北肥戦誌【1546年】~肥前の熊キタァ━━━━ヽ(´ω` *)ノ━━━━ッ★

天文15年(1546)

3月10日、剛忠(=竜造寺家兼)は93歳で身罷った。

(剛忠は)水ヶ江の家門の跡は子の左衛門大夫鑑兼に与え、

家純の跡と我が隠居分は周家の次男・慶法師に与え、

慶法師の兄・中納言円月(後の竜造寺隆信)を、折を見て還俗させ水ヶ江の総領と入れよと遺言していた。
剛忠の遺言ではあったものの一族・老臣がこれを話し合うと、意見が割れ、ならば神意を問うべく八幡宮でクジを引いて決すると決まる。
が、一同揃って参拝し、三度クジを引くと三度とも隆信となったので、水ヶ江城主に決まった。
鍋島清房は、隆信が家督と決してもまだ難色を示したが、嫡流の龍造寺家宗により宥められた。

中納言円月は、まず石井忠房の家へ入れられ、

その子息・大隅守が寝間を休所へ取構えて、先ず鰹を進め、加瀬町から彦寿という女を宿直に召し置いて還俗させてから、水ヶ江城へ入れた。

そして龍造寺胤信と名乗り水ヶ江龍造寺家の総領となった

胤信は、大胆にして剛強、度量抜群の為に人の下に就くのを喜ばず、秀でて威勢がある者を見るとこれを嫌い、また物の数ともせず、酒を好む者を愛し、酒に酔う者を嫌った。
しかし、文を好み、武を重んじ、山林に狩しては走り、その行動は常に人の意表をついた。


緑枠内は北肥戦誌ではなく、二次史料からの引用です^-^
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