後篇【でんでん♪ぶゆぅでん♪水野伝】関ヶ原/大垣城3栞51

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とある戦で一人の少年が大泣きした「アーン!アーン!ワァァァン・゜・(PД`q。)・゜・」

「どうした坊主?戦は終わったぞ。安心して気が抜けたか?」と側にいた先輩兵が尋ねた。

少年曰く「違います!わたしは此度が初陣(ういじん=戦場デヴュー)なんです。なのに一つも手柄がたてられなかったのが悔し・・ぃ・・ワァァァン!!・゜・(PД`q。)・゜・。」

周囲の大人は呆れた。何故なら彼らの敵は武田軍団(勝頼の代)だったからだ。

「武田相手に豪胆な小僧だ、末頼もしいぞ」と嗤い合った。

時に天正7年(1579年)、水野勝成(みずのかつなり)初陣の逸話です(=^・ω・^=)v ブイ
(※逸話は「戦国ちょっといい話悪い話まとめ」から拝借しました)
最終戦歴は「島原の乱」で息子・孫の三世代で出陣した豪傑な水野。

しかし晩年丸くなって大人しくなったのと、国民的作家の司馬遼太郎氏が「城塞」という作品で、水野をヘタレ扱いしたので、イマイチメジャーになり損ねている。

(城塞:大坂冬・夏の陣が舞台~主役は違う人なんだけど、敗者の豊臣方武将たちが華麗・勇壮・悲劇の群像劇として描写されてる・・・だから幕府方武将の扱いは・・察してください^^;)
(作品の話運びは凄い面白いです~影響でシオは大坂の陣に一時はまりました(*´pq`)クスッ)

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/56/Fukuyama_castle13n1800.jpg/250px-Fukuyama_castle13n1800.jpg
ウィキペディアより福山城内の水野勝成銅像

水野勝成は、徳川家康の年の離れた従弟で、二代将軍・秀忠とは乳兄弟にあたる。

家康は、このヤンチャすぎる従弟を放っておけなかったらしく、水野が父に勘当された時も暫く匿っていたそうだ。

水野の職歴?てか人生は複雑なんで簡略にまとめると以下の通り。
【家出前】
1)織田信長(父がヘッドハンティングされたので一緒に仕官)~信長から感状を貰う。
2)織田信雄(父が与力だったので一緒に従軍)~「小牧・長久手の戦い」にも出陣。
3)小牧・長久手で兜を被る被らないで親子ケンカ⇒兜無しで手柄を立ててオヤジにドヤ顔。
4)翌年「陣中」で自分の悪さを親爺にチクった(親爺の)家臣をヌッ殺した(汗
5)激怒したパパンは勝成を勘当し奉公構(再就職禁止措置)にした。
6)徳川家康が匿う⇒怒りが治まらないパパンの詮索が厳しくなり、西国へ放浪する~時に勝成21歳。

水野には(オヤジに見つからないように)偽名で西国をウロウロするから「家康の密偵説」がある。

だが、どこもトラブっては出奔する「お騒がせ男」では密偵にならないだろう,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚爆)ブハッ!

どこを転々としてたかというと簡略に以下の通り。
【家出後】
1)仙石秀久⇒四国征伐で活躍し秀吉から知行拝領(つまりヘッドハンティングされた)
2)豊臣秀吉⇒何かやらかしたらしく、秀吉を激怒させ出奔~刺客を放たれたそうな^^;
3)佐々成政⇒肥後国人一揆の責で佐々切腹で無職
4)小西行長⇒加藤清正⇒この二つは前歴(秀吉を怒らせたこと)がバレていれなくなった。
5)立花宗茂の相伴衆を経て黒田長政⇒長政を激怒させて刺客を放たれた。
6)備中の三村氏⇒(茶坊主斬って出奔)⇒寛大な三村さんとこに再就職

とまぁ転々とする。5)黒田のとこでは、長政が(側にいたんで咄嗟に)水野へ水夫の仕事をやらせようとしたのでケンカして出奔。

とあるんだが、実は長政は一揆鎮圧の報告がてら、活躍した水野を秀吉に引き合わせようとしてたらしいんです。

それを知った水野が「ヤバイ」って遁走したのがホントらしい。( ̄ω ̄A;アセアセ

で最終的には備後福山藩の藩主となるので、様々な逸話や伝説が残った。

ただフリーダム水野DNAも泰平の世になると弱ったのか、5代で嫡流が絶えて改易(後に能登西谷1万石で水野宗家復活)になったのもイマイチマイナーな理由の一つだろう。

水野が36歳になると見かねた従兄・家康が、パパンとの仲を取り持ち和解したので、三村さんとこを去り実家へ戻る。

( ̄ko ̄)<ただね・・水野さん・・・この時は既に妻子がいたのだが・・・備中に置き去り・・

( ̄ko ̄)<しかも実家に戻った後に再婚しちゃったでつ

(女から見て)かなり身勝手な男・水野の結婚騒動をギャグにしたのがコチラ↓



この頃の水野には適当な男子がいなかったようで、過去の(ヤンチャな)記憶をたぐったらしい^^;

