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参照5・秀吉研究の最前線_第3部_秀吉の宗教・文化政策の実像

===秀吉は、なぜ京都東山に大仏を造立したのか 生駒哲郎===

中世の「八宗」
奈良時代に誕生した南都六宗(三論・法相・成実・俱舎・華厳・律)
平安時代に誕生した天台宗・真言宗


秀吉による「八宗」
真言宗・天台宗・律宗・五山禅宗・浄土宗・日蓮党(法華衆&日蓮宗)・遊行(時宗)・一向衆(一向宗・浄土真宗)
つまり秀吉によって《国家的仏事における新たな八宗》が形成された^^b
この枠組みは近世に引き継がれたため、日本仏教史における画期的な事だった。

ただし宗教政策の全てオリジナルではなく、秀吉は先例を参考にしている。

足利尊氏は文和3(1354)に一切経の写経事業を行っている
※一切経=仏教の経典全部のことで5千巻以上ある
写経事業の目的は後醍醐天皇供養がメインなんだけど、更に尊氏は自身の母・上杉清子の十三回忌供養の名目を加えている。

で、これは尊氏オリジナルじゃなくて、鎌倉時代の北条泰時(←御成敗式目の人)を参考にしてます。
※生母・北条政子の十三回忌供養で一切経の写経を奉納している

大陸からの経文には宋版、明版、高麗版と年代によって種類があったのだけど、
足利尊氏は北条泰時の先例に倣い「宋版」に拘り写経事業__φ(.. ) メモメモ

ということで秀吉が中尊寺から持ち出した一切経も宋版だった。
新大仏千僧供養も、秀吉生母・大政所の供養が名目だったんです。

新たな八宗にとっては国家的仏事参加=国から色々支援と良い事づくめかというと、そのために揉めた宗がある。
それが法華宗。
もともと法華衆&日蓮宗は原理主義っぽいとこがあるわけで、教義を厳格・厳守すれば大仏千僧供養と合致しない。
それで国家的仏事は超法規的例外とする「受布施派」と、絶対ダメ(・A・)イクナイ!!っていう「不受布施派」とに分裂して揉めまくった。
簡単に言うと、宗祖の信者以外から布施(寄付・寄進)を受けちゃいけないって教義(不受布施義)があるんですわ。
千僧供養に出ると当然、主催者(秀吉)から布施が出る訳で、秀吉は法華信者じゃないもんネー(*´・д・)(・д・`*)ネー
まぁ何だかんだと千僧供養には勤仕したんで秀吉生前は問題視されなかったけど、秀吉死後に不受布施派の活動復活で動きは徳川家康の関東にまで及んだ。
(※関東には宗祖誕生の下総(千葉県)があるから信徒も多い)

で、家康の御前で大坂討論が行われ、頑として主張を変えなかった不受布施派は対馬へ流罪になった。
教義的な是非は別にして、為政者側にすれば不受布施派みたいなコテコテは統制の邪魔なんですわ・・・ポリポリ(6 ̄・ ̄)
江戸初期には慶長法難によって、不受布施派僧侶は耳鼻を削がれる酷刑を受けてる。
更に「不受布施派寺請禁止令」により実質禁教扱いの弾圧を受けて地下組織化。そのまま時代流れて明治維新。
禁止令は解禁となり、不受布施派は現在も存続してます。

法華宗は肥前千葉氏の絡みで興味あって、ちらっとだけ調べたことあるんですわ。(・∀・)エヘヘ

秀吉に話を戻すと、実は秀吉は八幡大菩薩になりたいと遺言してた。
でも帝から勅許が下りなくてダメで、それて豊国大明神になったというわけ。
当時の認識では《八幡神は源氏の氏神》だったの。
だから関白で豊臣姓の秀吉には八幡神になる許しが出なかった。

秀吉は先例を踏襲しつつ、「新たな八宗」のように秀吉らしさを出そうとした。
最終的な結実が豊国大明神だったけど、それは江戸幕府によって阻まれる。
これも善悪是非賛否は度外視になるけど、自分は江戸幕府の宗教政策は【為政者にとって完璧なもの】だと思ってます。
しかも200年以上の長期間にわたる宗教統制の成功例は、おそらく世界に類例がないだろう。
「信教の自由」が個人の権利として認知されてる現代では、もう出来ないだろうけどね(^ -)---☆Wink
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テーマ : 歴史
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筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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