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【隠れキリシタン大名疑惑?】人吉藩初代藩主編7栞61

1位と2位を行ったり来たり~^^/
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前回で犬童頼兄のキリシタン疑惑をチラリン書いたら、なんか受け?が良かったんでキリシタンネタ投下~~

といっても文献的な裏付けがないので、あくまで「異説の段階」なのを御了承ください^-^

てことで本日の本題~キリシタン疑惑なんでつが

( ̄ko ̄)<実は、頼兄だけでなく、主家の相良家そのものに「"隠れ"キリシタン疑惑」があるんでつ~

この話の出所は、地元史家で人吉市文化財保護委員をされている原田正史氏の『ひとよし歴史研究第9号』です。
原田氏によると、日本在住の宣教師が本国に送っていた報告書に「相良氏がキリシタンであると明記していた」らしい(ただし上記寄稿文には記載してない)
さらに人吉城の地下遺構から十字架が後刻された宝塔も見つかっているようなんです~~~
人吉の願成寺には「相良燈篭」という、他の地域の石燈篭には見られない三ツ星状の穴が開けられ、ダイヤ型火袋を持つ燈篭があるとか。
で、三ツ星はキリスト教教義の真髄である三位一体を示すもので、隠れキリシタンの証しではないか~~ってことなんです。
ちなみに三ツ星ダイヤ型は藩主、及び藩主格の人物の燈篭だそうです。
灯篭は当主死後に供養のため造成されるとかで、21代・頼寛から始まり34代まであるそうな。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・すごい微妙・・・・

まず宣教師の書いた「相良氏」が、人吉藩主の相良氏を指すかどうかがハッキリしてない。

便宜上、犬童~~って書いてるけど、頼兄は主君・頼房から「相良姓」を拝領してて名乗ってたの。

宣教師は報告あるから筆まめなんだけど、勘違いが多いから「相良」が「頼兄」を指す可能性も無きにしもあらず。

禁教令が全国発布されるのは1613年で、21代・頼寛は数えで14歳。

産まれる前に秀吉が伴天連追放令を出しているから、頼寛が宣教師と接触する可能性は低い。

じゃ宣教師と接触できる世代で、頼兄以外の相良関係者・・・というと該当者がいます。

それは頼寛の曾祖母(義陽ママン)内城です。

内城(洗礼名ゴアン?)ではないか・・・といわれる十字架の後刻された宝塔があるそうな。

その内城は1605年に亡くなってる・・・頼寛クン数え6歳・・・この年齢で信仰を刷り込み?(-ω-;)ウーン


高橋家紋

え~と、ですね、実は縁戚の高橋元種にもキリシタン疑惑があるんでつ~~

さらに頼寛ママンの秋月竜子には、高橋元種娘説があるんでつ~~~

出典:相良家の「御當家日記」に「高橋元種の縁辺者」との記載あり

(嫁ぐ時に秋月家養女になったって寸法)

改易後の預かり先である棚倉に高橋元種の墓があるんですが、これは明治になって秋月家、立花家、相良家が建立したものなんです。

さらに元種の墓石(こっちは子孫が建立だったはず)には、十字架の後刻があるんです。

大蔵系高橋家に所縁がある立花宗茂は、元種の高橋家御家再興を幕府に願い出てるんですが、叶いませんでした。

子孫様は「元種がキリシタンだからダメ」だったのでは?と推測してます。

竜子が元種の娘で、元種がキリシタンだったと仮定して、竜子もキリシタン教義に慣れ親しんでいたと仮定する。

そうしたら曾祖母・生母からキリシタンの教えを頼寛クンが受け継いでも不自然じゃない。

って仮定だらけですがな~,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚爆)ブハッ!

とにかく文献が少なすぎる、てか無い~~~~~~~~~~~~

もともと相良家は御家騒動が多い・・・それだけ秘密・黒歴史が多い家。

よしんば本当にキリシタンだったとしても、やばそうな文書は始末してるか、そもそも記さず口伝のみだったかも。

その口伝(そういうのがあったとして)も、途切れてると思う~~~

なぜなら相良家は血統が途絶えて養子(ちなみに秋月家)が継いでるからなんです。

「相良燈篭」には(キリシタンorそれ以外の)由来があったかもしれないが、代を重ねて行くうちに単なる慣習として造成することが続いていたのではないだろうか。

では、犬童頼兄が「島原の乱」で出陣を渋った・・というのはキリシタンだからなのか?


相良家紋

それも飛躍しすぎな気もする。

戦国時代って、キリシタンでなくても南蛮風の甲冑や意匠を凝らしたり、ローマ字の刻印作ったり。

現代人が十字架ネックレス・ピアスするみたいな、ファンションとしての南蛮コーデもあったからなぁ。

文献的資料が無い・・・となると、トンデモ説にしかないらないのよね^^;

頼兄は性格的に、戦となると慎重になるタイプなんじゃないだろうか?

官僚としては非常に優秀だが、それだけに戦場という不確定要素の多いところでも「確実さ」を求めるあまり、ある意味臆病になるかもしれない


かつて「朝鮮の役」で明軍の大軍が来る・・・ということで、犬童頼兄はじめ家老たちは、守備していた城を放棄し撤退を進言した。

それに対し主君・相良頼房は「敵は兵糧は携帯用のみで長期対陣する気はない」「こちらから討って出るべし(`・ω・´)キリッ」と決断。

相良勢は頼房の指揮の元、見事に明軍を撃退し、城を守りとおしたんです。

この鮮やかな采配ぶりに家臣たちは口ぐちに「まれに見る大剛の将」と主君を褒めたたえた。

武将としての能力は、頼兄より主君である相良頼房の方が、おそらく上だろう

頼兄の異能は、惣領として家中を束ねる頼房のリーダーシップ力とは別種のものです

相良頼房は感覚として、そのあたりの違いを解ってて、自分の力量に対しても自負・自信があったはずだ

だから犬童家に大きな権限を与えても畏れなかった・・・なぜなら「犬童の行動は自分の掌中にある」という自信があるからです


だが、嫡男の頼寛では、そうはいかない

頼兄は、かつて上司だった深水に「頭を出させず」と言われたほどの切れ者(仕事モードに入ると妥協無しのキツイ性格そう)だ

頼寛では、犬童頼兄に性格的にもキャリアでも、とうてい太刀打ちできないだろう

何より犬童頼兄は、頼寛の正室・亀鶴姫の父・・・つまり舅なんです( ̄ω ̄A;アセアセ


頼兄の建てた隠居所に、住民の一部が移住し市が立つ。

老いの坂を迎えた頼房は、この時に「自分の死後」を懼れた。

そして嫡男に犬童一族排除の方法を授けたに違いない。

「島原の乱」勃発ででタイミングがズレたが、それは実行された。

清兵衛頼兄よ・・・犬童の栄華を赦すのはワシ一代のみだ。。。相良家に忠義を尽くすなら、引き際を違えるな・・・・by地獄にて頼房

それは・またの話 by^-^sio

ブログ用画像~南洲さま
http://blogs.yahoo.co.jp/yuewannwann
兜・人物画像~橘朝臣幸麿さま
http://blogs.yahoo.co.jp/cfmjs676
家紋画像~ロンさま
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相互リンク~ばんない様HPアドレス(戦国島津女系図)
http://shimadzuwomen.sengoku-jidai.com
参照先
(しいまんづ雑記旧録←戦国島津女系図の別館です)(球磨の部屋)(田舎暮らし/古文書館)
URLが弾かれるので貼れません~興味ある方は検索してください^^;
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Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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