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相良家文書543_(また)木上宗心(からの)書状

緑文字---原文(翻刻版)ママ
青文字---読み下し
赤文字---意訳
漢字だらけ~~゜ ゜( ∀ )ぅ!?って方は意訳の赤文字部分のみ読んでくださいませ~

(折封ウハ(上)書)(封部分省略)
追而、中紙五束拝領、毎便如此之儀、忝次第候、萬々重畳可得貴意候、
今度東式部少輔方爲御番代参陣、尤目出候、於爰許相応不存緩疎之趣、彼御方御存知之前候、就中、小城表聊入目之折節、別而御馳走之段、御真実顕然之由、公私御沙汰条、珍重候、仍此表之事、龍造寺詫言深重候、未一着之儀無之候、将又天草嶋中之儀、無事之御調儀候歟、尤肝要存候、此節彼郡衆中不馳走之由、内々老中被存事候、猶東式部少輔方可被申達候、可得貴意候、恐惶謹言、
(永禄十二年カ)
   十月十六日        宗心(花押)
 相良殿参 貴報

入力だけで精魂使い果たしそうです・・・il||li _| ̄|○ il||l
えっと、相良が大友に援軍したのは一度だけではなかったようです。
あと龍造寺が何かやらかしたらしい^^;天草でも何かあったな・・・|相良家文書|・ ̄)じぃー
ちなみに文末の「恐惶謹言」は「恐々謹言」より相手に敬意を払う時に使う表現です。
相良の宛名の位置も日付より上になってます^-^
じっくり行きますわ~~
追而(ついじ)、中紙五束拝領、毎便此の儀如く、忝い次第候、萬々重畳貴意得る可く候、
追伸:中紙5束頂き、いつもこような配慮頂き感謝しております。全て貴方の同意を得るようにします。


今度(こたび)東式部少輔方 御番代為し参陣、尤も目出(めで)候、
今回、東式部少輔が番代として参陣なされたことは、尤も褒めるべきことです^-^

爰許(ここもと)於いて緩疎(かんそ)の趣(おもむき)相応存ぜず、
こちらにおいても緩みや疎かなことがないようにします。

彼(か)の御方(おかた)御存知の前候、
そちらは未だ御存知ではない事ですが、

就中(なかんずく)、小城表 聊(いささか)入目の折節、別而(べつじ)御馳走の段、御真実顕然(けんぜん)の由、公私御沙汰の条、珍重候、
小城表では とりわけ御馳走の段により真実が明らかになったことは大事なことです


仍って此表の事、龍造寺の詫言(わびごと)深重(しんちょう)候、未だ一着の儀無き之(これ)候、
よって(毛利との)戦において、龍造寺の詫言が関わりあるであろう。未だ結論は出ておりません。

将又(はたまた)天草嶋中の儀、無事の御調儀(和平)候歟(か)、尤も肝要(かんよう)存じ候、
天草嶋中についても、無事の和平が整ったとか、尤も大事なことです。

此節(このせつ)彼郡衆中、馳走せずの由、内々老中存じらせ事候、猶東式部少輔方へ申し達しらせ可く候、可得貴意候、恐惶謹言、

・・・・・・・・・・・・なんか意訳する気失せた。
九州探題の役立たず~~~~~ゴルァ!!!(# ゚Д゚)・;'
北九州のことばっかりで、相良が援軍送っても全然協力してくれないうちに、菱刈は降伏しちゃったじゃんか~
なんか書状によると天草の方もケリがついちゃったらしいil||li _| ̄|○ il||l.

ちなみの龍造寺云々は前年の永禄11年に大友勢と多布施口でガチンコになってたからです。
いろいろあって決着つかないまま大友勢は引き上げ、翌年に毛利との戦になり肥前のことも中途半端になってました。
大友では毛利と龍造寺が繋がってると思ってたみたい(そうだけど)

相良・・・・・援軍送り損ですわ・・・・(´;ω;`)ウッ
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筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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