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【正室・御平】薩州島津家16・栞歴24

記事作成出典元「島津歴代略記」「本藩人物誌」^^/

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/cb/40/tokino_siori/folder/360567/img_360567_3376680_8?1334146142

1554年(天文23)9月3日~「岩剣城の戦い」で島津義久・義弘・歳久が初陣^^

1555年(天文24)10月23日~弘治へ改元


1557年(弘治3)11月7日~薩州家6代目・島津義虎は阿久根深迫・尻無両村の間にて東郷と合戦。

義虎方の田代淡路が草道村の地頭・肬岡左近を討ち取り、白男川因幡は水引地頭・津田将監を討ち取った。

義虎方は湯田兵庫ならびに長寿寺住持・雪渓和尚ら数人戦死する。

ワンコが盗まれたのを憤り、東郷へ乗り込んで相手を殺して奪い返した湯田兵庫さんは、その東郷との戦で戦死しました^^;

諍いのキッカケの人だから、集中的に狙われちゃったかもです^^;

1558年(弘治4)2月28日~永禄へ改元~元亀天正は目の前だ~

同年4月20日~島津16代目当主・貴久~大隅国を(ほぼ・概ねザックリと)統一


蒲生さんが本城を捨てて逃げたんでウィキペディアでは「大隅統一」って表現してますけどね。

肝付も菱刈も抵抗を続けてるので、完全に制圧するにはマダマダ~手こずってます^^;

でもって、義虎なんですがウィキペディアには「父と違い早くから宗家に従い~」的な表現されてます。

が、どうもこの時期は従いつつも半独立っぽい感じです。

1563年(永禄6)~義虎は上洛し足利義輝公に御目見えし諱を拝領~義俊と改名する


すいません~~便宜上(一番好きな名前)義虎で統一してましたが、薩州家6代目はチョコチョコ改名してるんです。

それまでは島津の通字が入った陽久でしたが、義の字を拝領して義俊に改名し、次に義虎に改名します。

亡き父・実久も死ぬ直前に足利義輝に拝謁してるんですが、義虎も拝謁したんです^^

でも分家の身で、宗家の頭越しに拝謁して、偏諱まで受けちゃうって宗家的にはどうよ?!




1565年(永禄8)3月20日~義虎は長島領主・天草越前守を攻め殺し、長島を押領する


シオとしては、この長島攻撃も宗家の意向か、義虎の独断か判断つきかねてます^^;

長島攻撃は、当時島津が敵対してた肥後・相良家にとってダメージになるので、宗家の意向のような気もするしなぁ・・・

義虎と正室・御平の結婚時期は不明です。案外、この1565年くらいかもです。

そして義虎が宗家の命令に服すようになったのは、貴久(義虎の従兄弟)の孫娘・御平が嫁いでからではないでしょうか(内助の功ってやつ)

1566年(永禄9)~島津義虎と御平の間に嫡男・忠辰が産まれる~


嫡男・忠辰の生年には異説(1553年説)があるんですが、それだと御平が三つの童女^^;

義虎の代で、生母が御平以外の子供を嫡子認定は考えずらいので、やはり1566年説が妥当でしょう。

1567年(永禄10)~義虎は相良への備えとして羽月城に入ります。
同年11月23日~義虎・菱刈氏の馬越城を落とす。

馬越城を失った菱刈氏は、大口城に逃げ込むんです^^

1568年(永禄11)6月18日~阿久根東郷と合戦し味方63人が戦死する。
1569年(永禄12)8月18日~阿久根深迫村にて東郷と合戦。
     同年9月10日~菱刈氏が降伏~山野城を義虎が拝領する。


なんか、合間合間で東郷とガチンコしてますね~~^^;

1569年(永禄12)~御平は次男・忠隣を出産^^/城は拝領・子供が産まれる~いいことづくめ


次男の忠隣は4兄弟の3男・歳久の気の強~~い娘の婿養子になります。

えっと(家系図ガン見してね)義虎は、従兄弟(貴久)の長男(義久)娘(御平)と結婚し、従兄弟(貴久)次男(歳久)娘に、自身の次男・忠隣を婿養子に出してるんです。

どんだけ濃いんですか・・・・il||li _| ̄|○ il||l

1570年(永禄13)1月5日~東郷大和守重尚ならびに入来院石見守重副が、押領していた地を進上し降伏。

百次・平佐・隅ノ城・宮里・天辰・碇山・高江は入来院より進上。
中郷・高城・水引・湯田・西方を東郷より進上。

よって高城・水引・湯田・西方・京泊を義虎が拝領した。
前回話したように、東郷さんちは家久の次男を養子にします^^b

1570年(永禄13)4月23日~元亀へ改元^^/

1571年(元亀2)~御平~三男・又助(島津忠清)を出水で出産~


なんか御平の出産ペースを見るてると、義虎との仲睦まじさを感じます。

実家の島津宗家は着実に勢力を広げ、夫・義虎も宗家に貢献し領地も増える。

子供も次々生まれ薩州家の前途洋洋かに思え、御平の人生で最も充実した時期だったのではないでしょうか。

彼女の幸福が哀しみに彩られるのは、夫・義虎の死からなのだが、それは・またの話by^-^sio

参照サイト「戦国島津の女達」
http://shimadzuwomen.sengoku-jidai.com/index.html
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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時乃★栞

Author:時乃★栞
筑前・筑後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩に気合いバリバリ。
豊前は城井と長野が少し。豊後はキング大友関連のみ。

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