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北肥戦誌【1554年】信生クン出陣~(=^・ω・^=)v ブイ

●天文23年(1554年)

この年の3月、隆信は高木鑑房を征伐すべしと軍兵を起こした。

鑑房は天文17年に理由あって浪人となり、近年帰国すると縁故の地・東高木を知行されていた。

また、この鑑房、勇力万人に優れ、早業は江都公主の素早さをも超越し、打物は樊噲・長良にも恥じず、その上に魔法を習得しており、或る時は闇夜に日月を現し、或る時は酷暑に雪を降らせ、大空に立って大海を飛び、断じて凡夫ではなかった。

だが、昨年8月に精町での戦いに打ち負け、今は高木城へ退いていた。

鑑房は龍造寺勢が押し寄せると聞き及び、急ぎ軍勢800を出して三溝口で打ち合った。

そのとき、龍造寺勢より齢16-7の若武者が討ち出て、鍋島信昌(後の直茂)と名乗り、唯一騎で前に進み出ると、千変万化の活躍を見せた。

鑑房は士卒を励まし龍造寺勢に挑んだものの、討ち負けて高木城へ引き退くと、子を質に差し出して和を請うた。西高木城主の高木胤季も降参した。

その後、鑑房は杵島郡・佐留志の前田家定を頼ったが、鑑房の後の行状に不安を感じた隆信は、前田家定を籠絡し鑑房を討ち取らせる。

鑑房は因果左衛門と不動左衛門という大剛の者二人を常に傍に置いていたが、因果左衛門に秘蔵の笛を取りに旧領へ遣わし、不動左衛門のみを連れて鷹野に出た。

朝方、前田の家へと帰り、縁に腰かけて不動左衛門に足を洗わせていた処を、前田家定は密かに背後に廻って長刀で鑑房の首を打ち落とした。

だが、その骸は俄かに立ち上がると、小鳥という銘刀を引き抜き、不動左衛門を斬り殺した。

そして広間へと駆け上って奥へと切って入る。

この珍事に近付く者はなかったが、前田の家来数十人が槍・刀で四方から刺し貫き組み伏せたという。

鑑房には二人の子があったが、父の旧領の一部を与えられ、長男・左馬大輔盛房は天正10年の冬に筑後の戸原で討ち死に、次男・大栄入道も同12年の「沖田畷の戦い」にて戦死している。




魔法を習得___φ(.. ) メモメモ

因果左衛門に不動左衛門・・・・・仏像の「阿吽」みたいなネーミング,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!

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時乃★栞

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