【中々篇・如水について】九州関ヶ原11栞47


今シリーズはサイト「黒田武士の館」を参照にしました^-^

あらゆる難問を神のごとき知謀でクリアできたとしても、黒田政権は絶対作れない

理由はカンタン。1600年当時・黒田家には後継者がいないからです


こういうと、息子の長政・御年33歳がいるだろう~って反論されるだろう。

だが、その長政は未だに嫡男に恵まれていないのだ。これには幾つか理由がある。

1)長政の正室(当時)蜂須賀小六の娘は、嫁ぐ時に秀吉の養女となった。

その正室と長政の間には娘が一人いる・・・・てことは正室は全くの不妊体質ではないということだ。
なまじ可能性があるがゆえに、正室の養父である秀吉に遠慮して側室を作らなかった

2)如水&長政親子はキリシタンだった。

秀吉が禁教令を出したために、二人は表向き棄教したが信仰心は完全には捨ててなかったらしい。
その後も側室を作らず子宝に恵まれないまま、1600年になっちゃった~><;アウチ☆

3)「朝鮮の役」で、正室と離れたので子作りできん!

適当に発散してた連中は病気をもらって・・・(._+ )☆\(-.-メ)オイオイ
如水はともかく、長政まで側室がいなかったのは、長期間の外地遠征のせいじゃないかなぁ

黒田長政が、1600年6月6日に蜂須賀小六の娘を離縁して、家康の養女で10代のうら若き乙女の新妻を迎えた。

それは政治的な理由の他に、ぶっちゃけ子作りのためです。

姫君を離縁された蜂須賀家が、黒田家に対しノンクレームだったのも、姫君が嫡男を産むことが出来なかったのもあるだろう。

長政が新妻・栄姫様との間に子供が出来るのは、関ヶ原の2年後で1602年のことだ。
(福岡城が未完成だったので、家老の家で産まれた黒田家の問題児・忠之チャン)

前述したように黒田家は当主二代がキリシタンで、親族にもキリシタンがいたせいで係累が少ない。(キリシタンは一夫一婦制)

黒田政権を作っても、係累の少ない黒田家は御三家に充当する藩屏が(すぐは)作れない

天下に野心ある者が如水か長政のどちらかを暗殺すれば、残るは赤ん坊忠之チャンで黒田政権は忽ち瓦解する



黒田家紋ロゴ

天才肌の如水に比べ、長政には如水と同じ事は出来ない。

出来るのは如水の作った物を継承するだけで、そういう意味では徳川秀忠に似ている。

「1600年に嫡男がいない」という点では、徳川秀忠も同じだが、徳川家と黒田家では中身が違う。

徳川家康がハッスルして「息子の分も引き受けた」と言わんばかりに、庶子だけでなく隠し子伝説までワンサカ∴,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!

関ヶ原で家康と秀忠の二人が戦死しても、家康の子供(スペア)に不足はない。

戦の勝敗に関係なく家康が寿命を全うすれば、関ヶ原以後も側室に男子(初代水戸藩主)を産ませてる( ̄ω ̄A;アセアセ

( ̄ko ̄)<ちなみに家康の打ち止めは1603年産まれの市姫ちゃまです

( ̄ko ̄)<限界じゃなくて、健康のために閨を控えて、趣味の鷹狩りで筋肉ほぐして夜は熟睡ね

さらに如水一代で大きくなった黒田家と違い、徳川家には三河・安祥以来の譜代家臣がいる。

家康&秀忠に万が一があっても、徳川家が即・潰れる心配はない

それは武将たちにとって、約束された恩賞を取りはぐれる心配はないということだ

この徳川家の安心・安定のクオリティだけは、如水の代で大名になった黒田家には作れないものだ


家康が(長政の)右手を取った時に、そちの左手は何をしていたか(超意訳:殺れば良かったのに~

如水の野心を現すとして有名なセリフ・・・これはおそらく後世のフィクションです

なぜなら家康を殺したら、その場で長政は徳川家臣に殺される・・・如水が長政を犠牲にするなど前提としてありえない・・・!

