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ゆるふわ考察③:宗教と政治~秀吉の神武分離(前編)

話の時間軸を戻します。
明治新政府は王政復古のもとで、祭政一致を目指してました。
(※結果として大日本帝国は議会政治になるので、祭政一致ではなくなる。)

要約すると「日本史における祭政一致」とは「帝が直接政治を行う=親政(しんせい)」の状態を指します。
初期明治政府が「目指せ祭政一致」だったということは、江戸時代は祭政一致ではないという事です。

2015年現在において、最後の祭政一致してた帝は後醍醐天皇^^b
後醍醐天皇の「建武の新政」は武家の賛同を得られず、北朝の帝を奉じた足利尊氏による武家政権(室町幕府)が誕生します。
ここまでいいですかぁぁぁーo(* ̄○ ̄)ゝーーーーー
室町幕府誕生で、中央政界は祭祀と政治が分離~~帝は政治から離れましたよ~~~

が、当然ながら後醍醐天皇(南朝)も抵抗したんで、日本各地で争乱となりグダグダとやってた訳です。
この南北朝争乱の余燼(よじん)は、慣習としての祭政一致を地方に残したんです。

慣習としての祭政一致・・・それは各地に蟠踞(ばんきょ)する国人領主における神社系武家の勃興(ぼっこう)です。
(※蟠踞(ばんきょ)しっかりと根を張って動かないこと)
(※勃興(ぼっこう)急に勢力を得て盛んになること)

神社系というのは史学素人の自分が勝手に呼んでる括りでして、他の学術的呼称があったらゴメンナサイ^^;
つまり神社の社人が武士団化とか当主が神社の神職を兼務しているなど、いわば【地方版祭政一致】です^-^

神社系に限らず各地方の国人領主が元気イッパイになる背景には、彼等が家臣ではなく被官(ひかん)という緩やかな支配関係だったことに遠因があります。
また遠国であればあるほど、守護職は在地しておらず京都の館にいたりしてたから、だんだんフリーダム戦国化^^;
(在地してても守護代や郡代がいるので、守護職本人は首都である館から殆ど動かない)

で、自分が扱っている九州での祭政一致例は下記の通り(他の地方は判らない^^;)
・宗像神社~宗像氏
・英彦山(九州における山伏の総本山)
・阿蘇神社~阿蘇氏
・高千穂神社~三田井氏
・川上社(与土日女神社)~肥前千葉氏
(※戦国末期まで残ってたもののみ、途中で没落したのは除外)

特に一番顕著な例は、川上社大宮司職にして、小城を支配していた肥前千葉氏です。
千葉県下総を本来の本貫地とする肥前千葉氏は、元寇のために鎌倉期に千葉県から佐賀県へと赴任し、室町期で本格的に土着します。
生粋の肥前っ子でもなく、守護職でもない(※小城地頭だった)肥前千葉氏は、
領地支配を強固にするため、肥前国総鎮守にして肥前国一宮である川上社の大宮司になったんです。

川上社の権威を背景に肥前千葉氏は勢力拡大して、最盛期には肥前国主とまで尊崇されました。

さて「地方版祭政一致」というのが何となくイメージしていただけたところで、秀吉の天下統一事業が本格化するのだが、それは・またの話 by^-^sio
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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