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【10-2_千葉氏内紛】通史①肥前千葉氏

文明1(1469)年、千葉氏嫡流が途絶え残っている男子は現在3人(緑枠の中にいる人物)

家系図・肥前千葉系図・決定

家督を継いだのは次男・胤朝(長男は既に死亡)、パトロンは大内氏
三男・胤盛、パトロンは少弐
四男・現在空気で後から出てくる

胤朝は弟・胤盛をパトロンしてる少弐からの圧力を嫌った。
そのため少弐に助けを求めた岩部を始末する決断をした。


同年9月9日、胤朝は岩部を成敗するために家臣・仁戸田を大将に、岩部のいる佐賀府中へと派兵した。
ところが、この年に岩部に年貢を免除された百姓・山伏ら1万人が恩返しとばかりに岩部へ合力。
なにせ1万ですよ~あまりの加勢の多さに仁戸田はビックリ!一戦もしないで国府(小城)へ逃げ帰った。

岩部は、千葉胤朝が少弐の取り成しを無碍にしたことを(少弐へ)訴えた。
少弐からの介入を防ぎたい千葉胤朝。
岩部を讒言した中村胤明が、岩部に合力した百姓・山伏らを懐柔し岩部常楽を追放した。

明けて文明2年
2月、応仁の乱・東軍だった大内教幸(西軍で大内当主・政弘の叔父)が周防で謀反。
留守居・陶弘護に敗れて逃亡する。

ちなみに応仁の乱で西にも東にもつかず、のらりくらりしてた大村家親は有馬氏にやられてo( ̄Д ̄θ★ケリッ!
逃亡先で程なく死亡したそうだ。

岩部を追放してケリをつけたつもりの肥前千葉氏にとって悪い知らせが来た。
同年10月19日、少弐政資の加勢で岩部が挙兵する
岩部は空気だった・・もとい妙法院で出家していた四男を還俗させ、胤将と名乗らせ担ぎ出した

同年11月14日、四男・胤将&岩部勢が国府(小城)へ侵入し城下を焼き払う。
混乱の中、中村胤明が討ち死にした。

同11月28日、さらに少弐政資は宗貞国以下1000騎を加勢し牛頭山城を攻撃。
が、この日は生憎の大雪で、宗貞国は地理不案内の土地なのもあり敗れる。

自前の兵力が少ない少弐政資は便利使いできる軍事力として対馬・宗氏に依存していた。
肥前千葉氏の内紛が切っ掛けとなり、宗氏は徐々に少弐が対馬の兵力をアテにするのを不満に思うようになっていくのだが、それは またの話^-^
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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時乃★栞

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豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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