長政は如水のたった一人の男子なのだ(もう一人いたが病弱で早逝

長政(後継者)が死ねば、天下どころか黒田家は無嗣断絶(後継者がいない)で、改易の憂き目にあう


長政の娘に婿養子を迎えるという方法はあるが、それでは男系ではなく女系になる。

武家における理想の嫡流とは、嫡男から嫡男への継承で、女系で繋ぐのは止むを得ない時なんです。

係累が少ないと言っても、如水には姪も甥もいるし、彼らを養子・養女に・・・って、それってデジャ・ヴュ~~~

どこかの太閤殿下と同じじゃね?(_´Д`)アイーン


黒田如水イメージ画像

亡き秀吉の係累が少ないために豊臣政権は迷走した。

晩年産まれた我が子・秀頼のために、いったい何人の人々が振り回されただろう。

あげくの果てに秀次切腹事件だ・・・この時、家康の取り成しで処分を免れた大名は、関ヶ原で東軍に走っている。

そもそも「関ヶ原の戦い」が起きたのも、豊臣秀頼が幼いから家康の付け入るスキがあるんです。

基盤が脆弱で不安定な政権に、諸大名はウンザリして疲れている。

子供が長政一人しかいない如水を、諸大名が天下人として推戴することは、おそらく無いだろう

例え、そのような動きがあったとしても、その時は長政か如水のどちらかを暗殺すればいい

長政では政権を創り上げるほどの器は無いし、55歳の如水だけ残っても、これから子作りするのでは豊臣政権と同じ運命を辿るだけだ


それは如水が一番解ってたはずです。

如水ほどの器量があれば「天下というキャンパスを己の色に染めたい」という欲求はあったはずだ。

だが秀吉のように土台を急ごしらえし無理を積み重ねても長続きしない、何よりも築き上げた黒田家を次世代に継承することが最優先だ。

だから関ヶ原で如水が考えていたのは、地道にレッツGO100万石(=^・ω・^=)v ブイ

長政を家康の手元に置いて手柄を立てさせ、自分は九州を切り取る。

石田三成の誘いを断る方便として如水は「七か国くれたら味方するよ」と返事した。

だが案外、如水は本気だったのかもしれない。

七か国あれば100万石は優に超える。

三成が担いだ神輿の毛利は120万石。家康が潰そうとした上杉は120万石。伊達政宗への誘いの言葉が100万石のお墨付き。(当時の前田家は未だ100万石弱)

100万石あれば、天下に何事か号令をかけることが出来る基盤になる。

如水は無理せず、ホップ・ステップ・ジャンプ~しようとしたのだろう。

その過程として天下が回ってくれば貰えばいいくらいの「ゆとり気分で」^-^

如水の唯一の計算違いは自分の寿命


幽閉の後遺症もあり、決して頑健とは言えなかったが、関ヶ原の僅か4年後の1604年に死ぬとは思ってなかっただろう。

もし如水が黒田政権を創ったとしても、わずか4年で死亡では長政だけで政権を支えるのは難しい。

なぜなら「中津19万石⇒黒田政権」では、閣僚・官僚を生粋の黒田家臣のみで構成することは出来ず、政権中枢は余所者が大多数を占める。

黒田政権は、豊臣政権と似た体質のものしか出来ない・・・つまり同じ宿痾(しゅくあ)に懊悩するということだ。

政権の土台を完成させるには、やはり家康のように長命でなくてはならない。

いや、如水のことだ。もしかしたら「自分の寿命が長くない」と気付いていたかもです。

それならば尚のこと無理せずに次代・長政に繋ぐ安全な道筋を作ることを考える。

頭の良すぎる如水は、口では息子・長政に辛口だが、実は結構な子煩悩だった。

そういう意味でも、如水が己の野心のために、息子を犠牲にすることは絶対にない。

さて、どこまで本音か如水の謎・・・次回ラスト~その死について。それは・またの話 by^-^sio

ブログ用画像~南洲さま
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兜・人物画像~橘朝臣幸麿さま
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家紋画像~ロンさま
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相互リンク~ばんない様HPアドレス(戦国島津女系図)
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参照先(しいまんづ雑記旧録←戦国島津女系図の別館です)
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筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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