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【読了】宇喜多直家・秀家 渡邊大門著

実は購入したのは一年前 ,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚爆)ブハッ!


逸話関連だと、サイト上で拾えるもの以上は無いです^^

それよりも、まだまだ不明な点が多い、宇喜多氏の考察が興味深かった。

毛利元就・尼子などとともに「三大謀聖」などと華麗に呼ばれている宇喜多直家。

だが彼の謀略の数々は、後世の脚色や誇張がかなりあるらしい。

どれが、どう・・・という具体的な指摘は避けているような・・・・・

そもそも一次史料が少ないので、まだまだ検証していかなかればならない・・・といったところだ。



で・・・ここらあたりまでが本の半分くらいでして、忙しくて残りを読むのに挫折il||li _| ̄|○ il||l

そのままになってたのを、先日一気読み~~やれば出来るものですな ( ゚Д゚)y─┛~~

後半部分が宇喜多秀家公なんだが、個人的に非常に参考になったのが文禄年間に行った検地について

文禄年間の検地は「太閤検地」と呼べる代物じゃなかった

検地の実態は、昔ながらの指出(さしだし)検地で、宇喜多領では兵農分離がなされてなかった


指出検地は・・・・ザックリ説明すると「自己申告」です。

「太閤検地」を進めることで、農民の身分を固定化し、土地所有者を明確にし、全国統一度量衡により納税額が定められ、それにより軍役諸役が確定する。

父・直家の代で戦国大名となり、秀家の代で豊臣政権中枢の一端を担った宇喜多家。

その膨張スピードに、内容がついていけなかった・・・・中小領主連合体のままだったということです。

もちろん、検地は文禄検地以後も行われてて、それに伴い家臣の所領も増えてる。

だが加増(ベースアップ)ペースが半端なくて、表高に対し実収が伴っていたのか疑問が残る。

家臣にすれば加増は嬉しいが、軍役も増える・・・増えた分は農民から租税として徴収するしかない。

検地による増税負担に耐えかね、宇喜多領では農民の逃亡が相次ぎ、荒田が多かったそうなのだ。

その状態を改善すべく秀家公も努力し、古い体質からの転換をしようとして、父の代から仕える家臣団と対立。

「宇喜多騒動」は起こるべくして起きたものだろう。



九州戦国史にハマる前は宇喜多オタだった(てか宇喜多ファンなのは今も変わってない)管理人。

素人が調べる範囲内でも「検地」で揉めたところまでは解った。

だから、てっきり「太閤検地をした為に」揉めたと思ってた。

まさか、それ以前の問題だとは目からウロコ・・・・なるほどね~揉めるはずだわ~

宇喜多家臣の一人・・・戸川が加増された時に貰った朱印状には、主君である秀家公の他に秀吉の朱印がある。

これは秀家公の領内における政治基盤の弱さの現れ・・・とされていた。

ところが渡邊氏の検証だと[書式から判断して][いったん主君から受け取った朱印状に対し]


戸川が後から(個人的に)秀吉の朱印を貰ったものらしい


il||li _| ̄|○ il||l うわぁ・・・・キツイっす・・・・

宇喜多家における戸川の地位なら、秀吉に対し個人的に要請するのは可能だったろう。

重臣たちとの関係に、若い秀家公が苦労したであろうことは想像に難くない。



最近、ずっと九州戦国史オンリーだったので、読んでて新鮮でした。

脳内の切り替えのために読後感想を記事にして、また九州戦国史・郷土史に戻ります(*´pq`)クスッ

あぁ~でも、いつか中国戦国史をやれたらなぁ~吉川広家と宇喜多秀家メインで~ 川* ̄д ̄*川ポッ

とはいえ、九州でやりたい国人がまだいるんで、中国地方ネタは引き出しに仕舞います^^

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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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