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相良家文書405_有馬晴純書状『廻船荷物』

緑文字---原文(翻刻版)ママ
青文字---読み下し
赤文字---超意訳
前回書き忘れたんですが、有馬から相良への文書は前回は折封。
今回は折封って書いてるけど実際は捻封。
料紙は前回今回共に切紙。
これも宛名に「御報」とあるので、相良からの書状に対する返信です。

(折封ウハ(上)書)
「                     有馬
相良殿
  御報                    晴純」
「- ーー」(端裏切封)
就御領内廻船荷物儀、示給旨候、當時嶋原左衛門大夫爲多久番在城候、其謂帰宅之刻相尋、従是可令啓候、委細猶大福寺可被相達候、恐々謹言、
    四月七日        晴純(花押)
   相良殿 
      御報


御領内の廻船荷物の儀に就いて、示し給う旨候、
領内の廻船荷物について指示ありましたが、
当時島原左衛門大夫 多久番在城の為候、 
そのころは島原左衛門大夫(担当?)が多久城番なんです。
其の謂れ帰宅の刻(とき)相(あい)尋(たず)ね、是従(よ)り啓(けい)令(せ)しむ可(べ)く候、
戻ってくるのは何時かとのお尋ねですが、是よりやらせます。( ̄ω ̄A;アセアセ
啓=相手への敬意としての文字
委細猶(なお)大福寺相達せられ可(べ)く候、恐々謹言、
詳しいことは大福寺から連絡します~恐々謹言なぅ

読む下しと意訳はサクサクでした(=^・ω・^=)v ブイ
いろいろと非常に興味深い書状ですので、ゆっくり分析したいと思います(*´pq`)

まず、結論から言うと最盛期の有馬って ゴシゴシ(-_\)(/_-)三( ゚Д゚) ス、スゲー!
多久に城番がいたということは、最盛期の有馬は多久を完全制圧してたってことです。
で、それを島原氏が勤めてたそうで、人的交流フットワークも活発だったみたい。
島原氏は有馬配下の国衆でしたが、ぶっちゃけ左衛門大夫だけじゃ島原一門の誰なのか特定できん(苦笑)

とにかく有馬が多久をゲッツするとなれば、少弐資元の自害後になるはずだから天文4(1535)年以降になります。
でMAXのほうとなると、多久氏自体は未だ滅ぶわけじゃないので、有馬の多久支配は天文年間の内の数年間といった感じです。
年度推定は肥前側データを吟味しないと、今の段階では これ以上は何とも言えないです( ̄ω ̄A;アセアセ
家紋・相良
(ロン様作成_相良家紋ロゴ)

で、更に今回初めて知ったのが「相良⇔有馬」間で廻船(物資貨物船便)があったことです。
廻船ですから、この文書の時限定ではなく定期的にあったのではないでしょうか。
そうなると有馬と相良は、互いの家紋を掲げた船に対し海賊行為をしないという相互不可侵の約定を交わしてたはずです。
海の盟約関係・・・それが戦国大名化した相良と最盛期の有馬氏の関係だったのかも~妄想モード(人´∀`).☆.。.:*・

推測はさておき、この廻船荷物が相良氏にとって
・明との交易船で、有馬エリア(島原半島のどっか)に一時寄港したのか
・大内氏か室町幕府への献上の品で、有馬エリアに(以下略)
相良の出した荷物への指示・・・詳細を知ってるのは大福寺さん限定です,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!

荷受け(運上関係?)担当が島原左衛門大夫で、彼が不在の為に諸事滞ってたみたい。
それで相良が「どうなってんだ ゴルァ!!!(# ゚Д゚)・;'.」と催促したみたい^^;
有馬晴純が「これから やらせます~~~アタヽ(´Д`ヽ ミ ノ´Д`)ノフタ」と返事してるwww
天草地方を支配する相良氏は、有馬にとっても『エリア内の海の安全』のために粗略に出来ない相手だったのでしょう。

ちょっと推測が多くはなってしまったけど、当時の外交関係が覗ける興味深い文書です^-^
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テーマ : 歴史
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時乃★栞

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筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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