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【後篇・椎葉山事件】人吉藩初代藩主編5栞59

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相良家老は犬童頼兄♪(*´○`)o¶~~♪一人目の妻は椎葉の露袈裟ちゃん~

椎葉に残る記録は「椎葉山根元記」と「椎葉山の由来」の二つ。

どちらも原史料を元に江戸中期頃編纂されたらしい、おそらく人吉藩相良家支配になった直後くらいに成立したのではないか?と、推測されている。

「根元記」が村役場に伝存したせいか固い漢文調に対し「椎葉山の由来」は十根川神社の社宝で物語風になっている。

平家落人伝説から始り、相良の獺野原(うそのばる)の戦いも載ってる~~( ゚д゚)ンマッ!!

頑張って検索したけど、ネット上ではどちらの記録もPDFにアップ公開されてなかったil||li _| ̄|○ il||l


相良頼房イメージ画像

シオは椎葉で起きた最初の騒動は、相良家が扇動したと推測してます(実行犯?は犬童頼兄)

この妻うんぬんですが、詳細は不明です。

とにかく椎葉が欲しかった相良家は、その手始めとして椎葉衆代表である那須弾正の娘・露袈裟姫を犬童の妻に迎えた。

もしかしたら「相良頼房の室」と偽って誘い出したかもです。記録詳細が判らないので推測~~

ところが露袈裟姫は「不義の罪を犯した」と犬童頼兄から離縁され、椎葉に追い返されたんです

草深い山奥リアルもののけワールド・椎葉。

純朴な山人たちにはアンビリバボーなスキャンダルでした。

もともと那須弾正に不満あった椎葉衆たちは「そんな破廉恥な家に従えるかぁ!」と大騒ぎになった

その騒ぎを、まぁまぁ~と宥めたのが高橋元種だった~

高橋元種は「九州の役」で、若年ながら黒田如水・小早川隆景を敵に回して10日以上も籠城した。

その器量を豊臣秀吉に見込まれ(&秋月一族勢力の分割)、国人領主から5万石の大名になった男だ。

元種は、やかまし屋連中を上手く宥めすかすことに成功する。

高橋元種がいる限り、椎葉は相良の思い通りにはならない・・・・

高橋元種改易が相良の陰謀・・・というほど、シオも妄想するつもりはない。

だが幕府が有馬家のために、はなから高橋元種を改易させる腹積もりだったとすれば話は別だ。

幕府の内偵調査要請に積極的に協力した・・・くらいの想像は許されるのではないだろうか。

高橋元種改易後に入ったのが、前篇で話した有馬氏(妻は徳川家康が溺愛する曾孫・国姫)

高橋元種というフタを無くした椎葉衆は、少し煽れば即一揆騒ぎになっただろう。

何せ椎葉代表の那須弾正は、物なりが少ない山奥なのに重税を課していたんです。


高橋家紋

常ならば、一揆扇動は重罪で許されることではない、だが椎葉の場合は毛色が違った

那須弾正は御朱印衆で、ことは幕府の権威に関わることだったからです

那須弾正は豊臣秀吉から「御朱印」をもらったのだが、その権限は江戸幕府においても継続して認められていた。

理由いかんに関わらず、御朱印衆に対し歯向かうことは、それ自体が幕府に対し不埒なことになる

当時の領地支配で、自分の見栄とか諸役を果たすために、ほいほい増税するのは普通だった。

一揆の理由が弾正が課した重税が原因でも「重税」そのもので弾正が処断されることは、おそらくなかっただろう。

それは弾正を「御朱印衆」とした幕府の専任ミスを認めることになるからです。
(罰するとしても、名目・罪状は違うものにするってこと)

揉め事だらけの椎葉を新当主・有馬氏が治めることは、かなりキツイ。

椎葉一揆は有馬氏(くどいようだが妻は家康溺愛の曾孫)が統治しやくするためのガス抜きとして、仕組まれたものではないだろうか?

そして幕府の意を受けて動いたのが相良頼房と家老・犬童頼兄ではないだろうか?


