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【哀しき未亡人】人吉藩初代藩主編3栞57

シオ地方は部分日蝕~既に始業中でしたのでチラリンと見ましたよ~^^/
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1608年(慶長13)10月4日

島津家久(四兄弟末弟)三女と相良頼兄嫡男・頼安が結婚した

家久三女は薩摩藩主・島津忠恒の養女、頼兄嫡男は人吉藩主・相良頼房の弟分という扱いだった

もちろんこれは政略結婚。相良と島津の関係強化のためです。

それぞれ自分の子供じゃないのは、この時点で忠恒に子供がいないのと、頼房のほうも子女は幼い。

双方、釣り合いとれるカップリングを引っ張り出しての結婚だった。

家久三女は再婚で、推定だが頼兄嫡男より6つほど姉さん女房だったらしい。

1609年?月?日~愛があれば歳の差なんて~二人の間に頼章(頼兄嫡孫)が産まれる

政略結婚のためとはいえ、相良家側が頼兄嫡男というのは、主君・頼房がいかに頼兄を重用していたかが解る。

で、その翌年には前回話した頼房の弟が寂しく病没。

1612年3月9日~薩摩藩主・島津忠恒が200人随行し人吉訪問((((((((((っ´▽`)っヤポー~

ちなみに200人は少ない方なんだって~~相良は2万石だからなぁ~人数制限したんだろなぁ

忠恒は相良頼安の屋敷に逗留~家老衆は新造の客屋に宿泊。

忠恒は青井阿蘇神社にて能を振舞われ、忠恒も自ら連れて来た中西出羽という能大夫に舞わせた。

また頼房嫡男・長寿丸も「三輪」という能を舞い、忠恒はご機嫌~

11日に願成寺へ参詣し、忠恒は琉球から取り寄せた芭蕉布20巻・砂糖1壺、上州綾並に燭台1対、仏前に金子500疋、他に白銀・樽・菓子などを寄進したそうです。

10日ほど滞在し、頼兄・頼安父子が案内役として終日饗応、最後は主君・相良頼房が赤池まで見送り、頼安はその先の大畑まで見送ったそうです。

すごい大接待( ̄ω ̄A;アセアセ~そうとう金がかかっただろうなぁ

華麗なる一族?隆盛を誇る犬童一族の陰で、一人の姫君が死んだ

1617年(元和3)10月~相良義陽の異母妹・亀徳姫が死去

噂ですが( ̄ko ̄)<亀徳姫は、犬童頼兄に蔑ろにされたあげく餓死したそうでつ・・・



相良家紋

シオは、この噂?も不自然だと感じるんです。

犬童一人が「悪」にされているが、「亀徳姫を蔑ろ」にしたのは「犬童一人ではなく相良家中示し合わせてのこと」だと思うんです。

( ̄ko ̄)<実は亀徳姫は、かつて島津義弘の妻だった女性なんです

島津義弘が2回政略結婚してたことを、知ってる人は「プチ島津オタ」に入ると思う。

そのうちの一人が、亀徳姫で無論、相良義陽存命中のことだ。

記録が少なくて二人が結婚・離婚した時期もハッキリしてない。

それどころか加治木に残る伝説では、亀徳姫は義弘との離縁を嘆いて入水したことになっており、彼女を祀る神社まである。
( ̄ko ̄)<そこの泉を〇〇すると、美人になれるそうでつよ~~~呑むか洗うか度忘れ・爆

結婚破綻の理由はズバリ「義陽が島津を裏切って、日向伊東と手を組んだから^^;」

どうも義陽は、異母妹の結婚破綻で政略結婚に懲りたっぽい。

自分の娘たちを政略の駒として使わず、中には病弱だからと手元に置き続けた娘もいるほどだ。

政略結婚に破れた姫様の再婚先テンプレ⇒⇒⇒身内(従兄弟率高し)

