34【4激突!大内VS大友+少弐】
緑文字=北肥戦誌、自分で確認した史料
青文字=自分では未確認
黒文字=管理人の補足、所感
天文元年(1532年)10月
大友義鑑、大内任命の宇佐郡代、佐田朝景の菩提寺城を攻撃
(佐田朝景は妙見岳へ逃げる)
11月14日大友義鑑、妙見岳を攻撃するが失敗する
11月15日大内義隆、大友+少弐を倒すために陶興房を出兵させる。
陶興房、ずっと筑前にいたかと思ったら緒戦で敗退したので
一旦、周防に引き上げて大勢を整えてたようですね(ー・ー)
11月21日大内義隆、山口から防府まで出陣
12月、国東郡姫島沖に大内方の船が襲来
大友義鑑、富来氏らに防衛を命じる。
富来氏は大友軍における水軍担当です^^
同じく12月大友方是松ら志摩郡衆が怡土郡へ向けて出陣
志摩郡の位置が分かんなかったけど筑前らしい。怡土郡が現在の福岡県糸島市。
旧暦の12月は現在の1月。
大友は真冬に兵を筑前に入れたようです。
天文2年(1533)1月5日
陶勢VS大友勢、筑前・志摩郡で戦う。
1月16日立花城で合戦
(立花城は4月11日に落城)
大友サイドの立花城粘ってたようですね。
1月、陶興房、星野への後詰を置き筑前から筑後に攻め入る
やっと本来の目的、大友に謀反を起こした星野氏の救援が出来ました。
星野氏が大内に救援を求めたのが、そもそもの発端だった。
大物同士の激突で筑後の様子が分からなくなりましたが、
享禄4年(1531)の時点で3年粘ってた星野氏。
天文2年(1533)の時点で未だ粘ってたようです。
混沌とする筑前・筑後の情勢に大友に加勢した少弐のために
肥前も巻き込まれて行くのだが、それはまたの話^ー^
青文字=自分では未確認
黒文字=管理人の補足、所感
天文元年(1532年)10月
大友義鑑、大内任命の宇佐郡代、佐田朝景の菩提寺城を攻撃
(佐田朝景は妙見岳へ逃げる)
11月14日大友義鑑、妙見岳を攻撃するが失敗する
11月15日大内義隆、大友+少弐を倒すために陶興房を出兵させる。
陶興房、ずっと筑前にいたかと思ったら緒戦で敗退したので
一旦、周防に引き上げて大勢を整えてたようですね(ー・ー)
11月21日大内義隆、山口から防府まで出陣
12月、国東郡姫島沖に大内方の船が襲来
大友義鑑、富来氏らに防衛を命じる。
富来氏は大友軍における水軍担当です^^
同じく12月大友方是松ら志摩郡衆が怡土郡へ向けて出陣
志摩郡の位置が分かんなかったけど筑前らしい。怡土郡が現在の福岡県糸島市。
旧暦の12月は現在の1月。
大友は真冬に兵を筑前に入れたようです。
天文2年(1533)1月5日
陶勢VS大友勢、筑前・志摩郡で戦う。
1月16日立花城で合戦
(立花城は4月11日に落城)
大友サイドの立花城粘ってたようですね。
1月、陶興房、星野への後詰を置き筑前から筑後に攻め入る
やっと本来の目的、大友に謀反を起こした星野氏の救援が出来ました。
星野氏が大内に救援を求めたのが、そもそもの発端だった。
大物同士の激突で筑後の様子が分からなくなりましたが、
享禄4年(1531)の時点で3年粘ってた星野氏。
天文2年(1533)の時点で未だ粘ってたようです。
混沌とする筑前・筑後の情勢に大友に加勢した少弐のために
肥前も巻き込まれて行くのだが、それはまたの話^ー^
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