一揆鎮圧のため、相良家は幕命で動員されている(用心のため、加藤家・有馬家にも動員かかるが、主体はあくまで相良家)

通常であれば、一揆鎮圧の功績で椎葉は相良支配になったはずです。

相良家でも「それ」を期待し、一揆側のみを捕え処断した。

何より高橋改易前の騒動が相良家の企みであれば、口封じのため首謀者たちを何としても始末しなければならない。


相良家紋

「椎葉山根元記」と「椎葉山の由来」の他に、椎葉には「仙千代踊歌」という民謡が残っている。
 西の障子に笛吹くは、仙千代殿かよ、音のよさや。
 仙千代殿かと、出て見れば、憎い法師が陰をさす。
 青糸千がら、二千がら。赤糸千がら二千がら。
 四千揃えて、編みすいて、憎い法師を、
 さまわけて、かけて取ろうや仙千代を。
宮崎銀行HP内「日向民話集/中村地平著」http://www.miyagin.co.jp/pleasure/index.html
仙千代は15歳の美少年で横笛の名手。那須弾正の甥だが優しい気性を領民に愛されていた。

一揆勃発の日、仙千代は叔父・弾正所蔵の本を読むために、たまたま弾正の向井山城を訪問してたらしい。

中村氏の民話集によると、那須弾正は命惜しさに、椎葉衆が愛する仙千代を楯にしたそうだ。

仙千代を認めて一瞬怯んだ一揆側だが、その見苦しさに逆上~弾正は仙千代もろとも殺された。

幕府に一揆を訴え出たのは、弾正の弟(仙千代パパン)主膳ということになっている。

一揆鎮圧後に主膳は出奔・・・残る妻・上嬢は「息子の死&夫の出奔」ショックで程なく死んだそうだ。

最初にあげた露袈裟(つゆけさ)姫の足跡は判らない。
だが自分の離縁が元で騒動になったのなら、、、、自害か、出家のどちらか、いずれにせよ悲劇だったに違いない。


で、肝心の椎葉だが、「虎の狸さんで相良のモノにはならず阿蘇氏預かりな件」

有馬「キリシタンで懲りたから、うちは面倒はイヤなの」
阿蘇「うちだって迷惑だ ゴルァ!!!(# ゚Д゚)・;'.」

統治が上手くいかず、明暦二年(1656年)からは幕府天領となり、その支配を人吉藩相良氏に命じます。

有馬家に伝わる相良関連資料だと、初め相良では「お手柄ゎーィ♪ヽ(*´∀`)ノ」と喜んだらしい。

が、冒頭にあげた「犬童の妻は~」と、伝承されてるところを見ると、椎葉では相良家に含むとことがあったっぽい( ̄ω ̄A;アセアセ

何せ一揆鎮圧は相良がメイン~~~150数人が処刑され、それらの妻子が20数人自害してるんです。

結局揉め事が絶えず、相良としても持て余し、お荷物状態になったそうだ( ̄ω ̄A;アセアセ



残る伝承が「一揆鎮圧の処置を恨んだ」ものなのか「相良が何事か仕組んだことへの怨嗟」だったのか。

いまも焼畑が続く、平和で静かな山里・椎葉・・・真実は霧の奥深く、いまも靄の中です。

次回、構想練るため間空きます~~それは・またの話 by^-^sio

ブログ用画像~南洲さま
http://blogs.yahoo.co.jp/yuewannwann
兜・人物画像~橘朝臣幸麿さま
http://blogs.yahoo.co.jp/cfmjs676
家紋画像~ロンさま
http://blogs.yahoo.co.jp/kabiningen
相互リンク~ばんない様HPアドレス(戦国島津女系図)
http://shimadzuwomen.sengoku-jidai.com
参照先
(しいまんづ雑記旧録←戦国島津女系図の別館です)(球磨の部屋)(田舎暮らし/古文書館)
URLが弾かれるので貼れません~興味ある方は検索してください^^;
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Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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