てことで亀徳姫は従兄弟・上村長陸と再婚する。

上村家と相良家の関係を話すと20話以上鉄板なので、結論から言うと「夫・長陸は謀反を企て討ち取られた」

ザックリ慶長年間と伝わるのみで没年不明 il||li _| ̄|○ il||l 

未亡人となった亀徳姫は尼となる。さらに息子も早逝 il||li _| ̄|○ il||l

不幸のドン底亀徳姫だが、それだけに世俗の喧騒とは無縁の静かな祈りの日々だったに違いない。

彼女の身辺が騒がしくなるのは「冒頭の家久三女の嫁入り」だろう。



人吉城二の丸

相良家にとって、義陽が何度も島津との同盟を反故・裏切りしたことは、いまさら蒸し返したくない黒歴史。

過去は忘れ、忠恒養女を人吉の地に迎え、島津との関係を新たに構築しなければならないからだ。

亀徳姫が住んだ「原城の下原」というところが、人吉からどのくらい離れているかは土地勘無しのシオには解らない。

だが「かつて島津義弘の妻だった姫様がいる」という事実そのものを隠したかったはず。

もしかしたら相良家は島津家に対し「亀徳姫は死んだ」ことにしてたかも。

島津家縁戚となった犬童一族への遠慮から、人々は亀徳姫に対し距離を置く。

人間の心理とは面白いものだ。

自分から距離を置き粗略にしたくせに、その後ろめたさから今度は「粗略にした事実」そのものを隠したくなる。

ふと「イジメっ子がイジメるのを、見て見ぬふりする周囲の子たちlを連想した。

「自分たちは悪くない」「悪いのは犬童」まるで免罪符代わりの呪文のようだ。



亀徳姫が死んだ年、家久三女と頼安の子・頼章が加治木で元服する。

「元服の儀」を差配したのは島津義弘だ。

弥栄の犬童に比べ、世を捨てた尼とはいえ、誰からも省みられることなく孤独に死んだ亀徳姫の胸中はいかばかりだっただろう。

政略結婚は戦国の世の常と、諦めて胸の奥にしまい、固く蓋してた恨み辛みが逆流しそうだ。

「亀徳姫は死後祟りをなした」らしいのだが、それも何があったのかハッキリしていない。

ただ「当家近代の怨霊と申すはこの良意(亀徳の法名)にて御座るべく候」と伝承が残った

猫が治まったと思ったら、今度は尼か・・・ショボーン..._φ(・ω・` )

[粗略にしたのが犬童]であったとしても、それを見て見ぬふりして亀徳姫を死においやったのは相良家中全体がしたことだ


ふつう祟り云々という話があると、やれ祈祷だ、やれ地蔵堂だ~と大騒ぎするのが、この時代。

だが亀徳姫に関し「人々は沈黙」した。

伝承も伝説も、あるのは加治木で人吉には無い。

亀徳姫の墓は草の下に埋もれていた状態で、場所を示す印もなかったらしく、それを尋ね見付けだしたのが頼兄の孫の頼章だったそうな。

加治木に亀徳姫にまつわる神社があるから、そっちで慰められてるかなぁ^^;

さて、相良の外を見渡すと、天下では大きな事件が起きており、それは相良家にも関わってくるのだが、それは・またの話 by^-^sio゙

次回:椎葉山事件・・・たぶん前篇,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚爆)ブハッ!

ブログ用画像~南洲さま
http://blogs.yahoo.co.jp/yuewannwann
兜・人物画像~橘朝臣幸麿さま
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家紋画像~ロンさま
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相互リンク~ばんない様HPアドレス(戦国島津女系図)
http://shimadzuwomen.sengoku-jidai.com
参照先
(しいまんづ雑記旧録←戦国島津女系図の別館です)(球磨の部屋)(田舎暮らし/古文書館)
URLが弾かれるので貼れません~興味ある方は検索してください^^;
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Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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