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北肥戦誌【1552年】 帰りたいのに帰れない~

天文21年(1552)

飢饉が発生し、10人に8人の領民が餓死する有り様であった。

一ツ木村に逗留中の隆信らも次第に窮乏していった。

これに福地信重は、福地太郎左衛門と小林播磨守を召して肥前へ渡海し、船津の郷長・村岡藤七兵衛の屋敷に出向き兵糧の加勢を願い出た。

村岡はこれを承諾、兵糧を積んだ船を商売船に仕立てて、世間には天草へ行くと申したてながら、一ツ木村へと送り届けたのである。

またこの年に、旧臣・鴨打胤忠が自らの領地である蘆刈へ隆信を迎えんとの動きを見せた。

胤忠が一ツ木へ船を差し向けると、隆信は大いに喜悦し、家中の男女連れ乗船し渡海した。

だが天運未だ至らず、俄かに暴風に見舞われて、船は柳津留(小城市牛津町砥川)の入り江に迷い込んだ。

そこは杵島郡の有馬領である。

胤忠の別腹の兄・胤賢は弟と不仲であるが、隆信漂着を知ってこれを討ち取らんと迫る。

隆信らの船は、何とか柳川へ漕ぎ返し事無きを得た。

7月9日の夜半、有馬勢が小城へ乱入し千葉領を犯した。

千葉勢はこれを追い帰すも、仁戸田刑部大輔が波佐間村で討ち死にした。


なかなか思うように行かない肥前の熊さま __φ(.. ) メモメモ
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