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北肥戦誌【1537・1538年】

天文6年(1537年)特になし

天文7年(1538年)
2月中旬、家兼は入道し、以後は「剛忠」と名乗る。
3月3日、家純の子息にして中納言(隆信)の師である高僧・宝琳院豪覚が遷化し圓蔵院に葬られた。
(3代目住職には源覚が就任。詳細不明ながら、法琳院には龍造寺一族が住職に充てられる為、おそらく同族)




書庫説明にも記載してますが、この北肥戦誌書庫は「北肥戦誌」の全文ではありません。

少弐、竜造寺、鍋島関連のみを抽出したものです。

だから本文にはあっても、こちらには記載してないものもあります(てか鎌倉時代は全スルー)

それと【ココから重要】「北肥戦誌」は江戸期に書かれたものです。

肥前の貴重な郷土資料ですが、いかんせん成立年月日が江戸期。

北肥戦誌は、よ~~~~~~く見ると、ちょこちょこ間違ってます


本腰入れて肥前戦国史を扱う方は、ここを鵜呑みにせず、自分でもリサーチすることをお薦めします。

今日は少ないんで呟いてます(*´pq`)クスッ

家兼じーちゃん、家兼のほうが有名だけど、歳が歳なんでとっくに入道(髪型スキンヘッド)し「剛忠」って名前を変えてるの。

だから史料では「剛忠」って出てきます^^b

シオの方でもなるべく(注釈)入れますね~あと、1536年に少弐の最期の逸話を加筆しました。

お時間あれば、そちらもどうぞ^^/

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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