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【中篇・如水について】九州関ヶ原10栞46


今シリーズはサイト「黒田武士の館」を参照にしました^-^

黒田政権が無理な理由

如水が天下に号令をかけると想定した場合~兵を動かす大義名分と公的資格が無い


群雄割拠の戦国真っただ中でも、戦には何らかの名分が必要だったが、一度天下が定まれば、なおさら大義名分が必須となる。

東軍・総大将の徳川家康は「上杉征伐」の名目で兵力を集め、

西軍・総大将の毛利輝元は「その家康を討つ」ために兵力を集め、

豊臣家は「両軍に頑張ってね^-^」とエールを送って双方の軍行動を認めた。

家康は五大老筆頭で、毛利輝元も五大老のメンバーで、天下の兵を動かす盟主としての資格は申し分ない。

西軍の実質盟主である石田三成では、石高の多寡以前に「隠居の身」で私人。

彼が兵を起こしても「正義の戦い」にはならず「個人的な私闘」扱い。

「大名間の私闘」を禁じた豊臣政権の掟違反になり、その時点で三成の方が討伐の対象となる。

私人の石田三成には五大老メンバーの誰かを盟主として担ぐ必要があったんです


同じことが如水にも言える。彼は息子・長政に家督を譲った隠居の身です。

「豊臣政権における功労者」ではあるが、閣僚(大老)でも官僚(奉行)でもなく、公的資格は無い。

中津城で留守番の如水が勝手に兵を動かせば「単なる私闘」で懲罰の対象になるだけなんです



黒田如水イメージ画像

その如水が兵を動かす法的根拠は、1600年7月に徳川家康が言った「九州は切り取り次第与えよう」という約束です。

五大老筆頭のGOサインが出たことで、如水は貯め込んだ金を放出し「如水混成軍」を作り出した。

後に(戦の長期化を恐れた+如水の予想以上の快進撃ぶり)に不快感を覚えた家康は、「撤退命令を無視した」ことを取り上げて、如水個人への加増をチャラにしている。

如水の動きに警戒する家康が、それでも軍行動をOKしたのには、理由がある。

家康は元々は東海が本拠地で、さらに関東の太守になってからは東北大名の取次で、西国大名との接触が少ない。

徳川家康は「長年築き上げた西国大名に対する如水の人脈ネットワーク」を利用したかったのはないか?

巷説言われる武断派・武将たちは、ムードメーカーとして加藤清正と福島正則が有名だ。

諸大名に「家康の方が正義」とアピールする駒として、豊臣秀吉子飼いで親戚の清正と正則を味方にしたい。

そのため家康は二人にメチャクチャ気を使い、両家とも政略結婚して繋がりを濃くしている。

家康にとって厄介なのは、清正と正則も「自分たちの価値」を自覚していることだ。
(そのくせ最終的には利用されるのだから、やはり家康とは器が違いすぎる)

黒田如水・長政親子は、その武断派を繋ぐ人間関係の中心にいたんです。

福島正則

黒田長政との友情を表す逸話は「名槍・日本号」「兜の交換」などなど事欠かない。
酒が入れば前後不覚の正則を、宥め透かして関ヶ原まで引っ張ったのは長政の功績。
加藤清正

如水をリスペクト~如水が城井家抹殺した時にも、消極的ながら片棒担いでいる。
西軍か東軍か迷った清正は「最終的な判断」を如水に委ね、家康に味方することを決めた。
細川忠興

如水と忠興の父・幽斎が親友。
忠興は自身の飛び地である豊後・杵築城の留守居役たちに「九州で何かあったら如水を頼れ」と命令していた。
佐賀の鍋島直茂

小早川隆景を通じて親しくなった。如水混成軍と連携をとって軍行動をする。
日向の伊東祐兵~如水を頼って西軍から東軍に寝返る。
小早川家

亡き隆景と如水が親しく、秀吉の甥・秀秋を小早川家の養子にと斡旋したのは如水だと言われている。
秀吉は若い秀秋を心配して家老を付けたが、その家老の一人・平岡が如水の姪を妻にしている。
同じく家老の稲葉も個人的に井伊直政に接触していたが、小早川家が裏切る時は平岡の縁戚である黒田家を取次に選択した。
関ヶ原本戦では「裏切りの監視役」として、黒田家から軍目付が派遣されている。
阿波・蜂須賀家

