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36【6激突!大内VS大友+少弐】

緑文字=北肥戦誌、自分で確認した史料
青文字=自分では未確認
黒文字=管理人の補足、所感


天文2年4月28日、陶勢 柑子(こうし)ヶ岳城(福岡県西区)を攻略し落とす

7月1日陶興房、太宰府へ陣替

9月2日、陶興房 筑後三原郡へ出陣

9月、大友義鑑 「(菊池)義国悪行」「逆心顕然」により肥後と筑後へ軍勢出す。


えっと、筑後の星野氏が謀反起こして肥後の菊池義国(大友義鑑の弟)に支援を求めたんです。
で、菊池義国は支援の話を大内氏に振った。
それが、数年経過してバレたみたいです^^;

9月6日、陶興房 岩屋城で大友勢を防戦
9月7日、陶興房 筑紫正広の城を落とす

10月8日、暁の頃、萬星半天に流動し、ことごとく海陸に落ちる
流星でしょうか?
人々は驚き人心不安になったことでしょう。

10月、筑後錯乱
大友義鑑は日記(覚書程度のもの)を付けていたらしい。
天文2年10月に、この言葉が出てくる。
星野氏がどうなったのか、さっぱり分からないが
大友に滅ぼされた説と大内に滅ぼされた説が出たくらいだから、
筑後は相当の混乱状態にあったと思う。
それが、この言葉になったのだろう。

10月、陶軍 筑紫正門の筑前武蔵城を落とす
筑紫は少弐の一族です。

12月、陶軍 朝日山城(筑紫の支城・現在の鳥栖市)を攻略
渋川義長が大内勢で討死

筑紫惟門、状況判断により降伏
少弐の一族のくせに、すぐ降伏する。
変わり身の早さに一時は国衆かと勘違いしてた時期があったのは懐かしい思い出^^

龍造寺鑑兼、元服し大友義鑑の加冠と偏諱を受ける。
鑑兼は龍造寺家兼の孫にあたります。
隆信から見ると父の従兄弟。
多分、少弐が仲介したんじゃないかなぁ。
家兼は大友との接触に成功しました。
これが後年、隆信が大友に睨まれた時に活きてきます。

まだ終わらない大内VS大友+少弐。
遂に大内、大友の直接対決となるのだが それはまたの話


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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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Re: 清水しゅーまい様

はい。大友は北九州では絶大な勢力を誇ってました。
大友VS大内ですよ~少弐の出番はありません^^b

龍造寺鑑兼は大友宗麟の父からの
偏諱で鑑兼となったのですね。
当時は大友家との差が歴然だったんですね!
大友+少弐が大内とどう戦うか、
大変楽しみです(=^▽^=)
プロフィール

時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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