【G(後)T(藤)S(出奔)!】福岡藩初代藩主11栞36

後藤又兵衛が黒田家を出奔したのは、引越しで揉めて以来、仮想敵となった細川忠興が手引きしたらしい。

忠興は高禄で後藤を雇うことを快諾し、待遇などは「委細面談」という状態だった。

「我が主・長政は執念深いので追手がかかるかもしれず、国境を無事に越えられるか判りません」

と後藤が言うと、忠興は「長政ならそうであろう。案ずるなワシに任せろ」と頼もしい返事。

後藤が一族・家臣を連れて国境近くまで来ると、そこにはガチ合戦準備万端の細川家臣と百名の鉄砲隊が華麗に後藤を出迎えに来ていたそうだ。

後藤が出奔(しゅっぽん=主君から勝手に離れる事)した時、黒田家から16000石という大名級の待遇を受けていた。

家老の母里が18000石なので、黒田家においても家老クラスの厚遇だったことが判る。

その上、筑前六端城(ちくぜんろくはじろ)の一つ、大隈(おおくま)城の城主だった。

筑前六端城は、VS細川忠興用に豊前と筑前の国境沿いに造られた城でした。

それだけでなく、益富(ますとみ)城と呼ばれていた小城を、大隈城に大改造したのは後藤本人なんです!

その軍事情報&黒田家の内部情報を全て抱え、とうの仮想敵である細川忠興の下へ走ったのだ。

主君・長政と大恩ある黒田家に対して、これ以上の不義!不忠!嫌がらせは無いでしょう。

奉公構(ほうこうかまえ=家臣の再就職を妨害し社会的に抹殺すること)の処分は当然の処置です。

http://www16.ocn.ne.jp/~sironoki/100fukuoka-no-shiro/117kurosaki/chikuzen-6hajiro003.jpg(画像はサイトより拝借)
筑前六端城⇒黄色△印~上から若松城、黒崎城、鷹取城、大隈城(益富城)、小石原城、左右良城

城主つまり指揮官不在の城は、もはや空き城も同然!

後藤は直接雇用している自分の家臣も連れて出たので、大隈城の主だった家臣(仕官クラス)も消えた!

その上、国境沿いには完全武装の細川鉄砲隊100名が来るド派手なパフォーマンス!

(これは長政への嫌がらせに細川忠興が考えたアイデア^^;;)

大隈城下と近在の村は「今にも戦が始まる」とパニックになった。

後藤が抜けた大隈城の守りを固めるため、ただちに家老の母里自らが入った。

実は母里は六端城の一つ鷹取(たかとり)城の城主だったのだが、それを他の者に預けて大隈城に入ったんです。

後藤の引き起こしたパニックが、いかに大きかったが想像できる。


黒田節で紹介した名槍「日本号」・・・これは母里から後藤に譲られていた。

「朝鮮の役」でピンチになった母里を助けてくれた後藤への礼と友情の証だった。

だが後藤は黒田家を出る時に、この「日本号」を黒田家に返還している。

家老として、報告を受けた母里は全てを覚っただろう。

後藤が飛び出したのは一時の感情ではなく、黒田には戻るつもりはない。

二度と戻らないために、これほどの騒ぎを起こしたのだと・・・

万が一、細川家と戦になった時に、先鋒となって攻めてくるのは後藤又兵衛だろう。

その猛攻に勝てなかったとしても、何とか防衛ラインを死守し退かずに踏ん張れる男は、家中人材多しとはいえど家老の母里だけだからだ。(黒田美作でもいけるが別の六端城城主なんで抜けられん)

互いに思う存分戦うために、友情の証である日本号を持ち続けるのは心苦しかったのではないだろうか。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/thumb/c/c9/Mori_Tomonobu_statue.jpg/200px-Mori_Tomonobu_statue.jpgウィキペディアより母里銅像

後藤の出奔の理由には諸説あり明確になってはいない。少なくとも黒田家にとっては想定外・寝耳に水のビックリ仰天な出来事だった。 

シオ推測するに、後藤ファンが熱く主張する「長政の資質が如水より劣ってる云々」だけでなく、黒田家中での意識のズレが根っこにあると思う。

後藤は如水に愛弟子のように可愛がられ、8歳下の長政のことも弟のように一緒に育った・・それが不味かった・・・

自負心の強い後藤は、長政のことを主君とは思えない。。。そのくせ嫌いなわけじゃないという屈折した心境になったようだ。

黒田家を出た後も、自分は長政の事を言いたい放題で批判するのに、自分以外が長政の悪口を言うのは許さない(なんちゅ~メンドクサイ男)

譜代家臣が多い徳川や累代続く上杉や佐竹なら、家臣の分際・身の程というのを幼少期から躾けられる。

だが黒田家のように一代で大きくなる家は、どうしてもその辺りがファジーになる^^;;


黒田家紋

何度か言ったが、如水が幽閉されてしまい黒田家には当主不在の期間があった。

その時、後藤は一族が黒田を裏切り敵方に走ったので後藤本人も疑われ、一時期、黒田を離れている。

一度でも仲間に疑われてしまったので、如水個人に忠誠を捧げる気持ちは、より強くなっただろう。

如水不在を協力して乗り切った家老たち(母里や栗山など)は「黒田家(組織)と自分たち家臣は一心同体」であるという意識が自然と根付くことが出来た。

そのお蔭で如水死後、長政に不満・不足があっても「自分たちが支えて頑張るぞ!」と切り替えられたのだろう(如水自身も、家中のムードがそうなるように生前から配慮している)

だが如水個人に忠誠を捧げていた後藤は、どうしても自分を変えることが出来なかったんだと思う。

後藤ファンは「もっと長政に器量があれば・・・」と云うけれど、それは違う。

泰平の世で家督を継ぐのとはワケが違う「ザ・戦国」なのだ。
長政が如水タイプの天才だった場合⇒武田信玄公みたいに親を追い出して自分の思い通りにする。(信玄公ファン様すいません)

長政が如水とは違うタイプの名将だった場合⇒島津家みたいに両殿体制化~家中が派閥争いで血の雨が降る。

同じ時期の一つの家に英雄・天才は二人もいらない


父が「偉大な天才」ならば、息子は「父の作った体制を壊さず継承できる器(例・2代将軍秀忠)」であれば充分なんです。(親子とも天才で、かつ上手く行くのは特殊例)

その証拠に何だかんだ言われてても、如水死後に黒田を離れたのは後藤だけじゃないですか。

長政は長政なりに「如水の作った黒田」の家風を繋いでいるんです。(ホントにヤバかったのは長政より後だし)

まぁ如水なら?そもそも細川忠興を怒らせる下手しないけどね~~∴・,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!


長政が執念深いっていう元ソースは、おそらく冒頭に挙げた後藤発言だろうけど、情念・執念深さなら細川忠興の方が上だと思う。

統治能力はズバ抜けているし、武勇優れて、教養あって、芸術方面だけでなく築城もバッチリ!

「普段」は温和で気遣いも細かい忠興だが、一度怒りのスイッチが入ったら相手を絶対許さない。
(だから石田三成とも、ぜ~~~ったい!仲直りしなかった)

宣教師曰く「日本一短気」で、ガラシャ曰く「引く事を知らない人」なんです。

家臣にもメチャ厳しく「失敗は2度まで許すが3度目は成敗」という規則で、忠興が生涯で手討ちにした家臣は36人いると言われいる。
(ガラシャの顔を見たのに嫉妬して忠興が殺した庭師がカウントされているかは不明)

さらに家臣を成敗した時の刀にも、36歌仙にちなんで銘(めい=タイトル)付けていたというヤバイ伝説もある男なんです。

晩年の如水は「長政を赦してあげて(:´人`)オネガイ」って自ら出向いて忠興に頼んでるんです

でも忠興は「他ならぬ貴方様の申し出なので叶えて差し上げたいが、ソレだけは絶対無理」と即答拒否

如水は「そうですか・・・無理ですか」と虚しく引き上げたそうな・・(゜-Å) ホロリ


長政の後藤に対する奉公構の処分と、幕府からの仲裁で表向きは大人しくしていた忠興だが、長政を許すつもりはサラサラ無かった。

どこまでも「長政への嫌がらせ」のために、後藤を雇うことを諦めてはいなかったんです。

忠興が自分の息子・忠利にあてた手紙には、ちょいちょい長政や黒田家の悪口が書いてまして、文中・長政のことも「策士を気取る男」と手厳しい評価www

長政が何か失敗すると、忠興は息子への手紙に「あいつ失敗しやがった!ざまぁ!。・゚・(ノ∀`)σ・゚・。ヒーッヒッヒッヒッヒ」と喜びのコメントを書いてます^^;
(律儀に返事を出す忠興の息子が大変そうだなぁ~返事しないと忠興は催促してくるのよ~)

もし長政が奉公構を解除したら、後藤の再就職第一候補だった忠興が大喜びで後藤を雇うだろう。

そうなったら黒田家の全てを知られ、長政は首根っこを押さえられた子猫のように、忠興に生涯頭が上がらなくなる。(下手すりゃ潰される)

忠興を怒らせたために報復が怖くて奉公構を解くことができなかった・・・とシオは推測しています。

さて、福岡藩初代藩主編はこれにて終了。次回からは新書庫・九州の関ヶ原「石垣原の戦い編」スタート!それは・またの話 by^-^sio

ブログ用画像~南洲さま
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兜・人物画像~橘朝臣幸麿さま
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時乃★栞

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筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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