【持つべきものは友と弟】関ヶ原/大垣城4栞52


1600年9月15日・・・関ヶ原本戦にて西軍が東軍に敗れる!


大垣城を14日から攻撃していた水野勝成(みずのかつなり・36歳)は三の丸を占拠し、続けてニの丸に火をかけた。

これが意外な相乗効果をもたらした。

まず、南宮山にいた毛利秀元軍~南宮山からは関ヶ原は見えないが大垣城の方角は遠望できる。

火の手が上がったのを見て、大坂まで撤退する判断材料となった。

また敵中突破した島津義弘~大垣城で上がった火を見て「もぉ落城でごわす」と早とちり。

大垣城で籠城する予定を変更して「薩摩へ帰るでごわんど」と摂津方面へ(奥方たちと合流するため)道を変えた。

一方、関ヶ原の結果を知った水野は、いったん大垣城の包囲を解いた。

すると関ヶ原を命からがら脱出した西軍の雑兵たちが、ドッと大垣城に逃げ込んだ。

水野が包囲を解いたのは「西軍敗北」の情報を大垣城内に知らせるためだったのだ。

盟主だった石田三成が行方不明で西軍は四散分裂・・・主戦場に近すぎる大垣城は孤城になったんです。

援軍など期待できるはずもない、大垣城内は恐怖でパニックになった。



(馳ぽん提供~大垣城画像~銅像は関ヶ原の後に初代藩主となった戸田様~)

この大垣城の攻防は九州の関ヶ原編でチラっと語った。

城内で「城を枕に討死する」と決意した垣見さんと、その留守を守る富来城代の話だ。
http://blogs.yahoo.co.jp/tokino_siori/4671273.html

討死を覚悟する者がいる一方で、西軍として大垣城の守備にあたっていた秋月種長の元へは、水野勝成から密かに裏切りを誘う使者が来た。

「ろ・・・六左衛門(水野のこと)?何?アイツ生きてたの?って昔と名字違うし、どうなっているんだ?」秋月は驚いた。

無理もない、種長と知り合った西国放浪時代の水野は、出自を隠し偽名だったからです。

使者は証として二人しか知らない思い出を語り、何より携えた文は紛れもなく六左衛門の筆跡だ。

水野曰く「内通の証として城将の首を差し出せば、領地安堵の周旋を約束しよう」という内容だった。

アタヽ(´Д`ヽ ミ ノ´Д`)ノフタ「も・・・元種~~~弟よ~~~こんなん来たぉ!」

種長は実弟の高橋元種に相談した。

「裏切るかor裏切らないか」の相談ではない。

種長「元種、城将の首といっても本丸へ攻め込むには我ら兄弟の手勢では足りぬぞ。如何する?」

西軍の大将は大老の毛利輝元。

対する東軍の大将は大老筆頭の徳川家康。

表面上は派閥争いの様相を呈していたので、どっちについても「豊臣へ不忠」になるわけじゃないんです。

元種「兄上、お忘れですか?我らの兄弟なら今一人いるではありませぬか(* ̄ー ̄*)ニヤリ」

種長「もう一人・・・おお!そうであった(* ̄▽ ̄*)」

そう彼ら兄弟の妹(元種から見れば姉)秋月竜子。


彼女は最初に秋月家の同盟相手、城井氏に嫁いでいた。

「九州の役」後・・・・いろいろあって嫁ぎ先の城井氏は、黒田如水・長政親子に抹殺されてしまった。

残された竜子は、城井の遺児を産み落とすと実家の秋月家で保護されていた。

彼女は、その後に相良家当主・相良頼房に再嫁していたんです。

秋月・高橋の義兄弟にあたる相良頼房もまた、西軍として大垣城の守備にあたっていたのだ。

二人は早速、相良にも裏切りの誘いをかけたのだが、それは・またの話 by^-^sio

次回より相良氏を中心に関ヶ原・大垣城編を語りたいと思います^-^

ブログ用画像~南洲さま
http://blogs.yahoo.co.jp/yuewannwann
兜・人物画像~橘朝臣幸麿さま
http://blogs.yahoo.co.jp/cfmjs676
家紋画像~ロンさま
http://blogs.yahoo.co.jp/kabiningen
相互リンク~ばんない様HPアドレス(戦国島津女系図)
http://shimadzuwomen.sengoku-jidai.com
参照先(しいまんづ雑記旧録←戦国島津女系図の別館です)
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筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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