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相良家文書533_毛利元就同輝元連著状

ブラザーズの次は祖父と孫SET行ってみる

(折封ウハ(上)書)
(封部分省略)
於豊筑、豊州及び干戈付而、近日我等事罷下候、連々承候、此時於預御入魂者、可申合候、委細小早川吉川申入候、恐々謹言
  (永禄十二年カ)六月七日      輝元(花押)
                          元就(花押)
                相良殿  御宿所

省略した封の差出人は毛利同右馬頭輝元で右馬頭が元就を指すようです。
輝元との連著なのは、隆元が既に死去しているから・・・・たぶん。
年度細くは編纂の方の付記で、元々の書状には年度が入っていません。
内容から推定したようです。

ちなみに元就ジーちゃん強気です

豊前・筑前に於いて、豊州と干戈及びに付きては、近日我等罷り下り候事、連々承り候、此時於いて御入魂(昵懇)預りは、申し可(べ)く申し合せ候、委細小早川吉川申し入れ候、恐々謹言

本文超意訳
豊前と筑前で豊後と戦やってます(。-_-。)vブイッ♪
(相良は)近日我等(毛利へ)来るとの事、諸々承りました。
この時期を於いて、昵懇(じっこん)な間柄になると、話は小早川吉川に伝えてます。恐々謹言なぅ


どうもストレートに言うと[被官になりなさいね^-^]と言ってるようです(@@)
隆元死去後の元就じーちゃん、対大友に関し未だこの時期は余裕かまして強気だったみたい。
両川の鼻息フガーから察せられます。
ていうのも、大友が尼子や大内輝弘を支援した反撃が始まるのは、この後からなんですよ( ̄ko ̄)

大友に勝って博多の利権ウマーの未来予想図が、元就ジーちゃん脳内にあったのは間違いないでしょう。
実際、このあたりまでは毛利の方が優勢でした。
でも圧倒的勝利・・・には至っておらず、相良にしても毛利と適当に距離をとってたんじゃないでしょうか。

にしても、相良に毛利の元へ来いとは、昵懇だなんて言ってるけど、要するに「毛利の被官になれ」ってことでしょう。
大友に勝つのが規定路線のつもりでいたからこそ、宗麟が尼子を動かしたことにビックリ仰天したんだろうなぁ。
全盛期の宗麟の外交感覚は流石キングオブ九州です。
また慎重に行動して様子見してた相良の判断もグッジョブ(。-_-。)vブイッ♪

ちょっと毛利への見方が変わってしまったっす( ̄ω ̄A;アセアセ
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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Re: 朧豆腐様

こんにちは^^

隆元の死でガックリしたって話が広まってましたが、
この書状を見る限りでは、ガンガン強気の拡大路線ですね。

天下に野心を持つなって、自分の死後の話を想定してたのかもです。

大友が島津に敗れた時点で、相良の衰亡も規定路線になったのだと感じますね。

コメントありがとうございます^-^

No title

相良の勢力圏って毛利からだいぶ離れとるはずですが、そこまで手を伸ばすとか戦国外交ってすげーw

それにしても大友相手に優勢だったり相良への強気発言だったり、当時の毛利は積極的な拡大路線だったというのが分かりますの~
元就が『今の領国を守れ。天下を望むな!』って遺言も実は創作で、織田とぶつかるまで相変わらず勢力の拡大に励んでたという説も頷ける話かと

>全盛期の宗麟の外交感覚は流石キングオブ九州です。

ifで全盛期の宗麟と全盛期の隆信が北九州の覇権をガチで争ったらいい勝負しそうかなあって思ったりしたですけど、逆境の際に粘り腰を見せる隆信の方へ軍配が上がりそうですな~

つーか(勢力の差が隔絶だった頃の)今山合戦で隆信を最終的につぶせなかったことで(以下略

>また慎重に行動して様子見してた相良の判断もグッジョブ

それだけに耳川以後の展開は惜しいところ……
って思ったですけど、耳川以前からの確執を考えたらそうそう大友から島津へ鞍替えできないだろうし、耳川の頃までの大友の勢いを考えたら敗北など想像もつかなかったでしょうな~
相良の没落もやむを得なかったのか……

ではでは
プロフィール

時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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