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【兵士急募!素人可、火縄銃貸与あり】石垣原の戦い/九州関ヶ原1栞37

黒田家には謎が多い。

近年の研究では、如水が「嫡男でない疑惑」が浮上しているらしい。

つまり兄を差し置いて黒田家の家督を継いだようなのである。

そして如水には、黒田家が存在を公にしたがらない、早死にした次男もいる。

今回からは数奇に満ちた如水の人生で、最大の謎である関が原の時の行動を、時系列の史実と逸話を元にシオ風に検証したいと思います。

素人なんで お手柔らかに(*´pq`)クスッ

関が原の時、黒田家の領地・九州は中津の城には、長政の父・如水が留守番してた。

如水は自分の手許に4人の家老を残してました(母里・栗山・黒田(親族)・井上)

母里は、大坂の屋敷から如水と長政の妻たちを脱出させて中津に戻ったので、まだ解る。

だが栗山まで一緒に大坂から中津に戻っている。

母里と栗山は他家にも名が通っている黒田家老というだけでなく、如水の両手のような存在でして、如水の思考法や戦ぶりを最も心得ている側近なんです。

でもって4人とも黒田家最強メンバー「黒田二十四騎」から更に選抜された「黒田八虎」のメンバーでガチ武闘派。

本戦に投入せず留守番にしちゃうのは、あまりにも勿体ないメンツで、これは如水がヤル気満々だった証拠だろう。


黒田如水イメージ画像

1600年7月17日に三成が挙兵したことを知ると、如水は直ちに貯めこんでた金蔵を開き、金で兵士を募集した。

だが領内にいるのは、既に息子・長政が目いっぱい動員をかけて関が原に連れて行った後の、いわば残り粕。

初期応募で集まったのは、商人とか職人などの3500名ほどでした。

如水が動員をかけているのは、西軍・東軍に所属している各大名から、それぞれ三成・家康の元へ報告が届く。

大人しく留守番してると思ってた天才軍師の行動に、三成・家康の双方が困惑した^^;;

よく往年の小説などでは、如水の動きを長政が知らなかったような風に書かれているが、それは絶対ないと思う。

てか、そもそも長政が家康に近付いたのは、如水の指示だと推測してました。

黒田家は播州(近畿圏)出身で、中国~九州がフィ-ルドワーク。

領地も九州なので東海~関東の家康とは、直の接点がなくて親しくもない。

長政単独で表高12万石(実収18万石)の黒田家では、250万石の五大老筆頭・徳川家康の懐深く入るのは難しいだろう。

長政は武断派の中で、特に尾張(家康・本貫の血である三河の隣国)出身の大名たちを一つにまとめることで、家康に近付くことに成功したんです(西国の武断派には元々人脈がある)

よく「武断派リーダーは加藤清正」と言われているが、それはムードメーカーというだけ。

実際に彼らを結束させていたのは長政です。

長政は前哨戦から本戦にいたるまで、誰もが持て余す福島正則を東軍に引き寄せる役目をしていました。

そして父・如水は、加藤清正を東軍に引き寄せる役目をしていたんです。

九州・肥後の加藤清正は、本国に本軍を留める島津対策のために、自身も肥後に留まっていました。

ですが実はギリギリまで「家康につくか」「三成につくか」迷ってたんです。

三成は嫌い~~~だけど家康が天下に野心があるかも~~と、やはり不安に思うのは当然でしょう。

迷う清正を東軍につくように、と説得したのは如水でした。




とにかく挙兵した三成は、各地の大名たちに「西軍につくように」と手紙を出し、それは如水の元にも届いた。

三成曰く「如水に西軍になって欲しい。でもって、父である貴方から息子・長政を西軍の味方になるように説得して欲しい」と、ありました。

つまりホントに欲しいのは息子・長政が連れている精鋭・黒田軍で、如水自身じゃないよ~~

という実に三成らしい書面だった( ̄ω ̄A;アセアセ

ふと想ったが、三成は長政の離婚→再婚の情報を入手できていたんだろうか???


