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【11-2_千葉氏東西の黎明】通史①肥前千葉氏

文明9年、応仁の乱が終息し、大内が再び九州にチョッカイ出し始める。

文明10(1478)年9月、正任記によると大内政弘が豊前・筑前に侵攻、少弐政資を破り、これらを領有した。
同じく9月に肥後・菊池重朝が筑後へ討ち入り、国人を斬り従え自領とする。
肥後・菊池氏に抵抗し、星野氏は大友へ属した。

大内の侵攻を受けた少弐は、肥前には(まだ)逃げてなかったようです。

同年10月7日、佐賀市史によると大内政弘は秋月種朝等を使い、千葉胤盛を攻めさせた。
これは千葉胤盛が大内政弘からの和議条件を拒んだからです。
だって条件が牛頭山城から退去して、兄・胤朝に明け渡せって内容だったんだもんネー(*´・д・)(・д・`*)ネー

で、大宰府を追い出された少弐らは、対馬に逃げてた。
同年10月12日、同じく正任記によると大内政弘は、宗貞国に対馬に入った少弐残党を討たせた。
かつて少弐政資を匿いバックアップしていた宗貞国だったが、肥前千葉氏のために対馬の兵を便利使いされることに怒って少弐から大内にシフトチェンジしてました。
筑後は菊池氏が侵攻してるし、けっこう四面楚歌ちっくな少弐政資^^;

で、少弐を大宰府から追い出した大内政弘は、博多に入りました。
同年10月23日に渋川万寿丸が博多にいる大内政弘を訪ねてます(正任記)

・・・・・文明3年の段階で、博多は少弐と大友が分領してました(海東諸国紀)
7年後の文明10年で大内が博多に入ったということは、少なくとも少弐領有の博多領は大内に接収されたのでしょう。

少弐の勢力が衰えるということは、少弐のバックアップを受けていた千葉胤盛にとってもピンチです。
頑張れ少弐!千葉胤盛のために負けないでくれたまえ!(`・ω・´)キリッ

てことで少弐粘ります。
文明11(1479)年閏9月15日、少弐政資が大宰府天満宮別当・大鳥居氏に肥前神埼荘石動村の地を安堵する(大鳥居文書)
同年11月19日、少弐政資が筑紫満門の領地を安堵する「筑紫家文書64」
家紋・少弐 ロン様作成:少弐家紋ロゴ

経緯不明ですが、少弐が大宰府天満宮別当に領地安堵するっていうことは、大宰府に返り咲いてるってことです。
大内と和睦したのかもしれません。

で、どうやら千葉胤朝(兄)と千葉胤盛(弟)も和睦し、兄が当主&河上社大宮司に復活したみたい。
文明12(1480)6月19日「河上神社文書」によると、同じ日に兄弟それぞれで河上社領を安堵しています。
が・・・文書の表現のニュアンスが兄弟で違うんです ( ̄ko ̄)
兄のほうがサラっと「知行安堵」と書いてて、弟の方が「御知行安堵」としています。
つまり兄の方が上位者なんです。

ここで思い出さなきゃならないのが、弟・胤盛の嫡男で東千葉氏初代の興常が、胤朝と養子関係だということです。
千葉興常が、いつ胤朝への養子になったかは不明ですが、両者が和睦する条件だとしたら不自然じゃありません。
胤朝には男子がいませんでしたから。

とにかく胤朝の養子である千葉興常に肥前千葉氏の家宝が譲られているので、
肥前千葉氏嫡流は西千葉ではなく東千葉氏だというのが最近の見解なんです。

一方、大宰府に復活した少弐の栄華も長くは続かなかったのだが、それは またの話^-^
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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