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北肥戦誌【1548年】

天文17年(1548)

この年の3月22日、村中龍造寺の正統・豊前守胤栄が卒去した。

胤栄には世継ぎが無く、娘が一人いただけである。

老臣らは龍造寺の正統が潰えるのを懸念し、老臣・小河武純(後に信安)、納富道周(栄房)、江副久吉、そして龍造寺家直らの詮議を受け、

鍋島清房と談合して、水ヶ江の当主・胤信に胤栄の室を娶せて、村中家と水ヶ江家を一つにするとの衆議が決定、胤信は佐嘉城に入る。

しかし、村中家の中には胤信相続を快く思わない者も居た。

村中老臣・土橋栄益は、家門の後継となった鑑兼を正統に立てようと謀り、鑑兼の烏帽子親である豊後の大友義鑑と内談した。

その頃、大友は大内との緊張が高まりつつあり、大内に与する胤信を失脚させんとしていた。


また胤栄の簾中(=妻)は胤栄を忘れられず、胤信と和親しなかった。

これを憂いた老臣・小河武純は簾中にまみえ、胤栄との間に生まれていた娘:於安(数えで7歳)を乳母から受け取ると脇差を抜き、
「村中・水ヶ江両家和親すべきを、御簾中が胤信公と御親しみにならぬ故に、御家は二つに割れ、近国の諸公が佐嘉に攻め込まんとの風聞あり。
味方は防ぎようがなく、この姫君も敵の虜となりましょう。斯様な恥は耐えきれませぬ。ならば旧恩に報いて、某が刺殺して進ぜましょう」
と、抜刀し掛ける。

簾中は仰天し「以後は心を改める」と述べて、「娘を放してくれ」と泣いて手を合わせた。

武純も涙ながらに喜悦し、於安を乳母に返すと退出していった。

以後は、胤信と簾中の仲は睦まじくなった。

於安は後に、蓮池城主・小田鎮光に嫁ぎ、鎮光切害の後は、唐津城主・波多親に嫁ぎ、親が遠流になると尼となり「妙安」と名乗った。

同年8月11日、鍋島清房の内室(鍋島直茂の母)が卒去した。



この頃、少弐冬尚が勢福寺城へ復帰する。

冬尚は、胤栄死去で佐嘉の人心が揺れる間にと帰国を思い立ち、伯母の婿である宗讃岐守義調(入道一鷗)へ加勢を請い、兵300を貸した。

冬尚は東肥前に討ち入って勢福寺城を目指すも、元少弐家臣ながら今は大内により城番に任じられていた江上隆種の兵が居た。

冬尚は夜に城へと忍び入らんとするも、この日の番将・光安忠三郎の奮戦により防がれる。

しかしながら、隆種自身が城から兵を退き、冬尚に城を明け渡した。





於安は・・・・・気の毒な女性です・・・・゜・(PД`q。)

しかし少弐はしぶといですな ( ゚Д゚)y─┛~~
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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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