奉行時代に家康を糾弾したときですら、加藤清正の再婚情報が抜けていた(戦国も再婚は地味なのか?)

奉行でなければ情報は更に入手しづらいだろう。

それに黒田家も徳川家も上杉征伐の準備で忙しい~~アタヽ(´Д`ヽ ミ ノ´Д`)ノフタ

結婚式に友人・知人を招待するなんて時間的余裕ないだろうから、黒田・徳川両家の地味婚だったと思う。

もっとも挙兵後の「ガラシャの悲劇」にビックリで人質作戦中止した三成には、その手の情報は重要では無いかもです。
(てか知ってたら、ハナから如水に声かけてないかも)

如水は三成に「7カ国くれるんなら味方してもいいよ♪」って返事して時間を稼いだ。

ふっかけられたと怒ったのか?その後の三成は如水に接触していない。

とにかく急募した混成軍~軍とつけば聞こえは良いが、商人と職人・・・早い話ド素人。

イザって時は自衛のために武装する農民(地侍含む)の方が、遥かにマシ。

まぁ、ド素人でも戦国時代の人間なんで、さすがに黒田家紋や旗印は解ってる・・・はず(多分)

だが学校で団体行動の訓練を受けている現代人とは訳が違う。

一ヶ所に集合させるだけで大変だ(武家は命令で動く事を日常で訓練されている)

常日頃、鍛え上げた精鋭を率いてる母里ら八虎の方々がですよ。

(O ̄∀ ̄)尸「この旗を見たら集合」だよ~~という幼稚園レベルからスタートするんです(涙目

母里にとっては悪夢で、周囲から見ればコメディですな ( ゚Д゚)y─┛~~



光雲(てるも)神社の母里の銅像
(ふぅペディアより~拝殿と狛犬は福岡市内を守護し、母里は黒田の殿様を守護するために拝殿の方角に向いてます。

集めた者たちを数十人単位の組=グループに分けて、組頭には留守番家臣を置いてっと、にわか作りの軍編成「勝手に組を離れるな~組頭に逆らったら教育的指導だ バキッ!!( -_-)=○()゚O゚)アウッ!」

火縄銃の扱いができる者は鉄砲隊に回して火縄銃を貸与~~「銃は買い取りOK~そうでない奴は後日返却~ここの紙にサイン・・・あぁ字が書けない?んじゃ拇印しろ~」アタヽ(´Д`ヽ ミ ノ´Д`)ノフタ

えっと陣太鼓の合図を教えて「進軍・停止・攻撃・退却」これがキチンと出来るように仕込む・・・「って退却は黒田の旗印のとこに集合だ!村に帰ってOKってことじゃねぇ!!ゴルァ!!!(# ゚Д゚)・;'.」

理想を言えば「軍の展開」の動きが出来ればベストですな( ゚Д゚)y─┛~~

そんなこんなで慌ただしく一か月経過。

1600年9月!遂に九州でも西軍が動き始めた!

日本で最後のチキン(秀吉命名)と呼ばれた男!大友義統(おおとも よしむね)が豊後(大分県)で挙兵する!~


如水も出撃を決意する。

ところが家老の母里が大反対!!

天下を狙うどころかスタートからつまづいた?!Σ(´Д`;) うあ゙

どうなる如水混成軍?!それは・またの話 by^-^sio

ブログ用画像~南洲さま
http://blogs.yahoo.co.jp/yuewannwann
兜・人物画像~橘朝臣幸麿さま
http://blogs.yahoo.co.jp/cfmjs676
家紋画像~ロンさま
http://blogs.yahoo.co.jp/kabiningen
相互リンク~ばんない様HPアドレス(戦国島津女系図)
http://shimadzuwomen.sengoku-jidai.com
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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