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北肥戦誌【1533年】

★天文2年(1533年)1月、道麒は味方を催し、星野の後詰を差し置いた上で、大友・少弐と戦うべく筑前から筑後へ打ち入る。
三原を過ぎて諸所を撹乱し、豊後に帰った大友の城を攻めた。

まず久留米城・安武城が落城、城主・豊饒永源は肥前国・東津村へ引き退き、安武鑑教は何方ともなく逐電する。
道麒は更に西方・筑前国内へ入り、少弐に味方する筑紫正門の武蔵城を攻め落とし、肥前国に入ると宗秀恒の鏡山城をも落とした。
此れを見た勝尾城主・筑紫惟門は開城して軍門に降った。
原田五郎などは、中国の仁保加賀守と勢を合わせ、怡土・志摩両郡の者共、上松浦の者らを打ち従えて道麒に同心、佐嘉・神埼に討ち入り、少弐一家を退治せんとする。

このとき資元・冬尚親子は多久の梶峯城にあったが、そこへ馬場氏・横岳氏・姉川氏・龍造寺氏らが同心して、資元親子を城原へと迎えると勢福寺城へ入れた。
江上石見守元種をこの守護とし、中野・西島・千葉・蓮池・崎村・直鳥らの城へ銘々立て籠もって、大内勢を待ち構える。

道麒は敵に打ち勝ちつつ進軍し、神埼郡三津村籾岳に陣を布き、少弐勢と戦った。
馬場・横岳・宗・出雲・小田・犬塚は各々支えたものの、大内方は多勢であり敵いそうもなかった。
12月に入り、道麒は綾部城と朝日山城を攻め落とした。
このとき、探題・渋川尹繁の長男・義長が、大内勢に加わり討ち死にしている
この年10月8日の暁、萬星半天に流動し、悉く海陸に落ちる

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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