【宇土城降伏】九州関ヶ原8栞44


さて、しばらく登場のなかった加藤清正だが、彼は島津本軍が薩摩に残っている為、その警戒として肥後本国に留まっていた。

同じ東軍の如水とは連携をとっており、如水が豊後へ進軍すると清正も出陣した。

当初は如水のアシストしようと、清正も兵3000を派兵した。

だが1600年9月15日に、如水が大友軍を倒したので(石垣原の戦い)予定変更。

隣国で、西軍で、大っ嫌いな小西行長の本城・宇土城を攻撃することにした。


加藤清正イメージ画像

小西行長は関が原本戦のために本国を離れていて、宇土城には留守番だけ。

とはいえ加藤清正が攻撃してくるかも・・・ってことで精鋭の一部を宇土城に残しての出撃でした。

宇土城の城代は小西行景(こにし ゆきかげ)小西家・三家老の一人にして、小西行長の弟


留守番だけだから楽勝と思いきや、清正は意外に手こずった( ̄ω ̄A;アセアセ

宇土城は現在では埋め立てられて平地になってるけど、当時は湿地帯だったらしく、足場が悪くて攻撃しづらい城だったようだ。

さらに清正対策のために留守番となっただけあって、小西・弟は名将だった。

「正面がダメなら海からだ!」と清正自慢の水軍で攻撃。

小西・弟は同じく水軍を出して、海戦で清正の水軍に勝利する。

小西家の水軍は、もともとは天草国人一揆で改易になった国人衆を吸収したものです。

だから肥後近海は庭みないなもので、さらに「朝鮮の役」の遠征でスキルアップ(=^・ω・^=)v ブイ

小西行長が朝鮮上陸一番乗りに大いに貢献してます。

清正も水軍充実に努力してたと思いますが、やはり小西水軍のほうが練度・経験に「一日の長」があったのでしょう。

宇土城の防御戦でも、小西・弟は敵味方の双方から絶賛を受けるほどの、鮮やかな采配を振るった。

結局、加藤清正は宇土城を武力で落とす事が出来なかったんです


宇土城が降伏したのは、関ヶ原本戦での西軍敗北、そして主君が処刑されたことを知ったからです。

城代の小西行景は「これ以上の抵抗は無意味」として降伏。

彼は城兵の助命を条件に切腹しました。

宇土城の落城は「10月8日」「20日」「23日」と諸説ありました。

ですが2004年になって清正が家臣にあてた文書が発見、解読。

宇土城落城が「10月13日」で、ほぼ確定となったそうです。

宇土城は関が原以降に加藤清正が接収~将来の隠居城として改築~その後、幕府の命令で破却されてます。

そのために「小西時代の宇土城」の構造はハッキリ判りません。

熊本城の宇土櫓も「宇土城からの移築説」は近年は否定されてます。

清正は小西の家臣を多数、再雇用してるけど、なにせ小西家はキリシタン大名として有名で、家中にキリシタンが多数いた^^;;

清正のキリシタン嫌いに閉口し、加藤家を離れた人もいたようです。

さて、これで「九州の関ヶ原」の大勢は決定しました。

後に残るのは西軍残党の掃討戦です。そのクライマックスである「江上表・八院合戦」は書庫を別に改めて語りたいと思います。

ここからは番外編?「如水は果たして天下を狙ってたか」を、シオなりに推理したいと思います^^b


長政と如水が連携してた・・・とシオが推測するのは如水自身の動きもあります。

親子が連携してたのを匂わせる使者の往来があったんですが、その出典が探せない~~毎度の如くド忘れトホホ)

とにかく中津の留守番だった如水が本国をカラにするには、中津のセキュリティが安全であることが前提になるからです。

隣の筑前・小早川秀秋は、公式には西軍所属でした。

にも関わらず如水が中津をカラにして出陣している。

ということは、小早川が西軍を裏切り長政に接触した時に(実際の交渉は家老二人)、それぞれの本国同士も相互不可侵の約定を交わしてるんじゃないかなぁ~

と、想像してるんです。

つまり、如水は関ヶ原前後の長政の行動を把握していた(てか、そもそも如水の指示で長政が動いていた・・・の方が自然かも)

西軍がIF勝っていたら~


三成は頭数をそろえるために、戦後の報酬の約束を大盤振る舞いしてるので、論功行賞で必ず揉めるでしょう。

総大将が外交オンチ毛利輝元・副大将が自家の御家騒動を治められなかった宇喜多秀家・実質盟主が人望のない石田三成ではまとめきれない。

また、後顧の憂いを断つために、三成は必ず徳川250万石の完全解体を要求すると思います。

東軍が負けた場合に、徳川家を無傷で残すはずがない。

「関ヶ原」の後には「関東討伐」が始る・・・・としても、西軍の足並みが揃うか・・・となると、かなり怪しい。

TOPが徳川家康一人の東軍と違い、西軍は船頭が多過ぎる。
(家康の徳川家臣団は、内部に多少の軋轢らしきものがあっても、家康がニラミを利かせてる限りは崩れない)

如水が天下に野心を持ち、九州で集めた兵力で何事かを為そうと思えば、突っ込みどころ満載の西軍を勝利に導く方が、面白い工作が思うままできるはずです。

だが史実の如水は、徹頭徹尾(表向きは)東軍として行動していて、一度もブレたことは無かった。

果たして如水の目的は何だったのか・・・それは・またの話 by^-^sio

ブログ用画像~南洲さま
http://blogs.yahoo.co.jp/yuewannwann
兜・人物画像~橘朝臣幸麿さま
http://blogs.yahoo.co.jp/cfmjs676
家紋画像~ロンさま
http://blogs.yahoo.co.jp/kabiningen
相互リンク~ばんない様HPアドレス(戦国島津女系図)
http://shimadzuwomen.sengoku-jidai.com
参照先(しいまんづ雑記旧録←戦国島津女系図の別館です)
スポンサーサイト

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
月別アーカイブ
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
学問・文化・芸術
649位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
歴史
104位
アクセスランキングを見る>>
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR