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【首都脱出】福岡藩初代藩主9栞34

さて、母里友信(もり とものぶ)話、続く(司馬遼太郎風~)

大男なのは昨日の黒田節で書きましたが、彼は槍の名手でした。

生涯で落とした首の数は76で、黒田武士団ダントツ1位!

一日に7つ首を獲った者にのみ与えられる「朱槍」保持者。

それだけでなく、通算で33の首を獲った者だけに許される「首供養」を執り行ってます。

「首供養」とは早い話、自分が討った武将の供養をすることですが、命のやりとりをする戦場では明日の命は知れません。 

33達成だから~~って即効カッコ良く首供養して、すぐ次の戦場で戦死したら逆に不名誉。

だから本当に強い武将でなければ行うことは許可されないんです。

でもって、これだけ強い武将にありがちで、若いころの母里は見事なイノシシ武者でした(爆

そこで主君・如水は母里に言いました。

「お前は短気だから年長の栗山(くりやま=幽閉されてた如水を救出した人)を兄と思い、何かするときは栗山の意見を参考にしなさい」

母里は如水の言いつけを良く守り、栗山と母里は実の兄弟のように終生親しかったそうです。

慎重派の栗山も短気な母里と組むことにより更に能力を引き出され、二人は黒田家の家老として成長するのです。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/thumb/c/c9/Mori_Tomonobu_statue.jpg/200px-Mori_Tomonobu_statue.jpg(ウィキペディアより母里の銅像)

1600年の7月・・・大坂の天満屋敷には栗山・母里・宮崎の3人の家老が留守番してました。

主君・長政は既に会津征伐の動員命令に応じて出発してます。

母里ほど豪の者が留守になったのは「三成が挙兵した時」に、如水夫人と栄夫人を脱出させるためです。

栄夫人は徳川家康の姪にして養女。長政が関が原直前に前夫人を離婚し再婚した新妻。如水夫人は如水の正室で同時に長政の生母。

もし二人を三成の人質に奪われたら、長政が頑張っても黒田の名誉回復は二度とできません。
(見捨てて家康に従軍しても外聞が悪すぎ)

そんな失態を犯したら、現時点で跡取りのいない黒田家は潰される可能性がある。

長政は「脱出が不可能であれば二人の夫人を殺し家老達も切腹。屋敷も火を付け処分せよ」と命令しています



1600年7月17日・・・石田三成が挙兵



戒厳令が敷かれた首都・大坂では、天満屋敷の周辺も西軍兵士が大勢いたので、三家老は夜を待った(母里・栗山の他に留守番家老がもう一人いた)

夜になると夫人たちの身をそれぞれ俵にくるんで隠した。

そして館の裏手の湯殿(バスルーム)の壁に穴を開け、そこから(夫人入り)俵を出した。

さらに(夫人入り)俵を籠に入れ、籠を天秤棒の前後に括りつけると「ふん!」っと怪力の母里が担いだ!

戒厳令下~夜の大坂市中を油断ならない目つきの大男が天秤棒を担いで移動・・・どうみても怪しい気が・・・(爆

とにかく黒田家出入りの商人・納屋小左衛門の屋敷までは何とか移動できた。

そこから川船で下る予定で手はずはできていたのだが、予想以上に西軍の検問が厳しく船を出せない!

こんなことなら天満屋敷にいて様子を見た方がマシだったか? 

万事休す!!

そのとき玉造方面から火の手があがった!!


ただの火事ではない!西軍の兵たちの慌てようは尋常ではなく、あっという間に玉造方向へ移動してしまった。

その火事こそ人質になるのを拒んだ細川ガラシャ夫人が自害し、屋敷を燃やしたものだったのです。

とにかく細川屋敷の火事による混乱のお陰で、川の検問警備が手薄になった。

母里は(夫人入り)俵を船荷に隠して、大坂を無事脱出したのです。


黒田家紋

三家老のうち一人は大坂に残り、母里と栗山は夫人たちを中津に送り届けると、そのまま如水の側にいました。

九州で怪しい動きをしていた如水の元へ届いた「三成挙兵」の第一報は、おそらく母里の報告でしょう。

とにかく三家老が一致団結して、無事に黒田家はピンチを潜りぬけたのです。

え?「三成挙兵の前に逃げていれば?」ですって?

戦も起きてないうちから屋敷から逃げたら天下の笑いものですよ~~大名って看板背負うのは大変なんです^^;

母里さんは武勇一辺倒だけではなく築城スキルも身に付けて、後に江戸城の築城でも活躍します。

で、徳川家康(秀忠説もある)から感状(感謝状みたいなもの)を貰うのです。
(感状は転職の時に「職務経歴書(推薦状付)」の役割を果たすので、出した相手・所持してる枚数は超大事)

そのときに宛名を「毛利・・・母里(もり)」と書き間違えされちゃうの。

将軍家に間違いを突っ込むわけにもいかず、それじゃぁ~いっそ記念だから改名しちゃえってことで毛利但馬(もうり たじま)と変えてます^-^



「関が原の戦い」で活躍した黒田家は、中津18万石から福岡52万石に大栄転~~♪

長政の人生の大きな分岐点でもあり、それは振り返ると「青春の終わり」だったかもしれません。

大大名となった長政を待っていたのは「友情の終り」でした・・・それは・またの話 by^-^sio

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テーマ : 歴史
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Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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