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【10-1_千葉氏内紛】通史①肥前千葉氏

応仁の乱は千葉氏の命運を変えました。
文明1(1469)年6月15日、千葉氏10代目・教胤が18歳の若さで死亡します。

応仁の乱で西にも東にもつかずに日和見していた藤津・大村家親に業を煮やした室町幕府が、千葉氏に討伐を命じました。
そのため若き当主・教胤が自ら出陣し、浜松へ着陣。
折しも現地では祇園会の神事が行われていたのですが、そこへ千葉勢が乱入し儀式を妨げます。

すると俄かに晴天が曇り暗闇となり雷鳴と共に暴風雨となった。
千葉勢は「儀式を邪魔した祟り?」「神雷?!Σ(´Д`;) 」とパニック~アタヽ(´Д`ヽ ミ ノ´Д`)ノフタ
慌てて(暴風雨なのに)船で帰陣しようとして水没し、千葉教胤以下、家臣100余人が全員水死した。

当主は18歳。兄の死により家督を継いで数年しか経過しておらず未だ嫡男がいなかった。(゚ロ゚屮)屮ぇえ!
家臣も一緒に水死しちゃってるし、絶望した一族が入道(出家)で諸国行脚とかし始めたりで、千葉氏は人材不足で衰退した。
これじゃアカン!てことで庶流から・・・さらにぶっちゃけると大内氏からバックアップ受けてた胤朝が当主として迎えられた。
父・胤紹と兄・政胤が千葉宗家に家督簒奪者として殺されてから23年後の事でした。

分かり易く系図、系図・・・アタヽ(´Д`ヽ ミ ノ´Д`)ノフタ
家系図・肥前千葉系図・決定

はい、緑枠部分注目~~
カウント⑩の教胤が死んで千葉氏の嫡流が断絶します。
ここから先は緑枠系譜になります。

新体制として千葉氏執権に岩部常楽と中村胤明が任じられました。
ここまでで十分波乱ぶくみだったんですが、ここから内紛は始まります。
本来なら新当主の両輪となるべき岩部常楽と中村胤明が揉めちゃうんです。
まぁ、初めに絡んだのは中村なんですけどね・・・ポリポリ(6 ̄_ ̄)

二人が・・・というか中村が岩部の何が気に入らなかったのかは判りませんが、
同年7月、岩部が佐賀府中に赴いている間に、中村が主・胤紹に岩部を讒言した。
千葉胤紹は・・・・・・・・・・・・中村の言葉の方を信じた。
信じて中村胤明を殺そうとした( ゚д゚)ンマッ!!

北肥戦誌には讒言したとしかないので、中村が何を言ったのかは判りません。
驚いた岩部は神文(起請文)を書いて申し開きをするのだが、千葉胤紹は信じなかった。
困り果てた岩部。太宰府の少弐政資に訴えた。
少弐政資の執り成しで胤朝と中村・岩部は和解する。

一時的に表面的に少弐の顔を立てて。
が・・・これで胤紹が本気になった。
千葉家内輪のことに少弐を介入させた岩部を本気で排除する決断をしたのだが、それは またの話^-^
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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時乃★栞

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筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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