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【後篇・如水について】九州関ヶ原12栞48


今シリーズはサイト「黒田武士の館・黒田如水墓の謎」を参照にしました^-^
http://www.geocities.jp/kazzuki2001/

関ヶ原を本気で調べようと思ったら、黒田親子の調査は避けて通れない。

どこまで調べるかは人それぞれだが、ガンガン調べてるうちに、遡り過ぎて黒田家から離れてしまい、

ついに九州の郷土史まで首を突っ込んで、抜けられなくなった~,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚爆)ブハ!


さて1604年・・死の床で如水は、息子・長政に言った。

「そなたが死んでも、家臣たちは大殿(如水のこと)がおられるから大丈夫、と思うだろうが、ワシが死んだ後は、家臣たちは長政について行く者はいないだろう」

病でも口は達者・毎度ながら辛辣な如水、長政は身もふたもありません^^;

今風に言うとツンデレ親子なのが如水と長政。

黒田家中がアットホームすぎる(家臣が長政に対して言いたい放題)のは、如水が息子に対しての不満や辛口評価を(家臣の前でも構わず)言い過ぎたからかもしれない。

だが足が不自由で戦場で槍働きが出来ない如水にとって、武勇優れた長政は自慢の息子だった。

ただ長政は大将のくせに本陣にジッとして無くて、兵卒と一緒になって前線に突撃しちゃう。

でもって黒田二十四騎の猛者たちと(本気で)武功を争うから、ダディ如水の御小言が出るんです,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚爆)ブハッ!

関ヶ原の前哨戦でも(本気で)一番槍を(家臣と)争ってる長政33歳( ̄ω ̄A;アセアセ

政略の才能も如水に比べると見劣りするが、決して凡人ではない。

例え如水のアドバイスがあったにしても、小早川や吉川の裏切り交渉を遣り遂げたのは長政の実力だ。

熟慮断行と言えばカッコいいが、実は「ケンカ早くて、見栄っ張りで、超負けず嫌いで、すぐ調子に乗る息子」を、如水は死の間際まで心配した。

病床の如水は、わざと怒ったり、理不尽な命令を出して、家臣の人望を長政に集めようとしたそうだ。

如水の悲痛な思いは家臣に伝わっていたのだろう(だって如水本人が黙ってられなくて、話しちゃうんだもん・爆)家臣たちは長政に突っ込み入れつつも、良く仕えた。

父・如水は長政にとって神にも等しい存在だった・・・誰よりも敬愛し、如水への薬湯は長政自身が服用して効果を試した。
(( ̄ko ̄)<健康な人が服用しても意味が無いんじゃ・・・と突っ込んではなりませぬ)


黒田如水イメージ画像

1604年3月20日・・如水が福岡で没した時、遺言で葬儀はキリシタンで行ったとある


ちなみに福岡城は完成が1607年・・・如水は福岡のどこで没したのだろうか・・・居住スペースは出来てたのかな?

これは当時・福岡にいた宣教師の記録です。

宣教師の記録は一次資料ではあるが、日本の風習が解らず勘違いしてたり、異教徒を憎むあまりエキセントリックな表現があって鵜呑みには出来ない。

だが「出来事」はマメに記載している(ローマに活動報告するから)

1604年3月24日~博多教会堂で如水の葬儀を執り行い・黒田長政一家も参列、感激した長政は教会に米4俵を寄進したとある

実は如水の没した地には「福岡説」と「伏見説」の二説・・いや宣教師の記録を入れると3パターンある

黒田家譜・・・福岡没⇒崇福寺で埋葬
寛政譜・・・・伏見没⇒ 同上
宣教師報告書・福岡没⇒博多教会に埋葬

宣教師の記録だと、如水の墓はキリシタンの墓地に埋葬したことになっている。
では如水の墓は?というと、

博多崇福寺・・・大宰府にあったのを博多へ移築して再興
博多教会堂・・・1613年の禁教令で破却

もし教会に埋葬されたのなら、如水の遺体(遺骨?)は禁教令による破却により、崇福寺に埋葬しなおしたことになる。
ちなみに京都・大徳寺・龍光院(三成は三玄院)にもあり、こちらも如水の死後、数年後に長政が建立したものだ。

そもそも黒田家を作り上げた偉大な藩祖の没した地が、二説あるというのも不可思議な話だ。

黒田家譜には病床の如水と長政のやりとりが幾つもあるのに、葬儀や没した地の記載は簡素。

如水の葬儀がキリシタンで行われたのなら、「黒田家譜」で深く触れないのも、寛政年間に幕府に提出した「寛政譜」に、違う地で没したと記載した理由が頷ける。

黒田家は如水の葬儀がキリシタンで行われたことを、必死で隠そうとしたのではないか?