息子・長政の正室が小六の娘で縁戚、豊臣政権の創業を支えた功労者同士。
1600年6月に長政が小六の娘を離縁して、家康の養女・栄姫(保科家)を正室として再婚する。
これにより江戸期は両家不仲説が出るが、実はそんなことなくって関ヶ原後も家臣(八木家)を譲ってもらったりして普通に交流してる。
蜂須賀家でも関ヶ原の前に嫡男が家康の養女(小笠原家)を正室に迎えている。
両家は「豊臣政権における縁戚関係」から「徳川家を軸とした縁戚関係」に、スライドして外交ルートは健在だった。
毛利輝元

秀吉の中国攻めの時から関わりあるが、広島城築城の時に秀吉の肝いりで黒田如水が指南役・アドバイザーとして参加している。
実は毛利輝元は朝鮮の役の出費が大変で、黒田如水から借金してた∴,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!

吉川元春

秀吉も嫌いだが、安国寺恵瓊も嫌って如水の方と接近~息子の広家に「戦の作戦指揮は如水を頼れ」と言ってた。

吉川広家

家督を継いでから国内統治のノウハウを伝授したのは如水~ちなみに結婚した時の仲人も如水。
元春が死んだ後の広家は、偉大な叔父・隆景を別格として、個人的には如水を父のように慕い義兄弟の盟約を交わす。(衆道的な意味ではない)
西軍を裏切る時に接触する相手は、迷うことなく黒田家オンリー。

これだけの人脈があれば、西国大名に対する人脈が弱い家康を十分にリカバーできる。

もっとも、せっかく作った如水の人脈を、孫(忠之)子(長政)の代で、ケンカしまくって台無しにしますけど∴,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ! ナニヤッテンダカ・・・


黒田家紋

家康は如水のフリー行動を許可しないわけには行かなかった。

だが「切り取り次第」は九州のみ、西上して良いなんて一言も云ってない。

如水が上方に駒を進めようと思えば、石田三成のように大老を抱きこまなきゃならない。

家康以外の大老だと・・・

上杉景勝~(無実だけど)罪を得て討伐軍を迎え撃つ立場だし、如水とは深い交流が元々無い。

前田利長~父・利家亡きあとは大老職を継いだことになってるが、本人にやる気無しで完全に家康サイド

となると残るのは、三成と同じで毛利か宇喜多を抱き込むしかない。

その辺の駆け引きなら、如水は得意中の得意(=^・ω・^=)v ブイ

小早川隆景を初めとする「切れ者の叔父様(元就ジーちゃんの庶子)たち」も既に亡くなってるから、往年の「中国攻め」の頃よりやり易いですな ( ゚Д゚)y─┛~~

毛利家内部の派閥争いは、西軍を裏切るほど深刻で、恵瓊に従うくらなら如水の方がマシって家老達がいる。

もっとも大老を神輿にしなくても、ぶっちゃけ大義名分なんざ、実はどうにもでなル・・・(._+ )☆\(-.-メ)オイオイ

関ヶ原が長期化さえすれば「カオスになる上方の治安維持・秀頼君外護」という立派な言い訳・・・もとい名分が成り立つからだ


さて前提も理由もクリア出来たとしよう

だが、それでも如水が天下人になれない・・・絶対クリアできない決定的な要因がある


如水ファンの夢も希望も全力で否定~それは・またの話 by^-^sio

ブログ用画像~南洲さま
http://blogs.yahoo.co.jp/yuewannwann
兜・人物画像~橘朝臣幸麿さま
http://blogs.yahoo.co.jp/cfmjs676
家紋画像~ロンさま
http://blogs.yahoo.co.jp/kabiningen
相互リンク~ばんない様HPアドレス(戦国島津女系図)
http://shimadzuwomen.sengoku-jidai.com
参照先(しいまんづ雑記旧録←戦国島津女系図の別館です)
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筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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