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【黒田家の黒田家による黒田家のための黒田節♪】福岡藩初代藩主8栞33

黒田家の家老・母里友信(もり とものぶ)は、弘治2年(1556年)生まれ。 

身長は 約180cm~加藤清正くらいの大男で、体格に相応しく大酒飲みでした。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/thumb/c/c9/Mori_Tomonobu_statue.jpg/200px-Mori_Tomonobu_statue.jpg
ウィキペディアより母里友信の銅像

朝鮮の役(文禄の役・1592年)の少し前、主君である黒田長政は、友人の福島正則へ、母里を使いに出した。

登場シーンは酒を呑んでるところばかりの福島正則ですが、本当に酒クセが悪い人でした。

長政は、同じく大酒呑みの母里が、福島正則と(酒で)トラブルを起こすのを恐れた。

そこで出がけに「福島家で酒を勧められても、絶対(酒を)飲まないように!」って約束させました。

母里が福島家へ行くと、案の定~正則は朝から飲んでてすっかり出来あがってた^^;

酒飲み仲間が来たと御機嫌の正則は、使いの用向きを伝えようとする母里を制して「いーからマズ呑め!」酒を勧めます。

が、母里は主君との約束があるし、使者という役目の途中・・・つまり公用だったので、丁重に断った。

すると正則は母里に絡み始めた(悪い酒癖だなぁ)

正則「あぁ~ん?ワシの酒が飲めないだと?お前、そのデカイ体は見せ掛けか?黒田家の侍は臆病者!チキン!鮒侍!有名な黒田の武勇も大した事はないな!?


酒を断っただけで、なんでバカにされるんだ?って感じですが、泥酔した正則に理屈は通じ無いんです^^;;

(公用中・公用中・・)と、最初は我慢してた母里も、福島が主家を侮辱し始めたので、これ以上断るのは黒田の名に関わると酒を受けた。

ところが正則が出したのは、直径が一尺(約30cm)の大きな杯!(゚ロ゚屮)屮 ぅお!

正則「これを飲み干したら、望みのものを何でも与えてやろう( ̄ー ̄)ニヤリ~


居並ぶ福島家臣らも(下手すりゃ血を見る・・)と固唾を飲んで見守るなか、母里はググゥ~~と一気飲み!

飲み干した母里は、更に同じ杯で「これは美酒でござるな。いま1杯所望致したい!」と言い出した。

福島家臣たちも(Σ(´Д`;) うあ゙、1杯で止めとけよ~~次で失敗したらどーすんだ~)とハラハラ。

母里は、皆の視線を余所に2杯目も、ぐーーーーーーと一気に飲んだ!

正則と福島家臣が (*ノ・ω・)ノオオオオォォォォ!っと思わず歓声を上げる。

更に母里「ワンモアプリーズ^^b」そして3杯目も見事に飲み干した~~~~~~~~~~~~~~~

場内・もとい広間は、ヤンヤ拍手喝さい「お見事!」の声が飛び交い、盛り上がった~~

母里「(ゲフ)飲み干したら何でも与えるという、お言葉でしたな!では福島家所蔵の名槍「日本号」を頂戴いたしたい


正則、「日本号」と聞き一瞬怯むが、ここまで盛り上がって後には引けない。母里に渡した。

母里は使者の役目を無事果たし、手に入れた名槍「日本号」を肩にかけ、悠々と「筑前今様」を謳いながら帰路に着いたとさ。


黒田家紋

酒は呑め呑め,呑むならばぁ~日本一(ひのもといち)のこの槍を~呑み取るほどに呑むぅならばぁこれぞ真の黒田武士ぃ♪(*´○`)o¶~~♪


「筑前今様」の筑前とは地名の事です。黒田家は後に筑前の藩主になる事から付いた名前です。

今様(いまよう)とは、現代の流行歌のようなもので戦国時代に流行ってました。

ベースのメロディに、それぞれが思い思いの歌詞を付けて、仲間同士で歌い合うんです^^b

ちなみに、この「今様」は毛利輝元もハマって「オリジナルソング」をシャウトしすぎて、叔父上の小早川隆景から御叱りを受けてます(*´pq`)クスッ

筑前(黒田家で)今様(流行った流行歌)・・・・つまり現代で言うところの御当地ソングになります^-^


この時の歌が、歌い継がれ、現在の黒田節として残ったんです。

さて翌日、酔いが覚めた正則は日本号が無くなっててビックリ仰天!

例によって例の如く、酔っ払ってた時の自分の言動を綺麗サッパリ忘れてた!

ゴホン!咳払いして、正座して、管理人~居住まいを正しますm(__)m

え~そもそも日本号と呼ばれるこの槍は、かの京の都におわします正親町(おおぎまち)天皇の所有物でございました。

帝から織田信長に渡り、信長から豊臣秀吉の手に渡り、秀吉から正則に下賜された、重宝中の重宝だったのです。

それを宴会芸の景品のノリで他家の家臣に渡しちゃったと聞いて、正則は顔面蒼白~慌てて黒田家に返還要求をした。

黒田家&母里の返事は当然「NO!」

丁重に酒を断ってた母里さんを侮辱した正則が悪いんですからね^^;;

朝鮮の役(文禄の役・1592年)に、陣中で一緒になった長政に対し、正則は再び槍返還要求を蒸し返しケンカになります。

が、結局は和解し、仲直りの印として互いの兜を交換したんです。


とうの「日本号」ですが「朝鮮の役」で母里がピンチになったときに、同じく黒田家臣の後藤又兵衛に助けられ、母里が感謝の印として後藤に渡してたんです。

正則が槍を諦め仲直りに応じたところを見ると、もう母里から後藤に渡った後だったかもしれません。

さて黒田節の部分が突出して有名な母里さんですが、黒田二十四騎のメンバーで、さらにその中から選抜された黒田八虎の一人。

次回は更なる母里の活躍です「首都脱出」それは・またの話 by^-^sio

ブログ用画像~南洲さま
http://blogs.yahoo.co.jp/yuewannwann
兜・人物画像~橘朝臣幸麿さま
http://blogs.yahoo.co.jp/cfmjs676
家紋画像~ロンさま
http://blogs.yahoo.co.jp/kabiningen
相互リンク~ばんない様HPアドレス
(戦国島津女系図)
http://shimadzuwomen.sengoku-jidai.com
(b様ぶらんど。) 
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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