如水が内面の信仰心を捨てなかったのは、長政が男子がいないにも関わらず側室を作らない事でも解る。

秀吉の養女である正室に遠慮・・・というが、江戸時代ではないのだ。

当の秀吉が正室と子宝に恵まれず、側室を抱えているのに遠慮もクソも無いだろう。

1606年に後藤又兵衛が出奔し細川忠興が一時、身柄を預かった

この時、長政は初めて父の葬儀をキリシタンで行ったのを後悔したかもしれない

後藤は旧主を売る様な下種な男ではない、だが何かの拍子で漏れないという保証はない

長政は後藤が細川家に仕官できないように「奉公講/ほうこうかまえ=再就職を禁止する措置」の処分を下したのではないだろうか?


キリシタンの禁令は豊臣政権で追放令が出されたのが始まりだが、それは廃止になっていないので有効のままだった。

でも、だんだんザル法になってて「個々の大名の判断に委ねられた状態」で、けっこうキリシタンが領内にいるのを黙認している武将はいたのだ。

1602年に江戸幕府が開かれ、最初のころキリシタンは「新政権が布教を認めてくれるのでは」と淡い期待をした。

だが幕府が欲しいのは豊臣家に代わって「貿易の利益を独占」することであって、布教を認めるつもりは無かった。

禁令を出した時に、世上不安定になるのを恐れて様子見してただけだ。

長政は幕閣の要人と親しくすることで情報収集(どこの大名もやってるが)し、キリシタンへの締め付けは変わらないことを察知してただろう。

中津から福岡への引っ越しの時に細川忠興とケンカして以来、粘着タイプの忠興は黒田家のアラ捜しを鵜の目鷹の目で狙ってた。

忠興にバレたら、奴は報復のために幕府に絶対チクる!細川家には如水の葬儀がキリシタンであることを知られてはならない・・・!


すぐ墓を移転すれば・・・と思うかもだが、そんなことをすれば逆に目立ってしまう。

1601年から1607年の福岡城築城の間に、黒田家は検知を行って従来から2倍以上の増税している。

耐えかねた農民が田畑を捨てて、福岡から中津の細川家へ逃散しています。

細川忠興は長政への嫌がらせのために、「農民返して」の要求をガン無視してた。

如水の墓の移動なんてして、領民の目に留まる様なことがあれば、、下手すれば忠興のとこにウワサが流れるかも・・・

黒田家が如水の墓を教会から移転したのは1613年から1620年の間だじゃないだろうか。

幕府が天領に対しキリシタン禁教令を出したのが1612年で、翌年の1613年に全国へ発布する。

墓を移動しなきゃアタヽ(´Д`ヽ ミ ノ´Д`)ノフタ と黒田家が判断するのはこの時しかない。

そして1620年に長政は幕府に遠慮して「福岡城の天守閣を破壊した(細川家文書)」とある。

この間に黒田家では如水の死に関するアリバイ工作したのではないか?(土木工事は墓移転のチャンス)

福岡城には「天守閣があった・無かった」の二説あるが、近年になって細川家文書が解読されて、「あった説」が有力視されている。

「大坂の役」の時に長政は江戸留守を命じられている(忠之ちゃんが初陣)。

幕府は完全には黒田家を信用していなかったからこそ、見栄っ張りの長政も天守閣を破壊するというゴマすりをしたのではないか?


黒田家紋

とまぁ、これらの話は「如水の葬儀がキリシタンで・・・」という宣教師の記録が史実だと仮定した場合だ。

だがそう踏まえると、何となく色んなことが符号するような気がするのが、歴史をアレコレ考える醍醐味である。

さて、九州の関ヶ原自体は、島津軍の動きや「鍋島VS立花」の戦いがあるのだが、それは別章でガッツリ語ることにします。

今はいったん、美濃は関ヶ原・・・・ではなく、大垣城へ飛びます(=^・ω・^=)v ブイ

なんで大垣城かって?シオ的戦国ドリームチーム「秋月・高橋・相良」がいるからです 川* ̄д ̄*川ポッ 

欲を言えば「伊東祐兵」も欲しいが、あやつは大坂で死にかけ・・・(._+ )☆\(-.-メ)オイオイ

次回より新章「関ヶ原・大垣城編」それは・またの話 by^-^sio

ブログ用画像~南洲さま
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兜・人物画像~橘朝臣幸麿さま
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家紋画像~ロンさま
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相互リンク~ばんない様HPアドレス(戦国島津女系図)
http://shimadzuwomen.sengoku-jidai.com
参照先(しいまんづ雑記旧録←戦国島津女系図の別館です)
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Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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