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【前篇・佐賀関の戦い】石垣原の戦い/九州関ヶ原5栞41

関ヶ原本戦が、わずか一日で決着したせいで、日本全国の方が困った。

特に困るのが西軍・東軍のドッチにも「いい顔(家臣や息子を派遣)」して、そのくせ自分は中立だった人たちだ。

一刻も早く旗幟鮮明にしなければ、「西軍認定」で東軍から袋叩きにあう(゚ロ゚屮)屮

「九州関ヶ原/石垣原の戦い」の余波・・・「佐賀関の戦い」は、そうして起きた。

東軍で登場するのが中川秀成(なかがわ ひでしげ)、中川清秀の次男です。

兄が「朝鮮の役」で戦死したので家督を継いだ。

が、兄の戦死は華々しいものではなく、朝鮮側に待ち伏せされて不意打ちで死ぬという【士道不覚悟=カッコ悪い】死に方だった。

そのため中川家は危うく改易になるところを、故中川清秀の功績を鑑み、と次男の秀成に領地半分の相続が認められた。

しかも、そのあとで中川家は豊後岡城に飛ばされる。

・・・・・どうも、このあたり意図的な気がしないでもない。

秀吉は、これ幸いと旧織田系家臣を中央から遠ざけたかもです。

意図的といえば、秀吉の選んだ秀成の妻は、ななななんと佐久間盛政の次女・虎姫。

佐久間盛政は柴田勝家の甥で「賤ヶ岳の戦い」で、秀成の父・清秀を討った男です。

親の仇の娘を妻にする・・・島津(親の仇)を助けた立花宗茂よりハードル高いっす( ̄ω ̄A;アセアセ

秀成は「戦に勝敗はつきもの、親は親・娘は娘」と虎姫を受け入れ、夫婦仲は睦まじかった。

だが、姑(虎姫の父に夫を殺された未亡人)は虎姫に心を開くことが出来ず、家臣団も亡き主の仇の娘に反発が強かった。

嫁姑和解説もあるが、とにかく中川家臣団にも遠慮した虎姫は、生涯領地に行くことは無く、姑とも同居しなかったそうだ。

太閤殿下・・・仇同士を娶せるなんて悪趣味~実は故中川清秀への嫌がらせですか?www

ちなみに佐久間家は虎姫の遺言(生前から強く願ってた)で、息子の一人が継いで御家再興を果たす。

佐久間家の菩提寺も建立されて、中川家客分の家として存続し、子孫は現在も大分県にお住まいです^-^




さて、肝心の関ヶ原ですが中川秀成は豊後在国で様子見~保険として西軍に家臣を派遣してた。

どこでもやってることなんで、とやかく言われる筋合いじゃない。

が、家臣の派兵先がチト不味いとこでした^^

中川が家臣を派兵したのは、細川幽斎が籠城する田辺城攻撃陣だったんです~


不味いというのは、戦後処理で一悶着したから^^;

この時期の細川忠興は、愛妻ガラシャを失って、いつも以上に普通じゃなく、各方面(身内含む)に八当たりしてました。

細川忠興は父には「開城だなんて、みっともない!ざけんな!城を枕に討死しろよ!」と怒ってた。

かと思えば「オヤジを攻撃した諸将は全コロス!」と息巻き、周囲が忠興を宥めるのにメチャクチャ苦労したらしい。

結局、忠興は取次だった井伊直政の面目をブッ潰し、田辺城攻撃の総大将を自害に追い詰めてます。(他の諸将は幽斎の和歌の弟子だったりと、人脈フル活用で何とか助かった)

「ガラシャの死」は東軍諸将に戦への覚悟を決めさせたものなので、徳川家康も細川忠興の暴走が止められなかったようです^^;

中川が関ヶ原本戦の結果を知って慌てて「ワシは東軍です!」って取り繕うとしたんだけど、忠興が騒ぐから徳川家康の機嫌が中々直らなかった( ̄ω ̄A;アセアセ

さらに中川にとって不幸が重なった。

中川家の客将に田原紹忍(たばら じょうにん)という人物がいました。

元大友家家臣・・・というだけでなく大友家の分家・武蔵田原家の当主です。

大友家が豊臣秀吉に改易されると、田原紹忍は中川家に身を寄せたんです。

岡城自体が、そもそも大友家家臣志賀家の城でして、新たに任地に赴く中川秀成としては旧大友家臣の持つ情報が欲しかったのでしょう。

その田原紹忍・・・能力的にはアレなんですが、旧主・大友氏への忠義はあった。

大友義統が西軍として挙兵すると、田原紹忍も中川家を飛び出し馳せ参じた。

ここまでは「いい話」・・・・ここから中川家にとって「悪い話」になる。

田原紹忍は、中川家を出る時に、世話になった中川家の旗印を盗んだんです

中川家「ギャァァ!旗ドロボーー!

母里(黒田家老)松井(細川家老)有吉(同家臣)「やや、あれなるは中川家の旗・・・中川も西軍に加担したか~大殿(如水)へ報告だ~

大友義統「さすが叔父上(田原紹忍)グッジョブ♪~


ったく、田原紹忍ってセコイとこに智慧が回るというか、ろくなことしない男ですな( ゚Д゚)y─┛~~
武家が旗を盗まれただなんて ネー(*´・д・)(・д・`*)ネー 言い訳にしても酷すぎる。

てことで、黒田如水も中川家が西軍だと思い、加藤清正に中川攻撃を命じる。

中川「ひーーーアタヽ(´Д`ヽ ミ ノ´Д`)ノフタ~~~~」

彼は加藤清正に人質を差出し、必死に言い訳・・・もとい弁明。

清正も完全に信じたわけじゃないが「先に(大嫌いな小西行長の)宇土城を攻略する」と、ひとまず中川攻撃を保留にした。

如水は違う城を攻撃中~清正は宇土城に張り付いてる・・・中川は今のうちに身の潔白?を証明する必要に迫られた。

てことで、中川は中立を決め込んでた太田一吉の臼杵城を攻撃したのだが、それは・またの話 by^-^sio

ブログ用画像~南洲さま
http://blogs.yahoo.co.jp/yuewannwann
兜・人物画像~橘朝臣幸麿さま
http://blogs.yahoo.co.jp/cfmjs676
家紋画像~ロンさま
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相互リンク~ばんない様HPアドレス(戦国島津女系図)
http://shimadzuwomen.sengoku-jidai.com
参照先(しいまんづ雑記旧録←戦国島津女系図の別館です)
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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