事タイトルをどうしよう・・・・il||li _| ̄|○ il||l
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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