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肥前千葉氏_8【揉める門には不幸がある?!】


苦節23年・・・千葉胤朝は34歳の男盛りで肥前千葉の家督をゲットした





11代目千葉胤朝は10代目教胤(暴風雨による船水没で溺死・享年19歳)の従兄にあたる。

胤朝の父と兄は家督を巡る争いで7代目胤鎮(10代目教胤パパン)に殺されていた。

わずか23年前の出来事なので、当時の胤鎮家臣は存命だったはずだが、胤朝は報復人事は行ってはいなかったようだ。

短い期間に当主が若くしてパタパタ急死し、肝心の肥前千葉家が衰退しかけたので、建てなおす方が急務だったからかもです。

胤朝の器量への評価はシオ的には微妙です( ̄ω ̄A;アセアセ

新生・肥前千葉氏を支える執権は岩部常楽と中村胤明・・・この二人が不仲だった( ̄ω ̄A;アセアセ

というか、中村胤明が岩部の器量に嫉妬したんでつ ( ̄ko ̄)

1469年(文明元年)7月・・岩部が佐賀府中に赴き留守の間の事です。

中村は主君・胤朝へ岩部のアル事ナイ事讒言した。

主君・胤朝が不明だったのは、この讒言を頭から信じ岩部を殺そうとした事です。。ぇえ!(゚ロ゚屮)屮


中村は__φ(.. )カキカキと神文を認め申し開きしたのだが、胤朝は信じようとしなかった(;;)

困った&憤慨した岩部は、大宰府の少弐政資に己の無実を訴えた。

少弐政資が千葉胤朝を宥めて一時的に和解したのだが、そのせいで岩部は主君・胤朝の新たな怒りを買う。

もともと千葉胤朝は、父・胤紹の頃から大内家のバックアップを受けていたんです。

それなのに少弐へ内輪の揉め事を持ち込んだ岩部を憎んだ。

岩部は岩部で、胤朝への意趣返しに少弐へ仲裁を求めたのでしょう^^;

まぁ大内に話を持ち込んでも、他家を巻き込んだ時点で恨まれたでしょうな( ゚Д゚)y─┛~~

                  
肥前千葉家紋イメージ

同年9月9日、胤朝は岩部を成敗するために家臣・仁戸田を大将に、岩部のいる府中へと派兵した。

ところが、この年に岩部に年貢を免除された百姓・山伏ら1万人が恩返しとばかりに岩部へ合力。

なにせ1万ですよ~あまりの加勢の多さに仁戸田はビックリ!一戦もしないで国府へ逃げ帰った。

岩部は、千葉胤朝が少弐の取り成しを無碍にしたことを(少弐へ)訴えた。

一方、ライバルを蹴落としたい中村は小智慧を回し、岩部に合力した百姓らを懐柔。

結果として岩部は追放されてしまった。・゜・(PД`q。)・゜・ヒドイヒドイワ

このまま不忠の烙印押されて黙ってはいられない。

1470年10月19日に岩部常楽が少弐政資の加勢を受けてリベンジ挙兵

岩部は妙法院で出家していた胤朝弟を還俗させ、胤将と名乗らせ担ぎ出した

家系図を見て頂けますか?
亡き8代目胤紹は地味に子沢山でして。。。胤将は彼の4男なんです( ̄ω ̄A;アセアセ

11月14日~岩部を讒言した中村胤明が討死

千葉胤将勢が国府へ侵入し城下を焼き払った。

11月28日~少弐政資が千葉胤将&岩部に更に千騎を加勢し、牛頭城を攻撃させる

約20日後12月?日~足利義政より和睦の使僧が派遣されたため、双方が引く事となった


少弐は一度没落したのを(対馬宗氏の尽力で)足利義政に御家再興を認めて貰った義理があるんで、無視できない。

胤将+岩部は少弐の加勢が無きゃ、千葉胤朝の兵力には及ばないしね^^b

これで収まるはずがハプニングが起きた

土一揆が発生したんです!!( ゚д゚)ンマッ!!


                   


ネットもテレビも新聞もラヂオも無い時代。

さらに、この時代は下々の庶民に、上層部の動きなんて一々説明なんてしません。

家や田畑を胤将&岩部らに焼き払われた郷民は、とうぜん彼らを恨んでいました。

和議となったので胤将+岩部+加勢の少弐勢は、撤収のために不要になった陣屋に火をかけ府中を引き払って行く。

ところが経過を知らされていない郷民は「敵が国主様(肥前千葉当主のこと)に敗れて撤退するんだ」と勘違い。

家・田畑を踏み荒らされた恨みを晴らすべく「行くどぉ!!!(# ゚Д゚)・;'.落ち武者狩りだぁぁ」
と手に手に獲物を持って一斉攻撃(((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル

不意をつかれた岩部ら400余人が討死 ガ━━━(゚ロ゚;)━━ン!!

彼らが遺体から身ぐるみ剥がされたのは言うまでもない。。。(((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル

時に文明2年12月23日~民衆のリベンジは後に「土一揆合戦」と呼ばれた


ビビった少弐勢は即効で大宰府へ引き上げ、亡き岩部が擁立した千葉胤将は金立へと逃亡した。



戦い終わって日も年も暮れた。

大騒ぎを起こした当の本人(中村と岩部)は、それぞれ討死してしまい、これで騒動は終わったかのように見えました。

が、一生を僧侶で終わるはずだった胤将には「自分だって家督を継ぐチャンスがあったぉ」という暗く哀しく遣りきれない思いが燻った。。ショボーン..._φ(・ω・` )

さらに少弐にも影響を及ぼす。

長年、少弐をバックアップし支え続けた対馬宗氏が、肥前千葉の争いに首を突っ込む少弐と距離をとりはじめたのだ


宗氏は肥前千葉への不介入を主張していました。何故なら、11代目胤朝のバックには大内家がいるからです。

肥前千葉に深入りすれば、肥前千葉だけで収まらないのは目に見えてます。

が、少弐政資にすれば、頼られたら政治的に無視は出来ません。

うまく諍いを仲裁して少弐が北九州の盟主であることをアピールしなければ、国人たちが大内に靡いてしまうからです。

肥前千葉の家督争いが大内と少弐を巻き込み、少弐衰退への序章となるのだが、それは・またの話 by^-^sio

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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