水野の面白いところは、過去の正室と現在の正室、どちらも同格に扱い大事にしたことです。
(引き取られた嫡男も同様に、生母・継母どちらにも孝養を尽くした)

とくだんイケメンでもないのに、何故かモテる男が世の中にはいるが、水野はドンピシャリそのタイプ。

こんなアバウトな感じにワイルドさを感じるのか、何処でもモテたらしく美味しい思いを・・ (._+ )☆\(-.-メ)オイオイ

おかげで置き捨てられた妻と息子は、引き取られる(水野が思い出す)まで苦労したらしい。

その時の辛酸を忘れず息子は、下々を大切にする名君となったそうだ(結果、親子二代とも名君)

あ、そうだ世話になった三村さんですが、水野が福山藩主の頃には没落してたんです。

水野は恩返しに三村の息子を家老に迎え入れてます^-^

関ヶ原の時の水野は「毒気が抜けて」「程よく丸く」「下情に通じた名君」になる前。

36歳にもなろうと言うのに、まだまだ暴れたりなくて戦で弾けるエネルギーが有り余ってた。

で、前回話したように親爺が殺害されるという想定外のことで家督を継ぎ3万石の当主となった。

これが関ヶ原直前の7月のことで、アタヽ(´Д`ヽ ミ ノ´Д`)ノフタ~~と実家に戻って当主となり、9月に再びトンボ返りで出陣する。

本戦直前の前哨戦・・1600年9月13日、島津義弘の軍が曽根城を攻撃した。

「徳川四天王の井伊直政と本多忠勝」が家康に「この戦は六左衛門(=水野)殿でなくては、手に合わないので、直ちに軍勢を差し向けて頂きたい」と懇願した


水野の武勇が如何ほどのものだったか察せられる話だ。

水野が援軍に向かうと、深入りするつもりの無かった島津軍は引き上げてしまい、直接対決は実現せず(チト残念)。

水野は家康に従軍の許可を求めるが、家康は許さず水野を後方支援に回した。




家康は「天下への野心」をひた隠して「五大老筆頭」の立場を崩していなかった。

そして石田三成と豊臣恩顧の大名と噛み合わせ「漁夫の利」を得ようとしていたのだ。

水野を先陣に置いたらハチャけて弾けて活躍しすぎてしまい、家康の思惑から逸れてしまうかもしれない。

家康は水野を(糧道を守るために)大垣城の「抑え」に配置した。

家康「六左衛門、糧道確保も大事な務めでぇよぉ、おみゃさぁも放浪してたころと違ぃ、3万石の当主なんでょぉ自重するだぎゃぁ

水野「(三河訛りが抜けたシティボーイ)委細承知仕った。大垣城から兵糧を狙って兵が出るやもしれぬので先手を打って攻撃いたす所存~((((((((((っ´▽`)っヒャッハ~~

家康「ゴルァ!!!(# ゚Д゚)・;'.~人の話を拡大解釈すなぁ~~~~!!


大垣城の「抑え」は「水野・松平康長・西尾・松下・津軽為信」の混成部隊。

その中で水野の隊が一番兵数が多く、家康の従弟ということもあり、主導権は水野が握っていたんです。

ちなみにウイキペディアでは津軽為信とあるけど、これは津軽兵のみの参加です。

津軽さんの嫡男は家康の側に、ご本人は京都待機~バラバラだから津軽為信さんの位置を特定するのに手間取った^^;

まぁ津軽に限らず関ヶ原で親子・兄弟が西と東に別れた大名は、かなりの数になると思う。

1600年9月14日・・・石田三成が出陣し留守部隊が守る大垣城を、水野らが攻撃

その日のうちに一気に三の丸まで占拠する


水野が攻撃に拘ったのは単に暴れたいだけでなく、大垣城には親爺を殺した男の息子が西軍として入城していたからです。

大垣城守備隊の秋月種長と高橋元種らは、そんな事情は露知らず必死に防戦していた。

秋月と水野・・・互いの存在に気付いたのは、おそらく水野が先だろう。

実は二人は水野が西国放浪時代に親しくなった友人同士だったのだが、それは・またの話 by^-^sio

ブログ用画像~南洲さま
http://blogs.yahoo.co.jp/yuewannwann
兜・人物画像~橘朝臣幸麿さま
http://blogs.yahoo.co.jp/cfmjs676
家紋画像~ロンさま
http://blogs.yahoo.co.jp/kabiningen
相互リンク~ばんない様HPアドレス(戦国島津女系図)
http://shimadzuwomen.sengoku-jidai.com
参照先(しいまんづ雑記旧録←戦国島津女系図の別館です)
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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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