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169_少弐政資田地寄進状

緑文字---原文(翻刻版)ママ
青文字---読み下し
赤文字---意訳

奉寄進  河上大明神宮
肥前国神埼郡笠置郷之内五町、土師郷之内五町、本告郷之内拾町坪付別紙在地事、
右意趣者、憑神弘願威力、勵武運長久歸国安堵精勤者也、仍祈白之状如件、
文明十四年卯月三日        太宰少弐藤原政資(花押)


寄進奉る 河上大明神
肥前国神埼郡笠置郷の内5町、土師(はじ)郷の内5町、本告(もとおり)郷の内10町地の事
(坪付つぼつけ=土地目録、別紙に在り)
右意趣は、憑神の威力に弘願(ぐがん)します。
(弘願(ぐがん)=広大な誓願)
武運長久に励み帰国安堵に精勤(せいきん)者也、仍(よ)って祈るの状、件(くだん)の如し
文明14年4月3日    太宰少弐藤原政資(花押)


え~~意訳として寄進にあたり【一番言いたい事】が、最後の一文です・・・ポリポリ(6 ̄・ ̄)
武運長久に励んで、帰国安堵に頑張ってます!どうか(=人=)☆彡オネガイします

この年に、少弐は肥前に亡命します。
河上社への寄進から、4月3日の時点で肥前入りしてた証拠として上げられる文書です。

この場合、少弐にとっての帰国は筑前・大宰府なんだろうなって感じます。
肥前が歴代少弐当主にとって「仮の宿」扱いなのが、肥前LOVEとしては地味に(#-`ω-)イラっとしますわ。
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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Re: 朧豆腐さま

こんにちは~

大内は、根本的なことは調べてないんですが、武力と財力、両方を持ってないとダメだって判ってたんだと思います。
国衆は、やはり強きに靡きます。安堵してくれる力ある者が上位者ですから。

> ただ少弐にない思い切りの良さはあったかとw

少弐はブッチギリ九州で一二を争う武家名家だから、捨てられない柵(分家や家臣)が多すぎたんだと思う。
肥前千葉は、肥前と下総の二元統治が物理的に難しくなったという外的要因があったお陰で、
一族の同意を得やすかったんじゃないでしょうか。

> 剛忠様をはじめとする龍造寺一門は少弐家中の実権を握っても少弐そのものを滅ぼそうとする気配はありませんでしたな

剛忠と息子たちの世代は室町中期~戦国初期の人間。
上位者から得る武官、安堵状、偏諱などがステータスとした世代。
神輿として担ぐには、少弐はうってつけです。

> 思えば隆信台頭前の肥前で最大の勢力となった有馬も形式上は少弐へ臣従してましたな

( ̄ー ̄(_ _( ̄ー ̄(_ _ うぃうぃ

> 大内や大友という外圧がなかったとしても少弐や千葉を本気で滅ぼす気があったか疑わしいところで

(。-`ω-)ンー。たぶん滅亡、根絶やしのつもりは無いです。
日本の武家は相手の血統を完全に絶やすって殆どしません。
潰すのは直系だけで、傍流は残すし、家臣として臣従するなら家名を残す場合すらあります。
隆信も少弐を根絶やしにはしてません。
ただ冬尚の子供たちは、沖田畷で戦死しちゃって御家再興のチャンスを逃した(´・ω・`)

> そう考えると隆信以外で肥前の下克上の芽があったとすれば……やはり神代勝利公くらいですかのう

隆信以外だと、やっぱ神代勝利ですね ・:*:・(*/////∇/////*)・:*:・
直系が途中で絶えたのが惜しまれます(´;ω;`)ウッ

コメントありがとうございました^-^

No title

>大宰府長官ということで、自前の兵力が少なく常に他力本願なので土台が弱いままだった。

最初から官庁のトップだと「官庁の兵力=自前の兵力」と錯覚してしまうのかも
その点同じ守護大名でも大内は下からのし上がってきた武家のようなので自前の兵力をととのえる大切さを知っていたのかもしれませぬ

>ん~~土着派と諦めないで頑張る派とをキッチリ分けたのが大当たりでした。
>実力で覇権を築いたのは流石、千葉氏元総領家です

そうか早々にあきらめてたわけではなかったようですな
ただ少弐にない思い切りの良さはあったかとw

>ん~隆信が僧侶のままだったら台頭しなかったかも。
>もし還俗して武将になってたら龍造寺は何らかの形で台頭したと思う。
>隆信って、誰かの家臣や配下になるって意識ゼロだったみたいだから^^/

そうか
剛忠様をはじめとする龍造寺一門は少弐家中の実権を握っても少弐そのものを滅ぼそうとする気配はありませんでしたな
家門や周家が健在だったら隆信の出番はなかったであろうに……馬場……

思えば隆信台頭前の肥前で最大の勢力となった有馬も形式上は少弐へ臣従してましたな
大内や大友という外圧がなかったとしても少弐や千葉を本気で滅ぼす気があったか疑わしいところで

そう考えると隆信以外で肥前の下克上の芽があったとすれば……やはり神代勝利公くらいですかのう
神代が大友・島津と九州を三分した状況もまた面白かったかもしれませぬ
まーifのお話ではありますがw

Re: 朧豆腐さま

あけましておめでとうございます。
今年も宜しくお願いします^^

> 結局、「肥前に根を下ろそうとしなかった」「太宰少弐として九州の武士団へ号令をかけていた過去の輝かしい栄光を捨てきれなかった」のが戦国時代を生き延びることのできなかった根本的な原因なのでせうな

守護大名から戦国大名化に失敗した典型かもです。

> 頼みの宗氏も負荷をかけすぎて離反されとるようですしw

大宰府長官ということで、自前の兵力が少なく常に他力本願なので土台が弱いままだった。
宗氏も、自分の得になるわけじゃない戦に対馬の兵を当てにされ続けたら切れるでしょう^^;

> その点、関東の本領を諦めて肥前へ確固たる地盤を築こうと割り切った千葉氏はさすがかと

ん~~土着派と諦めないで頑張る派とをキッチリ分けたのが大当たりでした。
実力で覇権を築いたのは流石、千葉氏元総領家です

> もっとも少弐が生き延びたら九州は鎌倉からの三人衆の争いに終始したわけで、龍造寺の台頭もなかったのでしょうがw

ん~隆信が僧侶のままだったら台頭しなかったかも。
もし還俗して武将になってたら龍造寺は何らかの形で台頭したと思う。
隆信って、誰かの家臣や配下になるって意識ゼロだったみたいだから^^/

ではでは~いつもコメントありがとうございます^^

おくればせながら

あけましておめでとうございます~
本年もよろしゅうお願いします~

>この場合、少弐にとっての帰国は筑前・大宰府なんだろうなって感じます。
>肥前が歴代少弐当主にとって「仮の宿」扱いなのが、肥前LOVEとしては地味に(#-`ω-)イラっとしますわ。

結局、「肥前に根を下ろそうとしなかった」「太宰少弐として九州の武士団へ号令をかけていた過去の輝かしい栄光を捨てきれなかった」のが戦国時代を生き延びることのできなかった根本的な原因なのでせうな
北九州の覇権をかけて争ったライバルの大内氏と比べても旧態依然としてて一門の掌握すらままならなかったと聞いた覚えが
で頼みの宗氏も負荷をかけすぎて離反されとるようですしw

その点、関東の本領を諦めて肥前へ確固たる地盤を築こうと割り切った千葉氏はさすがかと
肥前の武士が少弐でなく千葉の方へ靡き「国主」と担いだのも納得できまっする

もっとも少弐が生き延びたら九州は鎌倉からの三人衆の争いに終始したわけで、龍造寺の台頭もなかったのでしょうがw

ではでは
プロフィール

時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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